緑川晴樹・3-1
外は豪雨と呼べるほどに土砂降りの雨だ。幸い警報は出ていないが、油断をすれば災害に巻き込まれてしまいそうな荒れ模様。ここ数日ずっと天候に恵まれず、部活は中止が続いている。持て余した体力がうずいてしまう。
現在、晴樹は夏休みの宿題とにらめっこ中だ。といっても自分の分ではない。休日が残りわずかのはずなのに、ほぼ白紙のままである優愛の分の宿題だ。最初の一、二問やった形跡がある程度。三日坊主よりも酷い。
優愛の家に乗り込んで、最終日間近の追い込み勉強会。小学生の頃から伝統の、夏休みの宿題のお手伝いである。嫌なことは先延ばしにしがちで寸前になってから悲鳴を上げる優愛のために、秀才で慈悲深い晴樹が出向いて教えてあげる。幼なじみ同士の持ちつ持たれつ、否、もたれかかりっぱなしの恒例行事だった。
本棚には漫画本ばかりで、辞書や参考書の類いは見当たらず。隅っこには小物が山積みで、不安定なピラミッドを形成している。
「……」
「……」
雨音と筆記用具の擦れる音以外、ほぼ無音だけが室内を満たしている。晴樹が監視の目を光らせているからだ。常に見張っていないと、集中が途切れて息抜きばかりになりかねない。
必死に問題集に取り組む優愛を、真後ろで黙って見守り続ける。練習問題の連立方程式に挑んでいるが、答えが合わず四苦八苦しているようだ。声をかけようかと迷ったが、自分の力でやり遂げなければ意味がない。手伝うのは一度解いてから。たとえ間違っていたとしても、それを
優愛は「自分は馬鹿だ」と自虐しているが、地頭は悪くないはずだ。現にこうして集中せざるを得ない状況を作れば、自力で答えに辿り着けている。もちろん、トンチンカンな答えを書いているときもあるが、やり方を間違って覚えているだけだ。努力をすればどうにかなる、絶対学力だって向上する。自分と同じ高校に進学できるはずだ、と晴樹は信じていた。
――このままだと、離ればなれになっちゃうもんな。
腐れ縁かもしれないが、優愛とは生まれてからずっと一緒だった。血は繋がっていないが、家族同然と言えるかもしれない。
だが、もし高校が別々になれば、その後の行き先も全く違うものになってしまうだろう。そしていつか手が届かないほど距離が開き、赤の他人同然の遠い存在になってしまう。それがたまらなく嫌だった。
この間の街へのお出かけ――改め、デートでそれがよくわかった。見えない不安に苦しむ優愛の助けになりたい、支えてあげたい。幼なじみとしての友情だけじゃない。一人の女性として見ていた。
中学生になってから互いを分かつ溝が生まれ始めて、ずっともやもやしていたこの気持ち。その正体がやっとわかった。
――オレは、優愛のことが好きなんだ。
「はぁーっ……。一旦休憩するー」
数学の宿題、その最後のページを終えると、優愛は一気に脱力して机に突っ伏した。日頃から少しずつやっていれば多大な疲労感を味わわずに済んだのに。もう中学生のはずなのに、清々しいくらい学ばないヤツだ。それにまだ国語が半分、漢字の書き取りノートに至っては丸々百ページ残っている。まだ先は遠いのに休んでいる場合か、と晴樹は溜息をついてしまう。
だが、この変わらない日常と馬鹿みたいなやり取りが愛おしい。ただの幼なじみではない、好きな女性との時間だと自覚したからこそ感じる、シロップ大盛りの甘い時間だった。
「ふー、糖分補給~……あ、晴樹も食べる?」
「おう。一つもらうわ」
差し出されたのは小さなドーナツが大量に入った袋だ。ザラザラした砂糖がまぶしてある、昔からある駄菓子の一種。幼い頃から食べている馴染みある味で、小腹が空いたときにちょうどいい。砂糖が溢れやすいのが玉にキズだがご愛敬。小遣いの少ない子供の味方だ。
「そういえば」
ドーナツをひと
「ジャングルおばさん、亡くなったんだってな」
「……うん。そうみたいだね」
このドーナツをはじめとした様々な駄菓子を売っていた店、“吉田商店”を営んでいたジャングルおばさん。夏場はかき氷を提供していて、これまた絶品だった。晴樹と優愛、そして凛香と一緒によく食べに行ったものだ。
そんなジャングルおばさんが数日前に亡くなったらしい。詳しい死因は聞いていないが、自殺だったらしい。そのせいで店は当然閉められており、家族が書いただろう閉店を知らせる貼り紙だけが貼られていた。
自殺の理由は、不明らしい。
ジャングルおばさんだけではない。
以前自殺現場を見に行った家、そこのひとり娘でありクラスメイトの戸田陽葵も自殺していた。
近所の公園で首吊り自殺だったそうだ。
こちらも数日前の出来事である。
しかし、どちらの自殺も最近になるまで知らなかった。否、知らされなかったのだ。
「なぁ。あの日さ、自殺がただの偶然や幻だって、言い切っちゃったけどさ……オレ、自信がなくなってきたんだ」
科学的根拠のない存在はあり得ない、幽霊や妖怪は恐怖が生み出した幻想に過ぎない、という気持ち自体は変わっていない。
しかし、度重なる自殺に関してはなんらかの要因があるのではないか、という疑念がどうしても拭えない。単なる偶然で片付けられないほどに、身の回りでも、テレビの向こう側でも、自殺が相次いでいるからだ。
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