嫩目線での乗馬

 私はずっと期待されてきた。両親が二人とも少し乗馬ができるからって、周りはずっと私も乗馬ができると当たり前のように思っている。それがとても息苦しかった。過度な期待から逃れて自由になりたかった。


 でも、動物は大好きで、ただ馬に乗っているだけなら心地よかった。なにも考えないで頭を空っぽにして乗るのは楽しかった。そう、ただ乗っているだけなら楽しかったのに。いつからか、ただ乗ることすら嫌になってしまっていた。


 ☆ ☆ ☆


「……ば、嫩? ちゃんと聞いてるか?」

「……へ? あー、ごめんなさい。なんだった?」

「お前最近ヘンだぞ? どうしたんだ?」


 そうだ。私は今、夕陽ちゃんと一緒に馬具の手入れをしていたんだった。ちょうど鞍を磨き終えたとこらしい。でも手を動かしていた記憶がほとんどないから、夕陽ちゃんがやってくれたのだろう。夕陽ちゃんは口と態度が悪いけど、根は悪い子じゃないから。


「なんでもないわ。ほんと……ごめん」


 同い年だけど、あまり親しくはない人に悩みなんて打ち明けられるわけもなく、私は口をつぐんだ。この乗馬クラブは子ども同士の上下関係がない。だからすごく年下の子から〝年上〟として敬われたことは一度もない。まあ、その代わり私自身が脚光を浴びているんだけど。だから、それが嫌だった。年上年下関係なくフレンドリーな分、私に浴びせられるキラキラした視線がより近くに感じられてよりプレッシャーを感じるから。でも私は、天才でもなんでもないのだ。みんな、私を放っておいてほしい。


 でも、夕陽ちゃんと話している時だけは、自分が自然体でいられる気がした。気を張る必要がないというか、変に気負わなくてもいいというか。私と夕陽ちゃんの乗馬スキルはほぼ互角。私の方が長くやっているから、多少は私の方が上だと思うけど。それでも夕陽ちゃんは最初から、私に〝憧れ〟の感情を向けることもいだくこともなかった。なぜかそれが、とても楽に感じられたのだった。


 ☆ ☆ ☆


「……っと、よし。お仕事終わったわね」


 夕陽ちゃんが手入れしてくれた鞍を元の場所、鞍置き場に戻して一息つく。さて、これからどうしようか。馬に乗せてもらうのは終わったし、先生に指示されていたことも終わった。まあ、ようするにヒマなのだ。


「馬の様子でも見に行こうかしら」


 そう決めて、ヒマつぶしに馬とたわむれてこようと思った。そう、ヒマつぶし。決して馬が好きすぎるがゆえに馬に囲まれたいとかではない。ただのヒマつぶしだから。自分に言い聞かせるようにしながら厩舎の中を歩く。


 とても静かだ。人目もそんなに感じない。静かなのはいいことだ。だれにもなににも邪魔されていないと感じるこの空間が、私は好きだ。よけいなものが混じっていないというか、自分のことにだけ集中できるというか。自分一人だけがこの世界にいるような感覚が私にとって落ち着くものだった。馬の中には馬房の前を通りかかっただけで噛みつこうとする子もいるから、真ん中を通らなきゃいけないのは落ち着かないが。できれば端っこの方を通りたい。


「……この子でいいか」


 一番目にとまったのがこの子、フラワーシャワーだった。他にもいろいろ気になった子はいるが、今日はフラワーシャワーの気分だったのだ。白い毛並みは薄暗い馬房の中で目立ちすぎるほど輝いている。いつもなら目立つものは毛嫌いするのだけど、今の気分が白馬とたわむれたいからとしか言いようがない。気分が変わることなんて日常でよくあることだ。そういうことにしておこう。世の中には言葉で説明できないことが山ほどある。


「フラワーシャワー」


 私がためらいがちに呼びかけると、ゆっくりとこっちに向かってきてくれた。なにかいいものをもらえるとでも思っているのだろうか。心なしか、キラキラと期待した目を向けられているような気がした。


「う……その目はやめて……」


 一応餌付けのための角砂糖はポケットに入れてきているが、そのことに気づかれたのだろうか。もしそうだとしたら、いったいどんな嗅覚をしているのだろう。人間よりそういった感覚はすぐれているだろうからわからなくもないけど。


 でも、まずは餌付けなしでどこまで仲良くなれるか試してみたい。フラワーシャワーの期待のまなざしらしきものを振り切って、ゆっくりと手を伸ばす。ドキドキと心臓の鼓動が大きくなっていく。心のままに撫でまわしたいという欲求が生まれてくるが、ここはガマンしないと。撫でられるのが嫌いな子だっているし、しつこくされると嫌われてしまうこともある。だからそーっと、優しく、軽く撫でないと。決して撫でまわそうとしたら抑えがきかなくなるから、というわけではない。重要なことだからいくら言っても言い足りない。これは、ただのヒマつぶしだということを。


「お……おぉ……」


 結論から言うと、フラワーシャワーの触り心地は最高だった。他の子はみんなつるつるしていたり筋肉質なことがわかるような触り心地なのだが、フラワーシャワーはもふもふという言葉がよく似合う。私の癒し担当にしてもいいくらいだ。


「はっ!」


 なんということだ。一瞬にしてトリコになってしまった。天までのぼってしまうような極上の触り心地。たくさんの子をなでなでしてきたけど、こんな感触は今まで一度も味わったことがない。手が吸い寄せられるようだった。


「いけないいけない。私としたことが意識を持っていかれるなんて……」


 どこかしてやったりといった顔をしているような気がするフラワーシャワーを撫で続けながらつぶやく。手が吸い付いて離れない。額から首へ手が伸び、気づいたら抱きしめていた。


 とてもあたたかい。人間より体温が高くて人間より大きい馬は、まさに巨大カイロのようだった。肌寒い時期には本当にありがたい。冬には暖房代わりになるから優秀だ。


 なんでそんなこと知ってるかって? それはもちろん、たくさん馬のことについて勉強したからだ。自分の実体験ではない。こんなこと、いつもならやらない。本当だ。私はフラワーシャワーのあたたかさに夢中になっていて、こちらに向かってくる足音に気づけなかった。


「あ、嫩さんまたやってる」

「いつもいつも飽きないよな〜。この前なんてハナカンムリにキスして」

「私が! いつ! そんなことをしたと!?」


 たまたま通りかかったのだろう二人組が、私のことを見てくすくすと笑っている。私は恥ずかしさに耐えられなくて叫んでしまった。せっかくわざわざ人目を避けてきたのに、それがまったく意味のないことだと知ってショックを隠せなかった。私がコソコソしてきたのはなんだったのか……


「でも、そんなに馬のことが好きだから乗馬がうまいんだろうな」

「うんうん。すっごくうらやましいよ。あ、嫩さん、また今度馬のことについていろいろ教えてほしいな。はやく嫩さんのようになりたいから」

「……わかったわ」


 一応うなずいてみるも、内心「教えてほしい」と聞きに来ることはないんだろうなと思った。前にも何人かから似たようなことを言われたことがあるが、そのあと聞きに来た人は一人もいない。みんなそこそこ楽しく乗れればそれで満足なのだと思う。大会の優勝を本気で目指している人なんて私と夕陽ちゃんくらいだろう。でも、習い事なんてそれくらいでいいのかもしれない。本気でやってつらくなるよりは、よっぽどいいだろう。私は小さい頃からずっと本気でしかやらせてもらえなかったから、ほどほどに楽しめることがうらやましい。


「じゃあね〜」

「ほどほどにしとけよ〜」

「余計なお世話よ!」


 ツッコミもほどほどに、二人組と別れる。あの二人とはそれほど仲がいいわけではない。たまに馬や馬具のことについて話す程度だ。嫌われてはいないが、好かれてもいない。友だちというより、知り合いに近い。というのも、おそらく本気で取り組んでいる人と楽しんでいる人とで線が引かれているんだと思う。教室でも、頭がいい人同士のグループ、運動神経がいい人同士のグループとかで別れがちだ。価値観や考え方が同じ人の方が一緒にいて楽しいだろう。そういうことだと思う。まあ、私は夕陽ちゃんとも特別仲がいいわけではないけれど。


「……帰ろうかな……」


 日が落ちかけて、風の冷たさが増す。私の心を表しているかのように、厩舎の中は真冬のように冷えきっていたのだった。


 ☆ ☆ ☆


 翌日。先生に言われてフラワーシャワーに乗っていると、見知らぬ女の子が私のことを見ていた。もしかして、見学の子だろうか。ここしばらくは見知った顔の子たちしか集まらなかったため、少し……ほんの少しだけ興味を引かれた。


 その子は私が障害を跳ぶたびに目を輝かせて、柵から身を乗り出していた。もっと近くで見たいと言わんばかりの様子だった。フラワーシャワーもあの子が「すごいすごい」とはしゃいでいるのを見て、楽しげにしているのがなんとなくわかった。「もっとわたしを見て」と言っているかのようだ。いつもは気性が荒くて乗りこなすのが難しいのに、今日は指示を出しやすい。


「やぁ……っ!」


 最後の障害を跳び超えると、その子はいなくなっていた。少し気になってキョロキョロ見回していると、先生と話している姿をとらえた。女の子はさっきと同じようにキラキラした目で話していて、先生は若干引いているように見えた。その目には見覚えがある。ずっと私がやめてほしいと願っているものだ。それなのに、どうしてついついその顔を見てしまうのだろうか。私にとって不要なもの。それなのに……


「……自分がわからない……」


 考えても考えても答えが出ず、考えるのをあきらめた。

 そのあとフラワーシャワーと軽い運動を終わらせ、洗い場まで引き連れて歩く。その時、厩舎の中を通っていくこともよくあるが、今日はそのルートを選択しなかった。厩舎の中からさっきの女の子の声が聞こえてきたからだ。見ていて嫌な気がしなかったとはいえ、ああいう子と関わるのは少し嫌気がさす。あの子もきっと私にプレッシャーをかけるだけかけて遠くから見ていることに満足するような人なのだろう。そう勝手に決めつけるのはよくないかもしれないけど、なぜだか関わるつもりはまったくなかった。……なかった、のに。


「あ、あの……っ!」

「え……」


 私の姿をひと目でとらえたのか、ものすごい勢いで駆け寄ってきた。なにか大事な用でもあるかのように真剣な目つきをしている。どうせまた、他の人と同じようにプレッシャーをかけるだけかけて終わりって感じなのだろう。


「わ、私、高宮沙織っていいます! 今日からよろしくお願いしますっ!」

「見学じゃなかったの?」

「え?」


 しまった。挨拶を返すより先に疑問が先に口からこぼれてしまった。変なやつだと思われていないだろうか。

 というのも、だれもは最初、見学に来て実際馬に乗ったり触れ合ったりしてから通うかどうか決めている。一回乗っただけでそのあと来ることのない子だってたくさんいる。この子はまだ馬に乗っていないはずだ。それなのにどうして……


「そのつもりだったんですけど……でも、お姉さんと馬のかっこよさに惚れたというかなんというか……」

「そう……」


 やっぱり、この子も同じだ。他の子とは違うんじゃないかと思っていたけど、結局は同じだった。少し残念な気持ちになりながらヘルメットを取る。その時風が吹いて、私の長い髪がぶわっと広がって顔にかかってしまった。先輩としてカッコつかないが、どうせ今後はそんなに関わることはないだろう。顔にかかった髪を元に戻しながら、軽くほほえむ。


「あたしは渡島嫩。よろしくね。それと、ここの代表者ってわけでもないけど……ようこそ、花園乗馬クラブへ」

「わぁ……! ありがとうございます! 私、いつか嫩さんに追いついてみせますね!」

「……っ!」


 〝追いついてみせる〟……その言葉に、笑顔が崩れる。どういう意味なのだろうか。


「こら、沙織! 勝手に一人で突っ走らないの! いろいろ手続きがあるんだから……」

「あ、お母さん。えへへ、ごめんなさーい」

「まったく反省してないように見えるけど……あ、ごめんね。うちの子、迷惑かけてない?」

「えっ? ……あ、いや、そんなことはないですよ」


 突然こっちに話を振られて戸惑った。どうやらこの子は一人で暴走するくせがあるらしい。なんとなくそんな雰囲気が見て取れる。


「今日はもう帰りましょう。少し見学しようと思っただけだし」

「えー、まだここにいたいんだけどー」

「まだ他の用事あるのわかってるでしょ? いいから帰るわよ」

「はーい……」


 不服そうにしながらおとなしく帰っていく。嵐のような二人だった。なんだか疲れがおそってきたが、まだフラワーシャワーのお世話をしていない。頑張ろうと力を振り絞ったが、いつもより時間がかかってしまった。


 ☆ ☆ ☆


 それから一ヶ月くらい経ったが、その子……沙織ちゃんの成長スピードは恐るべきものだった。初めは一人で馬に乗ることすらこわがっていたのに、もうムチを持って馬を走らせることができている。それどころか、『ジムカーナ』といって高さは全然ない障害の競技もある程度はできるようになっていた。さすがにまだ大会には出ていないけど。でも、そんな沙織ちゃんから目が離せない。


「ふー、今日も楽しかったぁ……!」


 なにより乗馬を心の底から楽しんでいる様子に、嫉妬のような感情もわいてくる。私は心の底から楽しんだことは一度もないのに、どうして……と。


 こんな自分が嫌になってくる。相手は初心者だぞ。子どもの中では一番上手な私がなんでそんな子を気にしているんだ。そんなモヤモヤした悩みや困惑が頭の中でいっぱいになって、それがドロドロとした黒い塊になっていくのがわかった。


「くっ……!」


 これ以上見てはいけない。でも、他の子たちが楽しく乗っていた時にはなにも感じなかったのに。なんでさくらだけ……


「……おい、嫩。お前……」

「夕陽ちゃん……?」

「いや、なんでもない。忘れてくれ。それよりお前、鏡見てきた方がいいぞ」

「え?」


 夕陽ちゃんは言うだけ言って去っていく。意味がわからない。顔に変なものでもついていたのだろうか。例えば馬のボロ(フン)とか。……もしそうなら、早急に顔を洗ってこないと。そう決めて、洗面所に向かった。いつもより足早になっていたと思う。理由はよくわからない。でも、今の顔をだれにも見られたくなかった。


 ついに、その理由がわかった。鏡で自分の顔を見てみると、目に涙がたくさん溜まっていたのだ。次から次へ溢れ出してとまらない。なんなんだ。私は一体、どうしちゃったんだろう。


「う……うぅっ……」


 くやしい。ただひたすらくやしい。なんであそこまで自由に楽しめるんだろう。あの子に先を越されたくない。……ん? 私は今、なんて……?


「……あの子が、私を越える存在だと思ってるってこと……?」


 こんな思いは初めてで、ひどく戸惑った。まだ初心者の沙織ちゃんにそんなことを思うだなんて。しかも、夕陽ちゃんにさえ先を越されることはないだろうと自分では思っていたのに。


 でもきっと、心のどこかで楽しく乗馬している子たちを見てうらやましく思っていたのだろう。それが積もり積もって今に至ったに違いない。沙織ちゃんを見て涙が込み上げたのは、ちょうどその時だったからで、特別なことはなにもない。


『追いついてみせますね!』


 ……本当に、なにもないのだ。多分。


「はぁ……早く戻らないとなぁ……」


 頭ではわかっているが、なかなか戻る気になれない。このままここでだれにも見られず過ごしたい気持ちがわいてくる。でもトイレなんて、いつだれがどのタイミングでやって来るかわからない。だから、早く戻らないといけないのだ。


 だけど、どうしても足が動かない。足が自分のものじゃないように、まったく言うことを聞かなくなってしまった。私は自分の足すら自由に動かせないのか。私に自由は与えられていない。それがわかった時、また涙が止まらなくなってしまった。私だって自由に生きたい。自由がほしい。でも、親に言ったところでどうせわかってもらえない。


「おい、よせって」

「だって気になるもん。放っておけないよ!」


 夕陽ちゃんと沙織ちゃんのやかましい声が聞こえてくる。その声がだんだんと大きくなってきて、二人がこっちに近づいてくるのがわかった。どうしよう、どうして、こっちに来ないで、そんな不安と困惑と拒絶が入り乱れる。とりあえず、焦る中で必死に涙をぬぐった。


「嫩さーん。いますかー?」


 コンコンと扉がたたかれる。それだけで、無意識に肩がビクッと震え上がってしまった。どれだけ臆病になっているんだ、私は。でも、先輩としての威厳を失うわけにはいかない。


「放っておいて」


 できる限り冷たくあしらって、なるべく寄せ付けないようにする。そうすれば、二人は私の近くには来ないだろう。今まで一番きつくて冷めた声を出せたと思う。……私の中では。


 本当に放っておいてほしい。なんで二人とも、人の心に土足でズカズカ入り込んでくるのだろうか。多分夕陽ちゃんは巻き込まれただけだと思うけど。沙織ちゃんは本当に遠慮がない。他人のことを自分と同じだと思っているのではないか、と疑うほどだ。他人に踏み込むということがどういうことなのか、まるでわかっていない。私は一人でいい。……一人が、いい。


「……これでいこう」

「え、大丈夫かな」

「信じろって」


 沙織ちゃんと夕陽ちゃんがなにやら話している。なにか企んでいる感じだ。扉越しでなにを話しているのかはいまいち聞き取れなかったけど、きっと私をおびき出す作戦を思いついたのだろう。悪いけど、私はなにを言われてもここから出ない自信がある。来るなら来なさい!


「た、大変だ……! フラワーシャワーの様子が……!」

「え、ど、どうしよう……」


 ……これで演じられていると思っているのだろうか。夕陽ちゃんはまだしも、沙織ちゃんはほとんど棒読みだ。


「はやくしないと大変なことに……!」

「前脚かいてる音が聞こえるよ!」


 前脚をかく……その行為は、主に馬がなにかしらの欲求を伝えたい時にするものだ。大抵はエサがほしくて前脚をかくことが多い。馬によっては、前脚をかいている部分だけ土が削れてコンクリートがむき出しになっていることもあるほど。

 ……本当に、この子たちはおせっかいすぎる。


「あ、嫩さん……っ!」

「フラワーシャワーが大変なんだ。はやく来いよ」

「芝居だってことくらいわかってるわ。……というか、もっとマシなのは思いつかなかったの?」

「あ、あはは……いくら嫩さんを外に出すためとはいえ、ウソはつけなくて……」


 私はため息をつく。本当にこの二人はバカだ。そんなバカに付き合っている私もバカということになるかもしれない。でも、私を見捨てないでいてくれる二人には、自分のことを話してもいいかなと少し思った。あまりの変わり身のはやさに、自分でも驚いた。


「二人とも、もうやることはなにもないわよね。話したいことがあるの。……ついてきてくれる?」

「もちろん! ん? でも、ここじゃだめなの?」

「僕たちだけに話したいってことだろ。ここだとだれが来るかわかんないし」


 夕陽ちゃんは言いたいことをすぐに理解してくれるから、話がはやい。


「そう。だから、だれも来なさそうなところへ案内するわ」


 ☆ ☆ ☆


 花園乗馬クラブは、なにかの工場が密集しているところに存在する。さすがに密集地帯から少し離れてはいるものの、なにかの作業をしている音がうるさくて集中できないこともある。


 しかし、その中にも自然はあるもので、ボロ(馬のフン)を捨てる場所のすぐ近くに森に入れる入口みたいなものがある。その入口はせまくて見つけづらいせいか、だれかが入っていくところを見たことがない。だからこの場所を選んだ。他にだれも来ないなら、静かだし好都合だ。


「……それで、話ってなに?」


 だれも口を開かない状況にしびれを切らしたのか、沙織ちゃんがおそるおそる尋ねてくる。もう少し人のペースというものを理解してもらいたいものだ。別にいいけど。


「私、ずっと人の期待する視線が嫌いだった。うっとうしかったの」

「え……ってことは、私のこともきらってたってこと!?」

「人の話は最後まで聞いて」


 沙織ちゃんのことは別に嫌いではないが、こういうところがうっとうしく感じる。夕陽ちゃんはというと、木の棒で地面になにか描いている。巻き込まれたくないという思いが伝わってきた。気持ちはわかるけど、少しは助けてほしい。沙織ちゃんの口をふさぐ手助けをしてくれてもいいと思う。


「私は動物が好き。馬が好き。だから親のすすめで乗馬クラブに入っても、まったく苦じゃなかった。でも……いつからか、私に期待する視線が重荷に感じるようになってしまった」


 私はそこで言葉を切って、空を仰いだ。どこまでも続く真っ青な空に背中を押され、沙織ちゃんに言う。


「沙織ちゃんの楽しそうな様子を見て、私は泣きたくなった。私はプレッシャーで押しつぶされそうなのに、なんであの子はあんなに楽しそうに自由でいられるんだろうって……羨ましかったわ」

「嫩さん……」

「でも、そんなの勝手にすればいいだけよね。私が勝手にプレッシャー感じてるだけなら、勝手に楽しんだっていいの。そうでしょ?」

「え、えっと……そうですね?」


 沙織ちゃんは私の話がいまいちわかっていないようだったけど、それでいい。自分の気持ちを言葉にしたかっただけだから。自分の気持ちをだれかに話すことなんて初めてだ。夕陽ちゃんの様子を見てみると、素っ気ない態度は変わらずだったが、その表情が少しだけ柔らかくなった気がした。夕陽ちゃんも、もしかしたらあたしのことを気にしてくれていたのかもしれない。そんな人たちを遠ざけようとしていたなんて、私は大バカだ。


 空は青く澄み渡っていて、傾きかけた太陽が一部をオレンジ色に染めあげていた。私の気持ちはこの空のように晴れている。もう、私は乗馬から逃げない。楽しむことを恐れない。だってあたしは、馬が好きだから。


「私は、あなたたちを追いつかせない」

「ふっ、上等だ。僕だっていつまでも二番手にいるわけにはいかないし」

「え、え、よくわかんないけど……私だって嫩さんに追いつきたい! 追いつくだけじゃなくて、追い抜けるようになりたい!」


 私たちの絆のカタチが、今はっきりと見えた気がした。私は楽しくて嬉しくて、今なら空も舞えるんじゃないかと思うほど心が弾んだ。きっと、私たちはよきライバルになれるだろう。今は私の独壇場だけど、遠くない未来に叶うはず。冬も真っ只中の時期なのに、心がポカポカで寒さなんて感じられなかった。


 ☆ ☆ ☆


 そして、ついにその時がやってきた。長かったような短かったような……私ははやく二人と戦いたくてうずうずしていた。


「ようやく、嫩さんと同じ競技に出られるんだ……!」

「はやくだれが一番上なのか決めてぇな」


 二人はあたしを意識している。私も二人を意識している。もっとはやくにこのカタチになればよかったんだ。私は競い合うライバルがほしかっただけなのだと、ようやく気づくことができた。なんでこんなにも時間がかかってしまったのか……それはきっと、私がよけいな意地を張っていたからに違いない。

 私が考え込んでいると、沙織ちゃんが肩をトントンと叩いてきた。


「嫩さん、行こう……!」

「……ええ。まだあなたたちに追い抜かれるつもりはないわ!」


 沙織ちゃんは笑顔で言う。私も不敵な笑みを浮かべ、フラワーシャワーの元へ向かった。今日がどんな結果になろうとも、私は……私たちはこれからも戦い続けるだろう。最高のライバルとして。

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