泉優愛・7-3


 帰宅してからはどっかりと自室の椅子に背中を預け、デートもどきの余韻よいんに浸っていた。

 ただ映画を見たりゲームセンターで遊んだりしただけの、小学生時代と大して変わらない一日だったのに。幼なじみといつも通りに過ごしただけなのに。ぽかぽかして、体中が不思議な満足感に包まれている。

 晴樹の言う通り、幽霊や妖怪なんてありもしない存在、現実にいないものに怖がっていた自分が馬鹿みたいだ。

 何気ない毎日にだって、今日一日のような楽しい時間がいくらでも転がっているというのに、自ら気分が悪くなる事柄に首を突っ込んで。まったく、なにをしているのだろうか。

 ストーカーのようにつきまとう幽霊のような黒い少女は、不安な気持ちからくるただの見間違い。今まで霊感がなかったのだから、そう考える方が自然なのだ。

 妖怪の名前と一致しかけているのは単なる偶然。そもそもこの「聞こえた言葉」は芽衣からの又聞きであり、確実な証拠ではない。

 自殺者が多いのだって、世の中が不景気で精神不安定な人が増えているだけ。幽霊や妖怪との明確な繋がりなんてあるはずない。同時期だったという理由だけで、自分で勝手に関連づけていただけのことだ。

 そう結論づけてしまい、深入りして考えなければ、なんて気持ちが軽いんだろう。もっと明るく生きないと、せっかくの人生が損だ。もったいない。


 ピコン。

 スマホが通知音を鳴らす。新しいメッセージが届いたらしい。誰からだろうと思ったら芽衣だ。

 彼女とは幽霊が見える仲間同士、という他者からは理解されないだろう関係。しかもその出会いは不安を高める要因になってしまった。おそらく芽衣も日々が不安で仕方ないのだろう。こうして同じ境遇の相手に、頻繁に連絡をとってくるほどなのだから。

 メッセージの内容は案の定、その思いから来るものだった。


{うちの隣に住んでいる人も自殺したみたい)

{近所で何件も自殺があって怖い)

{やっぱり、あの幽霊が見えてから、なにかがおかしいよ)

{絶対変だよ。自殺者の増え方おかしいって)


 つい先程までの自分と同様、思い込みの深みにはまってしまったらしい。繋がりが全くない物事を無理矢理関連づけて考えてしまい、答えのない負のスパイラルに陥っている。

 これは出番だ。

 デートで気分爽やか、胸の鼓動が暴れるほどハイになっている自分が助言しなくては。と、優愛は目にもとまらぬフリック入力で、返信用の文字を打ち込み始める。

 なぜこうもやる気に満ちあふれているかというと、世間一般で言うところの青春を味わえて、脳内麻薬が垂れ流しになっているせいだ。テニスの技術が圧倒的に劣っているくせに、偉そうに「このあたしが芽衣を安心させなくては」と上から目線になっている。


(気にしないで大丈夫!}

(きっとあたし達が深読みし過ぎちゃっているだけで、幽霊も自殺も、全部ただの偶然なんですよ!}

(大人達から見たら中二病とか、思春期特有の思い過ごしって言われちゃいそうな、どうってことない悩みだってば!}

(心配するだけ損、楽しく過ごしましょう~♪}


「ふふんっ、こんなとこかな」


 だいぶ軽い文章になってしまったが、ポジティブな内容なので許してくれるだろう。もし仮に腹を立てたとしても文面か電話で怒られる程度だ、実生活には問題はない。それに、お互い唯一事情が理解し合える仲なのだから、わざわざ亀裂を生むような言動をするとは思えない。

 芽衣は心優しい人のはず、というのが優愛の見解だった。


「……遅いなぁ」


 しかし、返事はなかなか返ってこなかった。送ったメッセージの全てに既読がついているので、こちらの言いたいことは伝わっているはず。

 これまでのやり取りを見る限り、彼女は短い文章を連続で送ってくるタイプだ。返信する意志があるのならとっくに届いているはず。それなのに音沙汰がないとなると、書く文章を熟考しているのだろうか。それとも、あまりに軽い返事に怒り心頭になってしまったのか。

 いくら不安を抱えるのが不毛とはいえ、もう少し気持ちに寄り添ったメッセージにしておけば良かったかもしれない。と、今更後悔してしまう。

 浮かれてテンションがおかしくなっていた。つい数分前の自分を殴りに行きたい。タイムマシンがあったら即時乗り込みたい。

 ピコン。

 そこへやっと、芽衣からの返事が来た。すぐにラインのページを開いて内容を確認する。

 だが、そのメッセージを見て、優愛は首を傾げてしまう。


{おむかえがきた)


 ――これ、どういう意味?

 平仮名オンリーの文章といえば、急いで打ち込んだせいで変換を忘れてしまった、と受け取るのが基本だろう。一言だけの短文なところも、用件だけでも伝えたかった感じがする。だが、それでは返事を熟考していた意味がわからない。それ以前に「お迎え」の意味とは、なにを伝えたくてこの文章を打ったのか、その方が謎だった。

 どこか戸外にいて、保護者が迎えに来た、という意味だろうか。いや、もしそうだとしても、こちらに知らせる必要はない。いわゆる誤爆ごばくだろうか。それとも、これから出かける予定があり、そのお迎えが来たという意味かもしれない。しばらくラインのやり取りができない、と知らせる意図で送った可能性だ。

 だが、もしそうだとしても言葉選びがおかしい。素直に「ごめん」とか「また後で」と送るのが普通だ。

 まさかとは思うが、黒い少女が死神よろしくお迎えに来ました、なんて突飛とっぴな話だったりしないだろうか?

 ――いやいや、それはないって……。

 自分の思いつきを否定した、そのとき。

 背後に気配を感じた。いつもよりずっと近い。すぐそこにいる気がする。首筋辺りをで回されたような、総毛立そうけだつ感覚がした。

 ――黒い少女だ!

 ――違う、違う、違う!

 ――そんなのいない、全部幻なんだ!

 良くないことを想像したせいで、神経が過敏になっているだけ。ホラー映画を見た後にトイレに行けなくなるような、ごく当たり前の反応のはず。幽霊も妖怪もなにもかも、現実にいるはずがない。全てが自分の思い過ごしだ。

 そう言い聞かせても、死角にあるそれの気配をひしひしと感じてしまう。

 ――絶対にありえない……間近で見て、それを証明するんだ!

 これ以上不安にさいなまれないためにも、優愛は意を決して振り向く。日常をおびやかそうとする、ありもしない存在を否定しようと。少ない勇気を振り絞って、なにもないはずの虚空へと視線を向ける。

 果たしてそこには、いた。

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