泉優愛・9-2


「それが酷いのなんのって。朝早くから旦那さんの悲鳴が凄まじくて、驚いた近所の人が一大事だと思って通報しちゃったのよ」

「えぇ……なにそれ、迷惑過ぎない?」

「それがそうでもないのよ。夫婦喧嘩に相当熱が入っちゃったみたいで、実際どん引きするくらいの流血沙汰になっていたらしいから」

「おいおい、加減しろよ」


 まるでコント番組のような流れだ、身近で起きたこととは思えない。

 我が家では滅多めったに喧嘩がないので、夫婦同士の暴力なんて見る機会がない。ましてや救急車が必要になるほどにド派手な一幕、ワイドショーの下らないニュースでしかお目にかかれないイベントだ。

 そんなセンセーショナルな出来事に、クラスメイトの家族が関わっている。不謹慎ながらワクワクしてしまう。なにがどうしてそうなったのか、詳細を根掘り葉掘り聞いてみたくなる。


「だからね、結婚したところで、必ずしもうまくいくとは限らないってわけ。優愛と芸能人が結婚しても、感覚のギャップで夫婦喧嘩になっちゃうかも」

「えー、そうかなぁ?」

「あり得るな、うん」

「うっさい」

「ぐわっ!?」


 晴矢がふざけていじってくるので、チョップを一発脳天に食らわせておく。そのせいで手がじんじんと痛くなったが、同じだけのダメージを晴矢も受けている模様。殴られた箇所を痛そうにさすっているのでおあいこだろう。

 ――でも、一理あるかも。

 あまり認めたくはないが、凛奈や晴矢が言う通り、安易に芸能人と結婚したところでうまくいくとは限らない。なんとなくイメージしていた「セレブな暮らしができるかも」という現金な願望もよくないだろう。

 当たり前だが、本気で相手のことを好きになれるかどうかが大事だ。結婚という一生付き合い寄り添っていくと覚悟して、絶対に愛せると確信できる人。そんな男性に会えるのだろうか。熱愛報道された芸能人ですら、数年で不倫や離婚で再び報道されている。それこそお金で繋がった愛では、ちょっとした不和でもろく崩れ去るのがオチだろう。最初から親密な相手との方がうまくいくに決まっている。

 とはいえ、身近にいる男性は幼なじみの晴矢くらいだ。仲は悪くないし、頻繁にどつき合いをするものの、親愛の心でじゃれているだけだ。

 しかし、彼とは幼い頃から仲が良いだけの、友情で繋がった間柄。愛を意味する「好き」かどうかは、また別問題だろう。


「で、陽向は大丈夫なのか?」

「え?ああ、多分ね。今頃駆けつけた警察に事情を説明したり、ケガした父親に付き添ったりしているんじゃない?」

「情報がふわふわし過ぎだろ……」

「仕方ないでしょ、こうして学校に来なきゃいけなかったんだから。そんなに言うなら、放課後、現場を見に行きましょうか?」


 凛奈が提案したのは、コントの舞台となった戸田陽向の家を見に行こう、というものだった。発端は犬も食わない夫婦喧嘩でも、警察沙汰になっているのだから、一見の価値はあるかもしれない。

 見たいか見たくないかと問われたら、圧倒的に前者だ。下らない内容でも事件現場なのだから、普段とは違う非日常感が味わえるだろう。


「うーん、なんか野次馬根性みたいで気が引けるぞ……」

「晴矢君はこういうの、興味ないんだ」

「あ、もしかしていい子ちゃん気取り?それともクラス委員だから下世話なことに首を突っ込みたくないとか?」

「うぅ」

 迷いを口にするも、晴矢はただの男子中学生。同い年の女子二人に言い寄られてしまえば、すぐにたじろいでしまう。凛奈の体格差と優愛のあおりを前にして、真面目な回答はいとも簡単に屈するのが道理だ。

 この年頃の男女では、比較的女子の意見が採用されやすい。早熟で弁の立つ方に軍配が上がるという理由もあるが、敵に回すと面倒、女子に気を遣ってしまう、など複数の要因もあるだろう。とにかく晴樹に勝ち目はない。賢くない優愛でも、その流れは推測可能だ。

 なのでその結果――


「オ、オレも行くよ」


 ――あっさりと仲間に入っていた。


「じゃあ今日の放課後、部活が終わり次第正門前に集合ってことで」

「異議な~しっ!」

「はいはい、了解しましたよ」


 ちょうど予定が決まったところで始業のチャイムが鳴り、ホームルームを始めようと担任教師がやってきた。朝の自由時間が終わりを告げたのだ。

 ざわついていた教室も水を打ったように静かになり、それぞれの席に戻っていく。勉学が得意な者は区切りを付けて速やかに、苦手とする者は名残なごり惜しそうにとぼとぼと。公立の中学校では玉石混交の生徒で溢れているが、二年生にもなると学力の差で自然と区分けされるようになっていく。近しい感性の者同士でくっつき始めるのだ。もちろん優愛と凛奈、晴矢のような組み合わせもあるが、それも卒業までの短い間だろう。学力で振り分けられる高校生以降では見られなくなる。その意味では人生最後のカオスと言えるかもしれない。


「よし、出席とるぞー……おっ、戸田は休みか」


 ――やっぱり、夫婦喧嘩の後処理で忙しいのかな?

 と戸田陽向の状況に思いを馳せてはいるが、もっと気になっているのは現場の方だ。当事者には申し訳ないが、今から放課後が楽しみだった。

 以前もこうやって、三人組で面白そうなことに首を突っ込んだものだ。心霊スポットに肝試しに行ったり、そのせいで森の中で迷子になったり。確か最近も、事件があった家を見に行った気がする。

 ――あれ、どんな事件だったっけ?

 ぼんやりと記憶があるのに、なぜか思い出せなかった。

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