泉優愛・9-4


 駄菓子屋での楽しい時間を終えて、優愛は帰路についていた。

 が、その道は真っ暗で人気のない、今にもなにかが出てきそうな道だ。最短ルートで帰ろうとしたのだが、夏休みを越えて日も短くなったせいで、あっという間に星明かりの時間になってしまった。これなら遠回りしてでも大通りを歩けば良かった、と今更後悔してしまう。

 鬱蒼うっそうと生えた木々は闇で真っ黒に染まっており、ざわざわと擦れ合う音を立てている。ぽつぽつと少なめに配置された街灯の明かりだけでは心許こころもとない。横道である裏路地ではそのわずかな光すらなくなるのだから恐ろしさは桁違い。間違ってもそちらの道を通ろうとは思えない。

 せっかく面白いイベントだと思っていたのに、大した収穫もなく終わってしまった夫婦喧嘩の現場見学。いくら警察沙汰になったからとはいえ、数時間もたてば何事もなかったように穏やかになる。自殺現場だったら二、三日は騒ぎになるだろうが、喧嘩程度では話題性も低いのだ。やはり犬も食わないと言われるほど、世間としてはどうでもよい争いなのである。

 とはいえ、ジャングルおばさんから聞いた喧嘩の詳細については面白かった。自分達よりも先に多くの情報を仕入れており、事の顛末てんまつは大体わかった。さすが地域一の情報通だ。

 いざこざの発端は不明だが、そこからの発展が凄かった。最初は口論だったが、途中から手が出るようになり、最終的にはプロレス級の技をかけていたそうだ。夫の方がひ弱だったため、骨がポッキリ折れてしまい大惨事。その悲鳴が近所に響き渡ったため、警察出動に至ったとのこと。

 結果的に大事になってしまったが、どういうわけか逆に夫婦仲が深まったらしい。お互いの気持ちを言い合ってスッキリしたからだろうか。警察からしたら大がつく迷惑事件だったわけだが、雨降って地固まるで一件落着したそうだ。戸田陽向からしたら家族の恥が知れ渡り辛いだろうが、終わってみれば笑い話で済むレベルで良かった。

 だが、違和感がじりじりと背筋を登ってくる。

 どうにもおかしい。

 今日は朝から、妙にデジャヴを感じてしまう。戸田陽向の家でなにか事件が起きるのも、それを見に行くのも、ジャングルおばさんの店で雑談するのも、つい最近経験したばかりではないか。

 それに藤宮琴世の家の中までイメージできてしまう。一度も行ったことがないはずなのに、こと細かに部屋の様子がわかってしまう。

 全部、本当に経験したことみたいに。

 気のせい、と言われたらそれまでだろうけど、もやもやは残ってしまう。

 こうして夜道を一人で歩いているのも、ここ一ヶ月前後で経験した気がする。霊感はないはずなのに、明かりの乏しい裏路地で幽霊の少女を見てしまい、その幽霊に悩まされていたという記憶がある。

 ――もしかして、この記憶も本当にあったことなの?


「新規プロトゥクルゥプロGuラム……受信カKU認。クロゥラ――移行、情報シュ得コマンド……通常周カいモード、キ動」


 その時だった。

 どこからともなく少女のものらしき微かな声が聞こえた。だがそれは無機質な機械音声みたいで、傷ついたCDを再生したみたいにノイズ混じりだ。

 周囲には誰もいないはずなのに、声がじっとりと鼓膜を揺らしてくる。

 ――この声、聞いたことある……それに意味不明な単語も……。

 声も単語も記憶があった。確か、幽霊に関係していたはず。その幽霊は黒で統一された格好をしていた……。

 あり得ないはずのもうひとつの記憶から、幽霊の姿を想起した次の瞬間、目の前に黒いワンピースを着た少女が現れた。本当に突然、飛び出すでも駆け寄るでもなく、いきなり眼前に。

 記憶の中にある姿と全く同じ格好をした少女が、目と鼻の先で浮いていた。


「ひっ」


 心臓が激しく震える。腰の力が抜けて、冷たいアスファルトの上にへたり込んでしまう。

 幽霊のように出現した少女だが、その姿ははっきりと見えている。病的なほどに青白い肌に漆黒の衣装。そして空洞のように深い黒一色の瞳。見覚えのある、不安を沸き立たさせる黒ずくめだった。

 だが、意外なことに少女も驚いている様子。尻餅をついている優愛をじっと見つめているが、その口は半開きになっていた。

 記憶に残っている黒い少女は、いつもどんなときでも無表情だったはずだ。

 ――この子は誰?

 ――ずっとつきまとっていた子。

 ――どうして?

 ――調査のためらしい。

 ――なんの?

 ――“自殺因子”と呼ばれるもの。

 ――なにそれ?

 ――それがある人は、自殺しちゃうみたい。

 ――そんな馬鹿なことないって。

 ――本当だよ、親友だって死んじゃったんだ。

 脳内で自問自答する。

 もうひとつの記憶を紐解ひもといていくと、次々と忘れていたことを思い出していく。

 どうして忘れていたのだろう。あれほど凄惨な出来事を……。

 ――親友って、凛奈ちゃんのこと?

 凛奈のことなら、さっきまでおしゃべりしていたじゃないか。

 ――違う、違う、違う!

 ――なにが違うの?凛奈ちゃんは親友だよ?

 ――あたしの親友は……本当の名前は、だ!


 そう。

 ずっと感じていた違和感は、それだ。

 緑川晴樹。

 黒野凛香。

 藤宮琴子。

 戸田陽葵。

 クラスメイトの名前がみんな違った。

 それだけじゃない。

 ニュースになっていた俳優の名前は氷室一真だし、ジャングルおばさんの店の名前は『吉田商店』だ。

 みんなみんな、少しずつズレている。

 ここは本当の世界じゃない。偽物の世界につれてこられたんだ。

 ふたつあった記憶。その古い方こそが本物で、新しい方は誰かが上書きした。偽物の世界に順応できるよう、勝手に植え付けられたんだ。

 ――誰が?

 決まっている、目の前にいる黒い少女。そしてその背後にいる、絶対的な力を行使する存在だ。


「またあなたが、あなた達がなにかしたのね……!」


 優愛はゆっくりと立ち上がり、浮遊する少女を見据える。

 全て思い出した。

 彼女が現れてから、世界が徐々におかしくなったのだ。

 この場所で出会ってからずっとつきまとうようになり、平行するように各地で自殺者が増加。そのせいで親友の凛香は、琴子を巻き込んで飛び降り自殺をした。

 それからは黒い少女を追いかけて海岸に向かい、そこで異形の巨人と遭遇。巨大な手に掴まれた後、なにもない真っ暗な闇の中で目を覚まして……気付けば偽物の世界にいた。

 死んだはずの人間が名前を変えて生きている、事件が幾つも起きたはずなのに全部なかったことになっている世界。

 優愛はそこに放り出されたのだ。

 だが、この世界で生まれ育った記憶もある。鈴乃すずのという名前の母親に育てられ、晴矢という名前の幼なじみと一緒に遊んだ日々。偽物の世界のはずなのに、ずっとここで生きてきた記憶がある。いつの間にか植え付けられたとしか思えないのだ。

 どんな理屈でこんなことをしたのか、小難しい話はわからない。

 神とも呼べる存在を相手にしているのだから当然だろう。常識など通用するはずもないのだ。

 しかし、それでも優愛は決して目をそらさない。

 かつての世界で起こった理不尽を、見て見ぬ振りなんてできなかった。

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