幽霊
私はいつも通り、静かに読書していた。本を読むのは結構好きだ。
休み時間にくだらないことを言い合えるような人もいないから。
教室に……というか、この学校に友人と呼べる人は誰ひとりいない。
だけど、私はそれでいいと思っている。友だちなんていなくても生きていける。むしろ人間関係なんて煩わしいだけだろうに。
「お、どうした沙織。相変わらず暗い顔してんなぁ」
「ほんと前髪長いよねー。鬱陶しくないー?」
「何読んでるのぉ? 私にも読ませてぇ」
……鬱陶しい人たちがやって来た。
この三人は、六年三組の中で一番力があると言っても過言ではない。社交的で、誰にでも分け隔てなく接している印象がある。
私も嫌いではないんだけど、どうにも好きになれない。
ズケズケと話しかけに来られるのは、自分のペースが乱されるみたいで苦手だ。私は誰とも喋らず静かに読書をしたいのに。
そんな私の気持ちなんかお構い無しに、三人は口々に言う。
「そういえばさ、幽霊が出る廃病院のうわさ知ってるか?」
「あれだよねー? 結構なイタズラ好きらしくて顔に落書きされたり、女子のスカート捲ったりするんでしょー?」
「でも実際に見た人はいないんだよねぇ?」
なにその幽霊。人間っぽさ満載じゃないか。
スカートを捲るなんてそんな現場、私は見たことすらないのに。……まあ、それは置いといて。
そういう話は私がいないところでやってほしい。
私は別にいてもいなくてもいいじゃん。わざわざ私を交える必要はあるのかな?
「……はぁ……」
「お? どうした、沙織。ため息なんかついて」
「え、いや、別に」
「あー、わかった! お前幽霊苦手なんだろ。可愛い顔してて気弱そうだもんな」
「ち、ちがっ……!」
なんでこの人たちは私の顔のことをいじりたがるんだ。そんなに可愛いかな。この人たちに言われてもあんまり嬉しくないけど。
私が困っていると、追い討ちをかけるようにさらに話が進んでいく。
「そうだ。沙織の幽霊嫌いを直そうぜ」
「おー、いいねーそれ。嫌いなものなくすのはいいことだしー」
「決まりだな。絶対来いよ!」
「え、えぇ……?」
そのふざけた提案はなんなんだろうか。正直行きたくない。面倒くさい。
でも……興味はある。話を聞いている限りでは、その幽霊は怖くなさそうだからだ。だけど、もしその情報が間違ったものだとしたら……
考えたくない。だけど、あらゆる可能性は考慮しておかないと。
行きたくない気持ちの方が勝っているから、断った方がいいだろう。断るしかない。
「わ、私は……」
そこまで言って、ふと考え直す。クラスで人気のあるこの三人の誘いを断ったら、他のクラスメイトたちからなにか言われるかもしれない。
そんなことはないと思いたいが、絶対ないとは言いきれない。前に他のクラスで、人気者の誘いを断ったら「あいつ調子に乗ってる」とか「誘いを断るなんて何様だ」とか陰口をたたかれたと聞いたことがある。
それは嫌だ。ただ一人でいるのと、陰口をたたかれながら一人でいるのとは訳が違う。
このクラスではどうなのかわからないけど、断らない方が身のためなのかもしれない。
私はそう結論付けて本を閉じ、「行くよ」と答えた。
☆ ☆ ☆
三人と話し合い、一旦家に荷物を置いてから廃病院へ行こうということになった。
幸い、家から廃病院まではそこまで離れていない。それは面倒くさがり屋の私からしたらありがたかった。
そして途中の道で三人と合流してたどり着いた廃病院は、その名にふさわしいくらい不気味だった。
人気がなく、木々が鬱蒼としている。草が伸びきっていて、手入れがされていないことがわかる。昨日雨が降ったばっかりで、土がぐちゃぐちゃしてて歩きにくい。
私たちが通っていないところにも足跡があるため、他の誰かが前に来たということを示している。
わざわざ来るなんて、よほどのオカルト好きか物好きな人なのだろう。私はそのどっちでもないわけだけど。
「寒っ……!」
今は9月に入ったばかりで、まだまだ暑いと感じていたのに。一気に秋に変わったような、そんな寒さがある。
さすがの三人も変だと感じたみたいで、お互いに顔を見合わせている。
「なんか……気味悪いな……」
「確かにー……ほんとに噂通りの幽霊なのー?」
「もしかしたらめっちゃ怖い幽霊だったりしてぇ……」
私もそう思った。もう帰った方がいいんじゃないかと、そう思っていたのに。
「でも、こっちの方が断然面白そうだよな!」
三人のうちの一人が、目を輝かせながら言った。すると、あとの二人もそれに続くようにうなづく。
「だよねー! なんかあった方が幽霊がいるって感じあるしー!」
「てか、そろそろ中に入ろうよぉ。ここ寒すぎだよぉ」
そこでなぜ中に入るという選択肢が浮かび上がるのだろう。おそらくこの廃病院の近くだけが寒いだろうから、ここを離れればいいだけなのに。
そんなに幽霊を見たいのか。私には理解できない。それよりも早く帰りたい。
でも、少数派の意見なんて聞いてくれるわけがないから、おとなしく三人について行くことにした。何も起こらないことを祈りながら。
☆ ☆ ☆
大きな扉を開け、廃病院の中に入る。
すると、今度はじわっと梅雨のような蒸し暑さがある。一体どうなっているのだろう。
幽霊がイタズラ好きという情報が本当なら、私たちが寒がったり暑がったりしているのを見て楽しんでいるのだろうか。それは、少しありえる気がした。
私も幽霊になって何か不思議な力が使えたとしたら、人にちょっかいを出して遊ぶかもしれないから。人が困った顔をしたり焦った顔をしたりしているのを見るのは楽しいと思う。まあ、生きている間はやらないだろうけど。
「って、あれ?」
人が困った様子を想像していたら、いつの間にか三人とはぐれてしまった。
ここはロビーで、見晴らしがいい。それに、三人が移動すれば足音が聞こえるはずだ。それに声も。
だから、はぐれるなんてありえない。もし、ありえるとしたら……
「もしかして、幽霊が……?」
それしかないだろう。三人がどうなったのかはわからないけど、逃げるしかない。
私もどんな目に遭うかわからないから。
私はくるりと向きを変え、外へ向かって走る。入ったばかりのはずなのに、やけにさっきの扉の位置が遠い。僕の感じ方がおかしいのか、それとも幽霊の力とかで遠くなっているのかわからない。
それでも、自分の足がもつれそうになっているのはわかった。怖いという感情が、体を強ばらせて思ったように動かせない。
「はぁ……着いた……って、あれ?」
血の気が引いた。扉にたどり着くことはできたが、外に出ることができない。入る時は簡単に開いた扉が、今ではビクともしない。
「な、なんで……」
「ふふっ、あははっ!」
私が困惑していると、どこからか笑い声が聞こえた。声の高さからして女の人だろう。どれくらいの年齢かはわからないけど。
だけど、きっとその声は幽霊が発したものなのだろう。直感だけど、私にはなんとなくわかった。笑い声のタイミングが良すぎたから。
おそらく、幽霊は私の反応をどこからか見ていて楽しんでいるのだ。生きてる人間ももしかしたら肝試しとかでここに来ているのかもしれない。でも、そういう人はこんなところで笑い声を上げるだろうか。
とりあえず、何をしても扉が開かないことはわかった。ならば、行くしかない。私は覚悟を決め、幽霊がいそうなところを探そうと試みる。
声は上の階から聞こえた。でも、もうどこかに移動してるかもしれないから当てにならない。
「うふふ、こっちよ」
そう思っていたら、またあの声が聞こえた。今度は……背後から。恐る恐る振り返ると……
「わっ!」
「うわぁ!?」
急に驚かされ、私は尻餅をついた。
「うふふっ。その反応サイコーね」
やけに明るい笑い声。さっきの笑い声とそっくりだった。というよりも、声は全く同じだ。
私は改めてその子を見る。暗闇に真っ白なワンピースが映える。切れ長な瞳で、私と同い年くらいか少し年上に見える。
そして何より、暗闇でも艶があって整っていることがわかる短い黒髪に目がいく。とても綺麗で全部が生き生きしているから、とても幽霊には見えなかった。
それよりも、移動スピードが速すぎる。幽霊の力は瞬間移動も可能なの?
「はじめまして。私のことが見える人みたいね。こういうの久しぶりだなぁ……これでしばらくは退屈せずに済むかも!」
その子は犬がはしゃぐ時みたいに、いまだに尻餅をついて座っている私の周りをぐるぐる回る。
その時、その子の足先がないことに気づいた。やはり、この子は幽霊らしい。
「……はじめまして」
人とあまり会話したことがないから、私はそれしか口にできなかった。それでもその子は満足したみたいで、にっこりと微笑む。
「うふふ、私は嫩っていうの。よろしくね」
「よ、よろしく……」
幽霊とはいえ、同世代くらいの女の子とどう話したらいいのかさっぱりわからない。でも、その子……嫩さんは、そんなことお構いなしに友だちと話すみたいにぐいぐい来る。
「あなたの名前はなんていうの? もしよかったら教えてちょうだい」
「え、えっと……私は沙織……です……」
「なんで敬語なの?」
私が言葉に詰まりながら答えると、嫩さんは不思議そうに首を傾げた。
私にだってよくわからない。嫩さんの歳がわからないし、緊張したらつい敬語になってしまう。仕方ないだろう。
「まあいいわ。改めてよろしくね、沙織ちゃん!」
「こ、こちらこそ……」
嫩さんは嬉しそうに私の頭上を飛び回る。廃病院の暗い雰囲気に合っていない。
そういえば、いつの間にかじめじめした暑さが消えて、夏の夜にふさわしい過ごしやすい気温になっている。
「私のことが見えるってことは……もしかしたら私たちは運命なのかも?」
「……ふぇっ!?」
嫩さんが突然変なことを言い出した。これは、言い寄られているのだろうか。いやでも、会ったばかりなのにそんな……
確かに、嫩さんは可愛いし綺麗だと思う。
でも、幽霊となんて付き合えるわけがない。人間と幽霊は別の時間を過ごしているのだ。
断るのは気が引けたが、こればかりは仕方ない。触れられない相手とどう恋愛すればいいと言うのだろう。
「あ、別に付き合いたいわけじゃないのよ」
なぜだろう。なぜかショックを受ける。嫩さんに弄ばれているように思えて仕方ない。
でも、別にいい。どうせ私も付き合う気はなかったから。「運命」なんて言われて少しでもドキッとした私がバカだったんだ。
「あ、でも、運命なのかもって言ったのは本当なのよ? 私、ずっと見える人を待ってたの」
「……どういうことですか?」
「だって幽霊って見える人の方が少ないでしょ? だからずっと退屈だったのよ。イタズラはできても会話はできないしね」
「な、なるほど……」
私にはその気持ちはわからないけど、嫩さんがこんなに私に話しかけてくれるなら、確かに誰かと会話できないのは退屈だと感じるのかもしれない。
ふと、私はあることに気づく。
「ね、ねぇ……成仏する気はないんですか? そうすれば生まれ変わってまた友だちとか作ってお話できるんじゃないかなって……」
私の言葉に、嫩さんは「うーん……」とうなる。あごに手を当てて考えているようだ。
しばらく経って、嫩さんが口を開く。
「んー、考えたことなかったわ。幽霊になってるってことは未練があるんだろうけど、その未練がどんなものなのか覚えてないし……成仏するのは難しいかもしれないわね~……」
「そ、そうですか……」
「あっ、ごめんね? せっかく提案してくれたのに……」
「いやいや、私は全然……」
でもそうなると、手詰まりでしかない。
多分だけど、嫩さんは自分の意思でこの廃病院から出られないのだと思う。私ならもし幽霊になったとしても、廃病院にずっといるなんて耐えられないから。
それに、嫩さんは自分のことを話しているはずなのに、なぜか誰かのことを話しているような話し方だった。それなら、もう長いことこの廃病院に閉じ込められているのかもしれない。
もしそうだとしたら……私は嫩さんに同情する。自由になれないというのは、とてもつらいことだと思うから。私だって本当に自由になれたら、本なんて読まずに――
「沙織ちゃん? どうしたの?」
「……はっ! な、なんでもないですよ!」
「そう……?」
しまった。つい考え込んでしまった。ついあの三人が嫌すぎて……ん? そういえば、あの三人はどこへ?
「ねぇ、嫩さん。私と一緒に来てた三人組知りませんか……?」
「……知らないわ」
嫩さんは明らかに私から目を逸らした。これは絶対知ってる気がする。
なんではぐらかしているのかはわからないけど。
「嫩さん、ほんとのこと言ってください。そうじゃないと嫩さんがとんでもないことをしてるって決めつけちゃいますよ?」
「……し、知らないの……」
「嫩さん……」
「私、ほんとに何も知らないのよ! 沙織ちゃんのことが気になって二人で話したかったからって三人を外へ追い出したの、私じゃないから!」
自白した。しかも、嬉しい言葉まで添えられて。多分嫩さんは無意識だろうけど。
でも、なんで私なんだろう。あの三人の方が明るくて話しやすそうなのに。
まあ、あの三人が雪姫のことを見れるのかはわからないけど。それにしても、私だけこの廃病院に閉じ込める必要はあるのだろうか。
だけど、嫩さんの寂しそうな顔を見ていると、だんだんどうでもよくなってきた。
多分、嫩さんはゆっくり話せる話し相手がほしいのだと思う。私でそれが務まるかは正直わからないけど。
「私でよければ、いつでも話し相手になりますよ」
「……ほんと?」
「はい。私も嫩さんとならストレスを感じずに話せそうですし」
「ふふっ、嬉しい。私、沙織ちゃんとはいい友だちになれそうって思ってたから、本当に嬉しいわ!」
本当に心の底から嬉しそうに笑う嫩さんを見て、その笑顔が見られるなら私はなんでもしようと思った。なんでもは難しいと思うけど、私にできることならなんでもしたいと思った。
こういうのは、重い……だろうか。でも、相手のために何かしたいと思うこと自体は間違ってない……と思う。そういう相手に出会えたことが大事なのだ。多分。きっと。おそらく。
「あ、そうそう。一回試してみたかったことがあるのよ」
「はい? 試してみたかったこと……ですか?」
「うん。あのね、沙織ちゃん。体を貸してくれないかな?」
この人はいきなりなにを言い出すんだ。私の体をどうする気なんだ?
私は無意識に身を引いていた。嫩さんの言っていることが理解できなかったから。身の危険を感じたから。
「あっ、言葉が足りなかったわね? ごめんなさい。あのね、体を貸してほしいっていったのは、“憑依”ってのをして外に出られないかなと思ったのよ」
“憑依”。少し聞いたことがある。確か、魂を誰かの体に入れてその人の意識を自分の意識として上書きできる……みたいな。多分こんな感じだったはずだ。たまにその人自身の意識も残ってるみたいだけど。
「嫩さんは私を乗っ取ろうとして……?」
「……へ? 違うわよ。私のこの状態だと外に出られないみたいだから、一時的に沙織ちゃんの体を借りて外に出られないかな~って試してみたくて」
「な、なるほど。まあ、そういうことなら……いいですよ。ちょっと怖いですけど」
「ありがとう。じゃあ、遠慮なくいくわね……!」
そう言って、嫩さんはすばやく私の体に触れて溶ける。私は嫩さんと一体化しているのを感じた。
だけど、気をつけていないと意識を持っていかれそうで、今更だけどすごく危険なことをしているんだと実感した。
私がすごく気を張って持ちこたえていると、お構いなしに嫩さんが私の体を使って話しかけてくる。
「わぁ……すごいわ! 私、沙織ちゃんになってるのね……!」
『そういうのいいですから……外に出るのが目的なんですよね……?』
私はもう限界だった。それを嫩さんも察してくれたのか、急いで扉に向かってくれた。これで出られるといいんだけど。
そんな私の期待に応えるように、扉が開く。そして、私は嫩さんと一緒に外に出た。
その瞬間、私は感極まって泣きそうになった。泣きそうになっていたのは嫩さんかもしれないけど。あるいは、どっちも泣きそうになっていたのかもしれない。
私と嫩さんは文字通り一心同体になっているから、もうわけがわからなくなる。
「私、やっと外に出られたのね……嬉しい……沙織ちゃんがいてくれたから、外に出られたんだと思うわ……! ありがとう、沙織ちゃん!」
『いや、それはいいんですけど……そろそろ私の体から出てくれると……』
「あら、ごめんなさい。そうだったわね」
嫩さんは私の体からするりと抜け出て、何年かぶりの、もかしたら何十年かぶりの外を堪能している。
見渡す限り草とか木しかないけど、それでも嫩さんにとっては新鮮だったようだ。外は真っ暗なのに、目を輝かせているのがわかる。私は嫩さんの保護者になった気分で、しばらく眺めていた。そんな時、嫩さんが振り向く。
「沙織ちゃん」
「……なんですか?」
「ありがとう!」
笑顔でお礼を言われた時、私の中に暖かいなにかが生まれた気がした。心がポカポカする。だから私も少し素直になって、「どういたしまして」と言えたのだった。
☆ ☆ ☆
それから、私と嫩さんは行動を共にすることになった。というより、嫩さんが私について回っているという感じだけど。
ちなみにあの三人は、あの日の記憶がないらしい。原因も理由も不明だけど、多分嫩さんのしわざなんだろうなと思う。なぜ嫩さんが私を選んだのか、色々とわからないままだけど、これだけは確実に言える。
嫩さんのおかげで、私の世界は少し彩られた。
だから私は、嫩さんに感謝しながら、嫩さんと一緒に日々を過ごしていこうと決めた。
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