幼い頃の約束
私は、なにも知らない子どもだった。
「ねぇ、おっきくなったら結婚しよう……!」
「うん、いいよ。約束だよ?」
「うん! 約束!」
私が幼稚園に通っていた時、近所に住んでいる嫩さんとそんな約束をした。
私はその時、結婚の意味も、その約束の重要さも……なにもわかっていなかった。
☆ ☆ ☆
それから、私は小学五年生になった。五年生になっても、私のそばには嫩さんがいる。
「ねぇ沙織ちゃん、今日も手つないで帰りましょうよ」
「え……? は、恥ずかしいですよ……」
帰りの会が終わり、みんなそれぞれ自由にすごしている。
すぐ教室から出ていく子や先生とおしゃべりする子、机を向かいあわせて腕相撲をしあっている子たちがいる。
そんな中、学年が違う嫩さんは笑顔で私に近づいて手をさしだしてきた。
「いいじゃない。いつもつないでるんだし」
「それは家の近くでだけだし……ここ教室ですよ……?」
「大丈夫よ。幼稚園の子はみんな手つないでるんだから」
「え……それってなんか違うような……」
幼稚園という言葉が出て、私は心の中で少しビクッとした。
あの約束のことを、今でも覚えているから。
嫩さんはどうなのかわからないけど、私は本気で信じている。
でも、うすうすわかっている。
その約束は、他の人にはあまり理解されないってことを。
それでも、私は嫩さんのことが……
「おーい、どうしたの?」
私がいろいろ考えこんでいたら、嫩さんは私の顔の前で手をふった。
その手の動きと声で、私の意識はここに戻ってきた。
「なんでもないです」
そう笑って、私から手をつないでみた。
嫩さんは最初すごくおどろいたような顔をしていたけど、すぐに笑い返してくれた。
私はこの時間が永遠に続けばいいと思った。
嫩さんと手をつないでいるだけで、自分が最強になった気分になれる。
今ならなんでもできそう!
「ずいぶん仲良さそうだな」
でも、その一言で私はどん底につき落とされたような感じがした。
さっきまではなんでもできそうだったのに、今は息をすることすら難しくなってしまった。
「……夕陽ちゃん、なにか用?」
嫩さんがその子の名前を口にする。
夕陽さんは嫩さんと同じクラスの女の子で、私はちょっと変わった人という印象を持っている。それと、少しだけど苦手意識もある。
言いたいことはこっちの気持ちなんて考えずにはっきり言うし、私のことをあまりよく思っていないようだから。
「なにか用って、冷たいな。せっかく僕も一緒に帰ってあげようと思っていたのに」
「うーん……でも、私は沙織ちゃんと一緒に帰りたいの。悪いけどまた今度にしてくれないかしら」
嫩さんはなるべく優しげに断ると、私の手をひいてさっさと去ろうとする。
だけど、夕陽さんはそれを許さなかった。
夕陽さんはどこか機嫌が悪そうに、いつもより低めの声でつぶやいた。
「あんたたちの約束、バラしてもいいんだからな?」
私は体が凍りついたように動けなくなった。
それは嫩さんも同じようで、足がピタリと動かなくなっている。
そんな私たちの様子を見て、夕陽さんは心の底から楽しそうな笑顔を浮かべる。
実は夕陽さんとも幼稚園が同じで、夕陽さんは嫩さんによくくっついていたのが記憶に残っている。
だけど、私たちの約束の後から、夕陽さんは私たちと距離を置くようになった。
それと同時に、私にだけきつい目線を送るようにもなっていた。
私は、夕陽さんのことを何も知らない。
私たちをさけるようになったのも、私にだけ怒ったような表情を向けてくることも。
なんで私たちが手をつないでいるときに悲しそうな顔をするのかも、何もわからない。
だけど、これだけはわかる。
私たちは、何も間違ったことをしていない。ただ好きな人と一緒にいるだけだ。
「ご、ごめんなさい、夕陽さん。夕陽さんがどうしてそんなに私を嫌うのかわからない……です。でも、わたしは嫩さんが好き。その気持ちに嘘はないんです。だ、だから、その……」
「私たちの約束、バラしてもいいわよ。どうせみんな本気にしないだろうから」
私が言葉につまると、嫩さんが言葉を続けてくれた。
そして、嫩さんは私の顔をチラッと見ると、私の手をひいていきなり走りだした。
はじめは驚いたけど、途中から楽しくなって笑いながら話しかけた。
「楽しいですね、嫩さん」
すると、すかさず嫩さんも「そうね、沙織ちゃん」と言って笑い返してくれた。
嫩さんとなら、どこへだって行けそうな気がした。
私は気持ちが舞い上がって、気がついたら嫩さんにずっと聞きたかったことを聞いていた。
「嫩さんも、あの約束覚えててくれてたんですね」
「ええ、もちろん。けっこう本気だったから。あ、今もそうよ」
「そうですか……私も本気です。それが難しいってことはわかってるんですけど」
女の人同士の結婚は、いろいろと難しい問題がある。
それがわかるほどには大人になってきたのだろうと思う。
ずっと、早く大人になって嫩さんと結婚したいと思っていたけど、大人になるというのは必ずしもいいことばかりではないようだ。
だけど、嫩さんの気持ちを再確認できたのはよかった。
もし嫩さんが約束を忘れていたりしたら、私はどうしていただろう。
今でも嫩さんのそばにいただろうか。
「それなら、私たちの絆がいかに強いか証明しちゃわない?」
「え? そんなことできるんですか?」
「もちろんよ! 結婚できる年になるまでその約束を覚えてて、その時に二人だけの結婚式をするの!」
「な、なるほど……」
それは、二人だけの証明。二人にしかわからない証明。
その響きに、私は惹かれた。
「うん、いいです。すごくいい!」
さあ、私たちが約束を果たせる日が来るまで、あとどれくらいかかるだろう。
私は今から、その日が待ち遠しくなった。
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