第10話 二人の気持ち

 営内隊舎に走っていくハマコウを見送る二人。


「浜砂二曹、良いお父さんだよね」


 という恵里菜に、


「俺もそう思う。浜砂二曹は俺の理想の父親像なんだ」


 と啓太はハマコウを真似るようにして夜空を仰いだ。

 そんな啓太を恵里菜は優しいでしばらく見つめると、足元の小石をコロコロとスニーカーの底で転がして遊ぶ。

 そして、まだ夜空を見上げている啓太に向くと、


「ねえ、啓太──」


 と声をかけた。


「どした?」


 声をかけられた啓太は恵里菜の方へ体ごと向く。

 すると恵里菜が啓太の胸に飛び込んだ。

 啓太はそのまま恵里菜を受け止める。


「どしたの?」

「うん、なんかこうしたかったの」

「おかしなやつだな」

「いいの。ねえ、啓太──」

「なに?」

「私は啓太が好き!大好き!」

「俺も恵里菜が好きだよ。誰よりもね」


 と啓太はそのまま恵里菜を抱きしめる。


「うん。嬉しい!」


 恵里菜は目を細めて啓太の胸に耳をあてて啓太の鼓動を聞く。


「啓太の心臓の音が聞こえる」

「そりゃ生きてるからね」

「うん、啓太が生きてる。私を抱きしめてくれてる」

「どうしたんだよ?」

「私、啓太と結婚したい。啓太の奥さんになりたい」


 と言う恵里菜に、啓太は返す言葉が出てこなかった。


 結婚──


 それは啓太も考えなかった言葉ではない。そのために外出もせずにお金を貯めてきた。誰に「守銭奴」だの「キモい」だの言われてもやめるつもりはなかった。

 それにこんな職業だ。もし有事になれば出ていかなきゃならない。しかもいわゆる固定通信部隊でもある基地通信だ。敵から狙われやすいところでもある。

 それを考えると、自分に恋人ができて、結婚という言葉が出てきた時、その人を幸せにできるかどうか、その答えはまだ出ていなかった。

 啓太の両親は啓太が自衛隊に行くことに反対していた。それを振り切ってやってきた。しかしその両親も事故で亡くしてしまった。だからハマコウのような父親像を見つけた時、嬉しかった。

 そして恵里奈と出逢い、付き合うようになったことも嬉しかった。けど手を出すことはしなかった。というかできなかったというのが正しいのかもしれない。

 そのことで他人からは奥手だとかも言われてきた。

 けど、啓太も男である。そういうことに興味がないわけではない。でも不用意にそういうことをして相手を苦しめたくはない、そういう思いが啓太を踏みとどまらせてもいた。


 そして、啓太にとって最愛の恵里菜からでた「結婚」という言葉。

 本音ではすごく嬉しかった。

 啓太自身も結婚するなら恵里菜以外に考えられなかった。

 啓太自身これまで交際経験がなかったわけではない。学生時代にはそれなりに男女交際をしてきたし、男女のそういった行為もそれなりにしてきた。

 しかし親友と呼べる男子が一度きりの過ちによって相手を身篭らせてしまった。結果親友は相手の女子生徒と共に学校を去ってしまった。

 それ以降啓太は慎重路線に変わっていった。その結果交際していた女子生徒からも別れを告げられ、気がつけば一人になっていた。


 啓太としては恵里菜と結婚したいし、そういう行為もしてみたい。

 しかしどうしても自衛官という仕事を思うと、次の一歩をなかなか踏み出せないでいるのも事実だった。だからといって自衛官をやめるつもりは毛頭なかった。国を守るその仕事にやりがいと自分なりの使命も感じていたから。


 だから啓太は恵里菜に自分の気持ちを伝えた。


 過去の親友のこと──

 今の自衛官という仕事のこと──

 両親を亡くしていること──

 自衛官を辞めるつもりは無いこと──

 恵里菜を本当に幸せにできるか不安であること──

 恵里奈と結婚したい気持ちはあること──

 まだ決心がつかないこと──


 そんなことを全て恵里菜にぶつけてみた。

 すると、恵里菜は啓太を強く抱きしめてきた。


「本音話してくれてありがとう」


 そう言うと、啓太の胸に額をくっつけて、


「啓太のことは私が幸せにしたいの。啓太がそばにいてくれるだけで私は幸せ。

 もちろん私も自衛官だから有事の時のことも考えた。

 けどね、だからこそ啓太の奥さんになりたいの。そして啓太を支えたいの。

 これが私の気持ち──」


 そういった恵里菜は抱きついたまま啓太を見上げた。暗いなかだからはっきりは見えないが、啓太が自分を見下ろしてくれていることはわかる。

 対して、恵里菜の気持ちを受け取った啓太はというと、嬉しい、愛しい、そんな気持ちが溢れて、それが涙になって出ていた。

 啓太が泣いていることに気付いた恵里菜は啓太を再び強く抱きしめた。


「辛かったね、啓太。

 よくがんばったね。

 いっぱい泣いていいよ。

 啓太は私が守ってあげるから」


 恵里菜の言葉に啓太は声を出さずに静かに泣いた。両親が相次いで亡くなった時も必死で涙を堪えてきた。それが今、恵里菜という最愛の人の温もりに癒されて固く縛った結び目が解けていくような感じがした。




 ☆☆☆ ☆☆☆




 二人がお互いの気持ちを確かめ合った夜の1週間後、啓太は明美と演習場の通信回線保守担当として健軍駐屯地に出向することになった。


 これは恵里菜と啓太が交際してから初めて別々の駐屯地で過ごすことになtタコとでもある。


 出向前日の昼、啓太と恵里菜は珍しく売店食堂にいた。誘ったのは啓太だった。それに恵里菜が驚き……はしなかった。

 啓太だって隊員食堂とは違うものが食べたくなることだってある。それに恵里菜も売店食堂がいいなとも思っていたのだ。

 というのも今日の隊員食堂は二人があまり得意ではないものだったからだ。これまでは我慢して食べてきた。けど、今日はその我慢はしないことにしたのが啓太であり、それに賛同したのも恵里菜であった。


 それで二人は何を食べているのかというと、啓太は唐揚げカレー。恵里菜はビーフシチューだった。二人はこれまで通り二人だけの空間を作っていた。その二人の近づくなオーラのせいかどうかは知らないが、その日の売店食堂はガラガラであった。

 その食堂の中で、二人は壁越しの隅の一角のテーブルにいた。


「明日からだね。頑張ってね」

「うん、明日からだ。たった2週間2週間だから──」


 啓太は自分に言い聞かせるようにそう言った。


「ねえ、持っていくものは全部整ったの?」

「一応必要な道具類は資材と一緒にすでに健軍に送ってるよ」


 と啓太が答えたのだが、恵里菜の聞いていることはそこではなかった。


「ねえ、私も連れっててよ」


 恵里菜がとんでもないことを言ってきた。


「まさか、そんなことできるわけないだろ?」


 と啓太が驚いた表情かおでそういうと、恵里菜はクスクスと笑って、


「まさか私本人を連れてけって意味じゃないわよ。これ啓太と一緒に連れてって?」


 そう言って恵里菜は財布を入れているポーチから男女のぬいぐるみが一対になったキーボルダーを啓太の前に差し出した。

 そして恵里菜自身も同じキーホルダーを胸の前にだした。

 そのキーホルダーはどうみても手作りであった。所々縫い目が荒いところが見える。まあ出来は素人作ったにしてはまあマシだろうという程度のものではあったが、啓太にとっては嬉しいものであった。

 啓太は初めて恵里菜と同じものを手に入れた。

 カップルがしているペアリングなんてものも考えたこともあるが、自分には合わないなと早々に諦めていた。もちろん恵里菜の意見も聞こうともしたが、なんかチャラい気がして気が引けていたというのが啓太の正直な気持ちだった。


「これ、作ったの?」

「うん。友達に教えてもらいながら作ってみたんだ。時間がなかったからあちこち変だけど……これ健軍に一緒に連れて行って欲しいんだ。

 いつでも啓太と一緒にいられるってそんな気持ちになれるから」


 恵里菜は啓太をじっと見つめてそう言った。そんな恵里菜に啓太はにっこり笑って、


「もちろん。恵里菜の手作りか。これは宝物入り決定だな‘」

「もう、こんなのが宝物なんて恥ずかしいよ。今度ちゃんとしたものを作ってあげるから。だから今回はこれを持ってって」

「もちろん!ありがとう、恵里菜」


 二人が見つめ合う度に食堂どころか売店すべてにラブラブ光線が出まくって恥ずかしいやらこそばゆいやら、

 食堂のおっちゃんもおおばちゃんも

 お土産コーナーのおばちゃんもお姉さんも

 コンビニのおっちゃんもお姉さんも

 みんな顔を真っ赤にして二人を見つめていた。




 ☆☆☆ ☆☆☆




 啓太と明美が健軍に行って1週間が過ぎた。

 今はその1週間目の金曜日──


 演習場整備は順調に進んでいた。残るは演習場ない宿舎周りを残すのみ。

 ただここには一般電力線もあるため、作業には十分注意する必要がある。

 その確認と配置図が示された。来週から1週間かけて各宿舎周りの電話線、電話機の使用可否確認、野外用ホットライン電話機とそのシステムの点検等々まだまだ作業は残っているが、終わりは見えてきているため、作業要員の顔にもホッとしたそんな表情が見えてきている。


 その日の夜、男子隊員宿舎の内線電話がなった。


304さんまるよんの鳴無三曺いらっしゃいますか!?」


 電話をとった野外通信の一等陸士が啓太を呼んだ。


「はい,自分です!」


 啓太は拳を握った右腕で挙手をして返事した。拳を握っての挙手は自衛隊が行なっている挙手動作である。


婦人自衛官W A Cの松永士長から電話ですよ」


 どうやら明美からの電話らしい。

 しかし、わざわざ婦人自衛官W A Cからであることを伝えてくるあたり、さぞかし色んな想いがあるのだろう。いや意外とシンブルかも知れない。

 啓太が電話機まで行く間、


 ──基地通信はいいよな、婦人自衛官W A Cがたくさんいて

 ──女持ちかよ、リア充爆発しろ

 ──クッソ、いいよなー


 等々、妬み辛みの色んな声が聞こえてきたが啓太は一才を無視した。だって明美とは何もないから。


「はい、鳴無三曺です──」





 ここは宿舎から出てすぐの自動販売機の側にある照明の下──

 明美からここに来るように言われたのできてみたのだがまだ誰もいない、

 とりあえず5分程待ってみたが誰も来る気配がない。悪戯でもされたか?そう思い、宿舎に戻ろうとしたところ、走ってくる人影が見えた。


「すみません、鳴無三曺。遅れました」


 走ってきたのは明美だった。

 明美のツヤツヤした肌から、入浴からさほど時間がたっていないように思えた。


「どうしたの、松永士長?」


 と啓太が聞くと、いきなり明美がビンタをしてきた。何が何かわからずぽかんとする啓太。


「えと、とりあえずなぜビンタされたのか、その理由は聞かせて漏れるんだよね?」


 そう啓太がいうと、明美は一瞬キッと啓太を睨んだ。


「理由は、なぜここにきたんですか?」

「えと、どういうこと?そもそも松永士長から呼び出されたから来たんだけど?」

「呼び出されたから、だから相手が女でも出てくるんですか?」

「どうしたんだよ一体──」


 そう啓太がいうと、急に明美の目から涙が溢れて止まらなくなった。


「私だってどうしてビンタしたのかわかりません。でも、私に呼び出されてホイホイ出てくる鳴無三曺を見たらつい──」


 明美は何かを取り繕うように、何かに責任を転嫁するように言った。

 が、突然明美が大声を上げた。


「これ以上私、自分に嘘をつきたくないから言っちゃいますけど、私、鳴無三曺が好きでした。今でも同じです」


 突然の告白に、啓太は「それには答えられない」と言おうとしたところを明美は塞いだ。


「わかってます!

 だからあれは私の独り言です。

 本題はこれからです!

 鳴無三曺、下川三曺から結婚を申し込まれたんですよね?」


 という明美の言葉に、啓太は肯定の意味を込めて頷いた。


「鳴無三曺は、そこから逃げてませんか?」


 啓太は首を振って否定した。


「なら、なぜ答えてあげられないんですか?

 下川三曺、私の部屋に来てキーホルダーの作り方教えて欲しいって言ってきました。私は作れないけど、めぐみはそういうの得意なのでめぐみから教わりながら作ってました。

 鳴無三曺、下川三曺の指見ました?下川三曺、たくさん針で指を刺しながら一針一針心を込めて塗ってました。

 それをみて、私は敵わないってだから一度は諦めた気持ちだったけどもうきっぱりあきらめました。けど気持ちに嘘はつきたくないからさっきああ言ったんです」


 そう明美は一気に言い切ったことで肩でいきをしている。


「鳴無三曺はどうなんですか?下川三曺から結婚を申し込まれて、それで流れていくんですか?それでいいんですか?」

「そりゃ俺だって恵里菜と同じ気持ちだよ。でも,これが、この演習場整備が終わったら気持ちを伝えようとそうきめているんだ」


 啓太がそういうと、明美はもう一度啓太にビンタした。


「鳴無三曺、バカですか?」

「おい、失礼だぞ松永士長!」

「バカだからバカって言ったんです!

 これが終わってから気持ち伝えるなんてそんなのフラグでしかないですよ。

 今私に言ったように下川三曺にその気持ちを伝えたらいいじゃないですか!いえ、伝えるべきです!伝えなきゃダメなんです!伝えて欲しいんです!」


 明美の必死なその言葉に、バカと言われてカチンと来ていた啓太の心がスッと落ち着いていた。


「お願いします。下川三曺に鳴無三曺の気持ちを伝えてあげてください」


 明美はそう言って、深々と頭を下げた。

 そんな明美を見たのは初めてだった。そして明美が必死なんだということも伝わってきた。

 だから──


 啓太はスマホを取り出すと、恵里菜に電話をかけた。

 数回のコールの後、恵里菜が出た。


『啓太どうしたの?』

「うん。あのね恵里菜──俺の奥さんになってもらえますか?」


 啓太は自分の素直な気持ちを恵里菜に伝えた。

 恵里菜の答えが待ち遠しい。

 しばらく間が空いて──


『はい、私を啓太の奥さんにしてください』


 そう電話の向こうで言った恵里菜の声が泣いているように聞こえてくる。


「恵里菜?」

『ありがとう、啓太。私、今最高に幸せだよ──ふつつか者ですが末永くよろしくお願いします』

「こちらこそよろしくね、恵里菜」


 啓太が電話を切った後、明美は泣き崩れた。

 啓太を諦めた気持ちはあっても、やっぱり簡単に諦められるものではない。

 そして、明美の蜘蛛の糸のような可能性がプツリと切れた瞬間でもあった──

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