泉優愛・8-3


「……やっぱり、あなたが凛香ちゃんを殺したんだ!」


 黒い少女は死神ではないか、というのは確証のない単なる憶測だった。

 だがこの瞬間、優愛の中ではっきりとした。

――こいつがいたから凛香ちゃんが自殺しちゃって、それで琴子ちゃんも巻き込んだんだ!

 根拠があるわけじゃない。この少女が本当に死神かどうかもわからない。それでも、状況証拠だけで優愛はそう断定した。

 わからないことだらけの中、明確な敵がほしかっただけなのかもしれない。彼女を悪と決めつけ的にして、行き場のない怒りをぶつけたかっただけかもしれない。

――絶対、全部こいつのせいだ!


「……」


 黒い少女は答えない。黙ったまま、死体の横で足を浮かせて立っているだけ。

 雨が降っているのに傘も差さず、ずっと無表情で優愛を見つめている。

 病的な肌も黒いワンピースも、不思議なほどに全く濡れていない。防水加工ではないだろう、雨粒すらついていない。まるで雨がすり抜けていっているようだ。


「優愛……そこに、誰かいるのか?」


 どうやら晴樹には見えていないらしい。虚空に向かって敵意をき出しにする優愛の姿に戸惑っているのだ。

 幼なじみの彼すら自分とは違うことに一抹の寂しさを覚えたが、今更そんな些末事さまつごとはどうでもいい。優愛はただひたすらに、自殺を振りまいただろう黒い少女が憎かった。

 彼女が見えるようになってからだ、なにもかもがおかしくなったのは。

 氷室一真が、戸田陽葵とその母親が、ジャングルおばさんが。そして親友の黒野凛香が自殺して藤宮琴子を巻き込んだのも、きっとこの少女のせいなのだ。


「凛香ちゃんを、琴子ちゃんを返してよ!」


 優愛は黒い少女に飛びかかる――が、その体に触れることなくすり抜けてしまう。華奢きゃしゃな胸元を掴もうとしたはずなのに、手が空を切ってしまった。

 なにが起こったのか。ここにいたはずなのに影も形もない。

 ――どこにいったの!?

 血走った目で周囲を見回す。薄暗さと雨で不明瞭な視界の中、黒い少女の姿を探そうとして――いた。

 少女はいつの間にか校門の外に立っていた。瞬間移動としか思えない。音もなく、あっという間の出来事だった。


「待ちなさいよっ!」


 憤怒と悲哀が入り混じり溢れそうになる涙をこらえながら、優愛は友を奪ったかたきへと駆けていく。傘も鞄も置去りにして、打ちつける雨にも構わずに全速力で。


「また!?」


 だが、追いつきそうになったところで、再び少女の姿は霧散してしまう。一瞬のうちに背景に溶け込み、気付けば道の先、住宅地の中で浮いている。

 電信柱の陰で、無表情でこちらを見つめていた。


「ふざけないでよっ……!」


 まるで鬼ごっこで「鬼さんこちら、手の鳴る方へ」と煽られているかのようだ。ただの人間である自分をもてあそんでいる。「友達の敵討かたきうちをしたいのなら捕まえてみろ」と言われている気分になってしまう。

 それでも優愛は食らいつく。何度その姿を消そうとも、絶対に追いついてみせる。必ず捕まえて、全てを解き明かすのだ。

 黒い少女が何者なのか。死神なのか、それとも妖怪の手下なのか。どうして親友が死なないといけなかったのか。そして、なぜ自分の前に姿を現すようになったのか。ありとあらゆる謎を白日の下に晒さないと気が済まない。

 ぱっとしないながらもかけがえのない自分の人生を、こんな意味不明な存在のせいで滅茶苦茶めちゃくちゃにされてたまるか。

 力のないただの女子中学生としての、精一杯のプライドを胸に、優愛は雨下をひた走った。


「はぁ、はぁ……」


 休みなく追い続けたせいで、すっかり息が上がってしまう。全身に浴びせられる冷たい雨も、じわじわと体力を削っていた原因だ。ひざも笑っている。

 足元には湿った砂がびっしり、灰色の濃い絨毯じゅうたんが一面に拡がっていた。追いかけているうちに海岸まで来てしまったらしい。

 海は荒れて黒々としており、普段の目もくらきらめきは失われている。海底の汚泥おでいが湧き上がってきたような、凶兆きょうちょうを想起させる色をした海原だった。


「おい、優愛!急に走り出してどうしたんだよ!?」


 状況を理解できずにいながらも、晴樹も後を追ってきたようだ。遅れての到着だったが、自分より体力があるためか、その呼吸は落ち着いている。


「あいつ……あいつがいたの……っ!幽霊の女の子……やっぱり、死神だったんだよ!」

「そう言われても、オレには見えないんだよ!」

「そこ……そこにいるの!」


 優愛が指さす先、波打ち際には黒いワンピース姿の少女がひとり。

 激しく降り注ぐ雨の中でも、その子にだけは雨が当たらない。服も全く濡れておらず、風が吹くタイミングとは別に、ふわりふわりとスカートが棚引たなびいていた。

 やはり晴樹には見えていないらしく、どこにいるのかと目をこらしている。彼の視界にあるのは、荒れ狂う海だけなのだろう。


「……トゥクル……GUラム――確認……クロゥ――対ショう、カぃ収開始」


 少女がなにか呪文めいた台詞せりふつぶやく。しかし風雨にかき消されてしまい、その全容は聞き取れなかった。否、聞こえたところで、その意味は理解できなかっただろう。優愛の頭の出来を問う以前に、人間が踏み込める領域ではないからだ。

 誰にも止められない、世界の根幹を司る絶対の法則。

 ばさり。

 からすのように真っ黒な一対の羽が、少女の背中から飛び出した。

 次の瞬間、激しい海鳴りと共に海面がせり上がり、海水が山型を形成していく。と同時に、重力に従い水飛沫みずしぶきを上げながら、滝のように海水がしたたり落ちていった。

 海から姿を現したのは漆黒の巨体。人型をしたそれの表面には、フジツボや海綿かいめん珊瑚さんごといった様々な固着性の生物がびっしりとついている。他にも多種多様な貝類や、ヒトデやナマコといった棘皮動物きょくひどうぶつなども体表でうごめいている。そして顔にあたる部分からは、大量の海藻とも巨大な軟体生物の触手ともとれるなにかを垂れ下げている。

 伝承が残る妖怪海坊主……否、“ふろとうくる”にそっくりだった。

 おぞましい造形をしたそれは、もはや人間が立ち向かえるような相手ではない。正気を保つのすら困難なほど、人間の常識を超越した存在だ。

 その圧倒的絶望感を踏まえ改めて表現するのなら、人智を越えた不可侵の存在――神と呼ぶべきだろう。それの行動を止められる者など、この世にはいない。

 岩同士がこすれ合うような、古い機械がきしむような、腹の底に響く重低音がする。

 頭上を巨大ななにかが覆うと、落ちた影で周囲は一層暗くなった。

 それは巨大な手。規格外のてのひらがゆっくりと眼前に迫ってくる。

 もう、逃げられない。

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