第2話 昼食デート
パッパララパッパパパパ、パーパパパパッパッパー……
目覚めたばかりの顔を洗面所で洗い、ジャー戦に着替えて隊員食堂へ向かうために営内隊舎のエレベーターで一階に降りる。
隊舎を出たところで少し栗色がかった髪をポニーテールにして黒縁眼鏡をかけた一人の婦人自衛官が誰かを待つように立っている。
「啓太」
その婦人自衛官が啓太の名を呼んで軽く手を上げる。
「やあ」
啓太もその婦人自衛官に軽く手をあげて応じる。
その婦人自衛官こそ本作品のヒロインである
啓太と恵里菜は寄り添って隊員食堂へ向かう。この光景は今や駐屯地の風物詩になりつつあったりもする。
「啓太、夜勤で疲れてるんじゃない?」
恵里菜が啓太を気遣って言うが、啓太は「そんなことないよ」と恵里菜にニッコリ微笑んで答える。それが二人のいつものルーチンだったりもする。いやもちろん恵里菜的には本気で心配しているのだが、元来男というものは好きな女の前では去勢を張りたい人種であったりするものである。
また基地通信部隊というのは、常に実働を伴う部隊の一つで、特に啓太の所属する電話隊は電話通信技術のエンジニア集団な部隊である。
時には電柱に上っての作業も行なうし、時には部隊事務所へ電話機の設置や移設等の通信工事を行ったりもする。なので、基地通信部隊の隊員は対外的には「駐屯地内のNTT」と自らの仕事を比喩して言ったりもするが、それはあながち間違った比喩ではない。
そして、基地通信部隊の他部隊と決定的に違う点は、夜勤があるという点である。自衛官は
逆に結婚して子供ができると、基地通信隊員の方が良いという婦人自衛官もいたりもする。その理由としては、シーズンオフで混雑していないときや平日のすいている時間に子供の面倒を見てくれたり、遊びに連れて行ってくれたりするからということも挙げられるらしい。
「今日のお昼はね、啓太の好きなハンバーグなんだよ」
と恵里菜はにっこり笑って献立を言う。
「え、そうなん?……っていうか、そういうのは出てからのお楽しみってことにしておいてほしかった」
と、少々肩を落として見せる啓太。
この二人、駐屯地では有名なカップルであったりする。なぜに有名かというと、この二人、デートは決まって駐屯地内で済ましている。大人の男女であるのだからそういう行為も……なんて邪推なことはこの二人にはない。というか二人にとってこうして毎日顔を合わせられることが一番の幸福な時であるからなのだ。それ以上の所謂男女なアレについては、二人してかなり淡白だったりもする。というか、淡白なのはどちらかといえば啓太の方に分があるだろうか。
つまりはこの二人、大人な交際というよりは小学生並みの奥手なカップルだったりするのだ。
だからといってただ単に駐屯地内デートをしているから有名であるわけではない。
実はこの二人、そこら辺のさわやかイケメンやアイドルにも引けを取らないルックスを誇る。
啓太にいたってはぶっちゃけファンも結構多い。ただ啓太の趣味を知った婦人自衛官はたいていファンの座から退いていく。その啓太の趣味とは「毎月通帳の残高を見て喜ぶ」というものだったりする。ただでさえ駐屯地の中に縛り付けられている営内者、それなのに外出なんてろくにせず通帳残高をみて喜ぶなんて変態極まりない、というのがファンの座から退く婦人自衛官の本音だったりする。
そして恵里菜の方は、そのトレードマークになりつつある黒縁眼鏡を銀縁や細めのフレームに変えるだけでも全く違って見えるのだが、眼鏡をはずしたりコンタクトレンズにした時の彼女のルックスは、街を歩く男女問わず思わず振り返ってしまう、それくらいのルックスであり、かつて天神で同期の婦人自衛官と遊びに出た際、超有名アイドルの方がかすんで見えたという逸話を持つほどであったりもする。
そんな二人であるからして、この二人を知らないという人間はモグリであるともいえるわけで、つまるところ駐屯地の安全保障に多大に寄与していたりもする。
もちろん二人はそんなことちっとも、まったく、全然考えていなかったりもするわけだが――。
隊員食堂前――
自衛隊の隊員食堂には、大きく分けて「一般隊員食堂」と「幹部食堂」の二種類がある。啓太も恵里菜も同じ三等陸曹であるため、二人が入る食堂は「一般隊員食堂」の方になる。
隊員食堂前にはすでに多くの隊員が並んでいる。
それもそのはずでこの福岡駐屯地は第4師団司令部、第19普通科連隊、第4後方支援連隊、第4通信大隊という4師団の主力部隊に加えて方面隊直轄として会計隊、警務隊、そして啓太の所属する第304基地通信中隊、そして駐屯地毎に存在し、恵里菜の所属部隊である駐屯地業務隊が駐屯し、その隊員数は2000人を超える大きな駐屯地であったりする。
なので、隊員食堂もかなり大きいし並ぶ隊員の数も半端ない。
また、陸上自衛隊は海上自衛隊や航空自衛隊と違い、いわゆる調理部隊は存在せず、各部隊毎に人員を出しあって隊員の食事を作っているのである。これにはもちろん理由があって、陸上自衛隊は任務上あらゆる場所にキャンプを張ることがあり、そのキャンプ毎に食事も作らなくてはならない。そういった性質を持っているため調理部隊は存在していないのである。
また、このような陸上自衛隊の自己完結型駐屯を行う性質は災害発生時には被災者に対する食事面や衛生面でもかなり役に立っていたりもするのである。
隊員食堂前の列に啓太と恵里菜も他隊員と同じく列に並び、入場順番が来ると二人してこれでもかと爪の先から指の股までしっかりと石鹸で洗う。もちろんこれは二人が特別というわけではない。なぜかというと手洗いをしっかりしたかどうかをチェックする隊員がいて、しっかり手洗いができてないと判断されると、再度手洗いをさせられるからというのが大方の隊員の本音であるが、まあ二人とも基本的には多少なりとも潔癖症なところもあるので、他よりもしっかり目に洗っているといったところなのである。
手洗い場から食堂の中に入った二人は、それぞれに盆、箸、湯飲みカップを取って奥に進む。
配膳場まで行ったところで、料理場から恵里菜に声がかかる。
「恵里菜、今日も食堂デート?」
「いいでしょ!」
からかいの言葉にもなぜか胸を張り鼻高々になる恵里菜――。
こういうちょっと(?)天然なところも恵里菜と啓太のカップルが有名になっている点であったりもするのだが、本人は全く気が付いていなかったりもする。
天然ってスゲー――
膳を取って、食堂中央に大量に盛られたご飯をよそってお茶も仕入れた二人は、窓際に空いてるテーブルに向かい合うように席に着いた。
席に着いたとたん、二人の空気に充てられる周囲に隊員たち。そんな二人のテーブルに駆け込んでいく一人の命知らずがいた。
「鳴無三曹!」
それは、今朝啓太と共に夜勤を下番した隆太であった。
「あいつ、アホやろ」
「命知らずな奴が一人逝ったな」
そんな言葉が隆太に向けられるが、当の隆太にとっては全く関係なかった、というか何も考えていないというのが正しいところであったりもする。
「安川士長、今日は珍しくこっちなんだな」
「はい、鳴無三曹と下川三曹が見えたので
隆太は、明け勤の時はそもそも昼食を取らないか、
「安川士長、夜勤大変でしょ?」
恵里菜が隆太を気遣っている風に言うが、その眼は笑ってはいない。そりゃそうだろう。大好きな彼氏との逢瀬を邪魔されたのだから笑顔でなんていられないのもわかる。
「いえいえ、そんなことないですよ。下川三曹の可愛い顔も見れましたし」
「そんなお世辞言ってもなんも出ないよ?」
「いやいや、鳴無三曹と一緒の時の下川三曹ってめっちゃ可愛いですよ。俺が工事に行ってもほぼ無視されますし」
と、隆太は「アハハ」と笑って言うが、
「やっぱこいつ馬鹿だわ」
という言葉に隆太を見る隊員が皆大きく頷いていた。
邪魔な一人を加えての昼食デートを終えた二人と一匹は、男子営内隊舎へと向かい、隊舎入り口で恵里菜は二人と別れた。男子営内隊舎は女人禁制であるため、特別な理由がない限り入ることはできない。あくまで倫理的に。
隊舎内で隆太と別れた啓太は自室に戻ると、ラジオのスイッチを入れベッドに寝転がった。
隊舎内において、個別のテレビやパソコンなどを持ち込んではならないというのは一昔前の話である。今は申請さえ行えばテレビやパソコン、ゲーム機器の持ち込みも可能である。ただ、その電気使用量は給料から天引きされる仕組みになっている。
啓太も持ち込みのテレビはあるものの地上波の番組を見ることはあまりない。というのも自衛官には「政治的活動に関与しない」という宣誓がある。そのため啓太はあえてできうる限り世俗と切り離れた生活をしようとしているだけの話である。もちろん見る隊員もいる。政治番組からアイドル番組、バラエティ番組にスポーツ番組と――。
ラジオを聴きながらウトウトしていたら、スマホの通知音が鳴った。
スマホを開いてみると緑色なメッセンジャーアプリに明美からメッセージが届いたという通知が来ていたので、何かあったかとアプリを開いてみると、今朝明美から渡されたレストランの件で再来週の土曜日の夜に明美が啓太の名前で予約を入れたから行くように、という連絡というか圧力だった。
「あーそういや安川士長の乱入できれいさっぱり頭から吹き飛んでしまってたわ――」
と、ちょっと言い訳をして――しかもすでに予約を入れられてしまっているから仕方ないと、啓太は恵里菜をレストランに誘うメッセージを恵里菜に入れたのであった。
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