泉優愛・7-2


 映画を見終わった後は、は気が赴くまま自由に遊んで回った。

 ゲームセンターでリズムゲームのスコアを競い合ったり、宝石店へ冷やかしに行って怒られたり。それから、大人のデートみたいにカフェでおしゃべりしてみたり。

 晴樹と心ゆくまではしゃいだのは久しぶりだ。中学生になってからは部活と勉強に忙殺されて、ずっとご無沙汰だった気がする。

 子供の頃は当たり前だったのに、その普通がどんどんなくなっていく。自分自身も友達も、周りの環境もあっという間に変わっていき、いつしか手が届かなくなってしまう。それがとても寂しくて、切なくて、もどかしかった。


 百合ヶ浦の海。

 その前にあるバス停で降りると、潮風がぶわりと体を包み込んできた。夕陽の色に染まった海面は、ダイヤモンドカットのように複雑な光をきらめかせている。きめ細やかな砂浜の上では、数匹の小さなかにせわしなく横歩きしていた。

 過ぎてみたらあっという間の一日。体感では一、二時間程度だ。しかし、二人でショッピングモールを駆け回ったせいで、全身の筋肉が疲労困憊ひろうこんぱいで限界間近。嫌な疲れ方ではないが、足が棒になりそうだ。

 だが、流れた汗と一緒に、心の奥でよどんでいた不安がまとめて抜け出したような、体が軽くなった感覚もある。清々しさでいっぱいだった。


「優愛、すっきりしたか?」


 遅れてバスから降りてきた晴樹が問いかけてくる。

 今日のデートのようなお出かけは、優愛のための気晴らしだ。その成果を知りたそうにいているようで、自信半分不安半分くらいの目でこちらを見つめている。


「うん、とっても!」


 だからこそ、満面の笑みで答える。心の底から楽しめた、充実した時間だった、と。自分のためを思ってくれた晴樹に、精一杯のお礼だ。

 ただ一つ、言い表せないもどかしさだけはあったが、それは口にしない。せっかくの盛り上がりに水を差すような気がしたから。

 度重なる自殺、黒い少女、妖怪の手下疑惑。それに加えて友達の不和と、夏休みが始まってからはずっともやもやばかりの日々だった。それだけではない。振り返ってみれば中学生以降ずっと、漠然とした将来の不安と膨れ上がった劣等感で胸が押し潰されそうになっていた。

 だけど、今はそれらから解放されたみたいな心地だ。少しだけのもどかしさなんて、気にしない方がいいだろう。


「……あのさ、優愛」


 そうつぶやきながら、晴樹は軽快なステップで堤防の上に飛び乗る。目もくらむような目映い夕陽を背にしており、そのシルエットはまるで気取ったイケメン。否、そのものだ。


「世の中、うまくいかないことって、たくさんあると思う」


 夕焼けをバックに、まるで舞台演劇のワンシーンのように語り出す。その台詞せりふはたどたどしく、新人俳優が間違えないよう慎重に言葉を紡いでいるようにも見える。


「嫌なこと、辛いこと、ただなんとなく不安なこと。人それぞれあるけどさ、それでも日常って続いていくと思うんだ」

「……どしたの、急に改まって?」


 過剰な演技をしているかのような振る舞いだが、いつもの茶化す態度とは違う。むしろ必死に伝えようとしている姿勢を感じる。

 突然の展開に、優愛は目が点になっていた。

 それでも晴樹は言葉を続ける。


「あ、当たり前なんだけどさ、変わらないことだよなって。オレ達中学生にとっては無理難題みないなものが立ちはだかっても、振り返ってみたら大した壁じゃなかったりしてさ。きっと平凡な毎日が続いていくんだ」


 言葉に寄り道回り道が多いせいか、晴樹がなにを伝えたいのか分からない。

 そもそも、どうして突然語り出したんだろうか。


「なにが言いたいの?」


 疑問で首を捻ってしまう。

 そんな優愛へ向けて、晴樹はこれまでで一番の、腹の底から絞り出す大声でえた。


「だからさッ!幽霊や妖怪に追われているとか、自殺を呼ぶ死神だとか!きっと全部、全部どうってことないものなんだよ!気に病む必要なんてない、過ぎちゃえば笑い話になるような、ただのちゃちな幻だ!こうやって疲れるくらいに遊べばさ、きっと忘れられるんだからさ!」


 それは、きっと晴樹がこのデートを通して伝えたかった思いなのだろう。鈍感で思い込みの激しい優愛にも、それがなんとなくわかった気がした。

 一番最初の、幽霊を見たかもしれない、という騒動をきっかけに。坂道を転がり落ちるように不安は積み重なり、ドミノ倒しに不運もやってきた。そのせいでずっと辛気くさかった自分を救おうと、晴樹はずっと気にかけていたんだ。

 変な妄想に囚われてばかりで、不確実な存在を怖がって、周りを勝手に振り回して。

 おかしかったのは自分の方だ。いるかどうかもわからないなにかに過敏になってしまうあまり、平凡でかけがえのない毎日を駄目にしてしまうところだった。


「……えへへ。ありがと、晴樹」


 ただの幼なじみの腐れ縁かと思っていたが、晴樹のその真摯しんしで不器用で一直線な姿に、耳と頬がかぁっと熱を帯びてしまう。改まった台詞が見ていて恥ずかしかったわけではなく、ましてや夕陽のせいではない。

 少しだけ、胸が締め付けられるようなかんじがする。

 胸にくすぶる、言い表せないもどかしさにも似ていた。


「あー、恥ずかしっ。悪い、今のくだりは忘れてくれ」


 堤防から降りてきた晴樹は、両手で顔を覆っていた。だが、隠しきれていない耳は真っ赤に染まっている。格好付けてしまったという自覚はあるようで、羞恥心しゅうちしんもだえているのだ。柄にもなく初々しい姿が、とても可愛く思えてしまう。


「えー、あたしはいいな~って思ったけど?」

「だぁあっ!頼むから、マジでなかったことにしてくれ!」


 つい、おちょくるように言ってしまう。

 だけどその言葉は本心であり、小馬鹿にするつもりはない。

 本気で、彼のことを「いいな」と思っていた。

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