Phase5:Яeboot

泉優愛・9-1


“好奇心は生きる原動力だ。

 その行き先が地獄だとしても”



 百合ヶ浦ゆりがうら市立百合ヶ浦第二中学校。

 東海地方のとある県に位置する海沿いの街。その高台に建つ校舎は常に海風にさらされており、びや外壁の劣化が目立つ、ごく普通の公立中学校だ。周囲は没個性的な住宅地ばかりで、目と鼻の先に美しい太平洋が広がっていることぐらいしか、特筆すべき環境はない。

 校舎は四階建てで、隣に建つ二回りほど小さい建物が旧校舎。それに体育館と運動場、プールが設置されただけの、面白味に欠けた学び舎。夏休みが終わったばかりの校内は九月だというのに熱気が充満しており、窓を全開にしてようやくまともに感じるほど。快適なのは朝の始めくらいで、始業のチャイムが鳴る前には蒸し風呂と化していた。行き遅れのせみ達の鳴き声も、暑苦しさに拍車をかけている。

 そんな学校の二年三組に在籍する少女、泉優愛。彼女は登校してからずっと、自分の机に突っ伏したままだった。他の生徒から声をかけられたら挨拶を返しているが、それ以上の会話には発展しない。とあるニュースのせいで、頭の中がいっぱいになっていたからだ。

 そのニュースとは、とある男性俳優が一般女性との結婚を発表した、というものだ。俳優に対しては特別興味はないのだが、問題なのは一般女性と結婚したという事実だ。

 どうやって芸能人と知り合ったのか不明だが、普通の暮らしをしていてもたま輿こしが可能という良い例と言える。意外と自分にもチャンスはあるのかも、と妙にそわそわしてしまう。

 ――どんなに凄い人でも、普通の人との結婚がいいのかな?

 ――じゃあ、あたしもワンチャンある?

 現状、自分はみそっかすな学生だが、絶対に無理と決まったわけではない。持たざる者ではあるものの、生きていれば予想だにしない偶然が転がり込んでくるかもしれないのだ。漠然としたワクワク感が脳内で渦巻いてしまう。

 頭の足りない自分では具体的な状況は思い浮かばないが、芸能人と出会って華々しい私生活が始まるのだ。妄想なんて時間の無駄と言われたらそれまでだろうが、本人はそれなりに真剣だ。人生は長いというが、早いうちに将来を見据えておくに越したことはない。若いうちにチャレンジする方が得のはずだ。

 という調子で未来を思い浮かべているのだが、ホームルームまでの時間で答えが出る話ではなかった。


「おはよう、優愛……――って、どうしたの?」

「どうもこうもないって」


 遅れて登校してきたのは、友人の黒野凛奈りんなだ。長い黒髪に赤いフレームの眼鏡。ちんちくりんな自分とは対照的に、すらりとしたモデル体型。そのクールビューティーさは中学生離れしており、凄腕のキャリアウーマンと言われた方がしっくりくる。白い夏用の制服すら、スマートなスーツ姿に見えてしまうほどだ。格好良いその見た目が正直羨ましい。

 凛奈との付き合いは小学校に通っていた頃からだ。きっかけは忘れてしまったが、気付けば仲良くなっていた。見た目も性格も趣味も、何もかも正反対な凸凹でこぼこコンビだが、ずっと楽しくやってきた仲だ。それはこれからも変わらないだろう。


「もしかして、氷室一斗かずとのニュース?」

「そうだよ!まさか普通の人と結婚するなんて、もうびっくりだよ!」

「世の中変な縁もあるって話じゃないの?」

「それが問題なの!もしかしたらあたしも芸能人とお近づきになって、セレブ暮らしができるようになるかも~♪」

「それはないでしょ。肝心の芸能人との繋がりがないんだから」

「うーん……ううむ。確かに、あたしにはさっぱりなんだよねー」

「なんだ、お前。うーうーうなって。消防車かよ」


 真面目に悩んでいるところに余計な一言を入れてくるのは、幼なじみの緑川晴矢はるやだ。身長は優愛とあまり変わらないが、変声期を過ぎて声は低めでイケメンボイス。おまけにスポーツが得意で勉学の成績も良く、学校中の女子からの評価も高い人気者。昨年のバレンタインデーでは持ち帰れないほどのチョコレートをもらっていた。どこで差が付いたのか、馬鹿でモテない自分とは大違いである。

 晴矢とは母親が親友同士という繋がりだ。赤ちゃんの頃から一緒に遊び合う仲で、まるで兄妹のように育ってきた。泣き虫なくせに無鉄砲な優愛は大抵たいてい守ってもらうばかりで、晴矢は姫を守護する騎士ナイト様のポジション。おかげで幼少期は友情と愛情を勘違いして、「お嫁さんになる!」なんて恥ずかしげもなく言っていたらしい。優愛にとっては完全に黒歴史であり、消し去りたい過去以外の何物でもなかった。


「うるさいなぁ、晴矢には関係ないもーん」

「何だよ、その態度は」

「晴矢はその辺の女の子とイチャイチャしてればいーじゃん。あたしは今後の人生設計について、深く深ーく考えているところなんだから……」

「意味わかんねえ」


 幼なじみとはいえ立場が全然違う、遠い存在になってしまった。晴矢はみんなの人気者で、自分はクラスの底辺を漂うモブキャラ女子。一緒にいるだけで劣等感がむくむくと湧き上がってくる。それでもこうして絡んでくるのは、いわゆる腐れ縁なのだろうか。今でもこうして関わってくれるのは嬉しい反面、彼との差を痛感して悲しくなってしまう。そんな矛盾を抱えてしまい、葛藤かっとうさいなまれてしまう自分が嫌だった。


「そういえば……。結婚と言えばね、私の近所で大事件があったのよ」

「事件?」

「穏やかな話じゃなさそうだな」


 思い出したかのように、凛奈が話し始める。口調からして良くない事件なのだろう。だが、多感な時期は闇のある内容に興味をそそられるものだ。優愛も晴矢も、どんな出来事なのか気になってしまう。


「朝早くなんだけどね、うちの近くに救急車とパトカーが来たのよ」

「うんうん」

「確かに朝うるさかったな」

「それでね、何事かと思って見に行ったら……陽向ひなたさんの家の前で止まっていたのよ」

「陽向さんって……うちのクラスの?」

「まだ登校してないみたいだぞ」


 身近な人の話となれば、俄然がぜん興味が出てくる。そこに非日常的な要素が加われば尚更だ。怪談話は身近な内容ほど怖く感じるのと同様、退屈な毎日にスパイスを与えてくれるかもしれない。優愛は段々と前のめりになっていた。


「多分、今日は来ないんじゃないかなぁ。だって陽向さんのお母さん、夫婦喧嘩で旦那さんをボコボコにしちゃったみたいだから」

「えっ」

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