黒野凛香・2-2


 その公園は住宅地の真ん中にぽつんとある。家や道路の隙間を縫うように作ったせいか、異様に細長い形をしている。しかもちょうど地形が斜面だったため、高低差がちょっとしたがけを作っている。ここでロッククライミングの真似事をして転げ落ちる子供がいたくらいだ。その一方で木がたくさん生い茂っており、鬱蒼としていると表現した方がイメージしやすい。雑草の手入れもずさんなせいで、暗くじめじめした印象を持つ人が多いのだが、夏場で涼むにはちょうど良いという面もある。凛香がこの場所を選んだのは、そんな理由からだった。

 大して人が来ないこの公園なら、怒りで沸騰した頭も冷却できるだろう。

 ペンキが剥がれて木目が丸見えの古びたベンチに座ると、ふっと息を吐いて緊張を解きほぐした。


 ――こんなことになるなら、晴樹君の意見に合わせればよかったかも。

 事の発端、優愛が「幽霊を見た」と話した時、晴樹は「あり得ない、見間違えだ」と断言していた。対する自分は「可能性はゼロじゃない」なんて屁理屈を並べていた。

 絶対不可と科学的に証明されていない限り、どんな不可思議な現象も起こりうる可能性がある。そんな自身の思想を重視して大口を叩いたせいで、優愛がその気になってしまった。その結果、琴子のような邪魔者が参入する隙を作ってしまったのだ。

 自分のつまらない考えなんて捨てて周りに合わせていたら、ここまで大事にならずに済んだかもしれないのに。後悔先に立たずとは言うが、どうしても後になってからくよくよ考えてしまう。

 昔からそうだ。他の人とは違う考え方を持っているせいで、周囲との同調を嫌って孤立する。きっと自分を曲げたくない、という矮小わいしょうなプライドが妨げになり、余計な仕事を増やしているのだ。優愛はそのままの自分を受け入れてくれたけど、現実の社会は甘くない。出るくいは打たれる。異端者は迫害され、爪弾つまはじきか島流しにされるのがオチだろう。このまま大人になれば、間違いなくいばらの道を進むこと確定だ。優愛のような人が、いつまでも側にいるとは限らないのだから。


 ――ずっと、優愛と一緒にいられたらなぁ。

 自分には優愛が必要なんだ。これからもずっと、大人になってからも。

 しかし、優愛だっていつの日か恋人を作り、そのうち結婚して子どもを産む。大切な家族ができてしまう。その相手は誰なのか。もしかすると晴樹かもしれない。同性の凛香では結婚は不可能だし、もし好意を打ち明けたとしても受け入れてもらえるとは限らないし、友達としての関係すら終了してしまう可能性だってある。それに、カミングアウトと大仰に言うが、自分はレズビアンではない。ただ優愛個人が人として好きで、他の人間には興味がないだけだ。微妙な立ち位置で説明が難しい。当の本人ですら、この気持ちの正体をよくわかっていないくらいなのだから。

 もし自分が男だったら、優愛と結ばれていただろうか。勉強が苦手な優愛のためにマンツーマンで教えてあげて、お互いに他愛ない悪態を付き合って……。否、その立ち位置は晴樹が担っている。そうなると三角関係になってしまい、少女漫画も真っ青な愛憎ドロドロな取り合い恋愛バトルになっていそうだ。やっぱり、うまくいきそうなビジョンが浮かばない。


 ――この気持ちは、どうしようもないよね……。

 風が優しくでていき、黒髪がふわりと棚引たなびいた。汗ばんだ服の隙間に涼風が潜り込んで、熱くなった体にひとときの清涼感を与えてくれる。

 気付けば随分と日が傾いており、空には薄めのオレンジ色がかかり始めていた。

 そろそろ夕暮れ時だ。

 荒波が立っていた気分も、だいぶ落ち着きを取り戻している。若干のブルーが差し色になっている気がしないでもないが、帰宅するには程よいコンディションだった。

 また風が吹き、木々がざわめいた。立ち並んだ樹木の間に、小さく揺れる影が見えた。夕陽のせいで逆光になっており、その影がなんなのかはわからない。

 ――あれ、なんだろう?

 違和感、と言うには乏しい感覚。興味、と言うには沸き立つ思いのない行動。まるで導かれるかのように、凛香はその影に歩み寄る。

 ずっと樹木の後ろに隠れていたなにかが、夕暮れ時の風に煽られて姿を見せたのだ。それはまるで、かくれんぼで見つけてもらえない子供が、わざとお尻を出しているみたいで可笑おかしな――


「……あ」


 ――それは、大きなてるてる坊主だった。

 ここしばらくずっと晴天だったのに、木の枝から吊る下がっているのは、誰かが作った特大サイズのてるてる坊主。その姿はあまりにも異様だった。頭は布を被っておらず、ひらひら揺らめくすそからは二本の足が出ている。それになにを用いて作ったのだろうか、洗わずに放置した便器か田舎の肥だめのような悪臭も放っていた。


「あ、ああ」


 言葉が出なかった。あごが震えていて、悲鳴を上げようにも力が入らない。

 それは紛れもなく、首を吊った人間だった。しかもその顔には見覚えがある。

 同じクラスの女子で、名前は戸田陽葵。母親が自殺してからずっと不登校だった子が、後を追うように公園で首吊り自殺をしていた。

 死後硬直した証に目を見開いたままの戸田陽葵が、こちらをじっと見ているような気がしてならない。そんなはずはない、彼女はもう死んでいるのだから。

 でも、そのにごった瞳に吸い込まれてしまいそうになる感覚を、凛香はどうしても拭えずにいた。

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