黒野凛香・2-1
思わず飛び出してしまった。
怒りの燃料はそのままに、凛香は荒い息を吐きつつ帰路についていた。
激怒のトリガーは間違いなく、優愛の手を握った瞬間だった。あの光景を見たせいで頭の中は全部真っ赤に染まってしまい、気が付けば琴子を突き飛ばしていた。あとは勢いに任せるまま怒鳴り散らして馬乗りになって、最後は晴樹に止められて。人前で取り乱してしまった恥ずかしさと、未だ収まらぬ憤怒の渦巻きに駆られて逃げ出した。
だが、原因はそれだけではない。
元を正せば、琴子が怪談話に釣られてすり寄ってきたのが悪い。普段はさっぱり関わりがない間柄だったのに、好きな話題だったというだけで割り込んできて、あろうことか優愛と連絡先を交換していた。夏休みに入ってからは幽霊を見る度に連絡し合う仲になっていて、挙げ句の果てには怪しげな物で溢れた自室に招き入れた。しかも、オタク趣味で気持ち悪い雰囲気の知り合いに、優愛の事情を勝手に話していたのだ。もしいかがわしい事件に巻き込まれたら琴子はどう責任を取るつもりだったのか。自分だけが被害を被るなら勝手にすれば良いが、浅慮な人間は周囲に災厄を振りまくから始末に負えない。割を食うのはいつも真面目に働く方ばかりだ。
とにかく、琴子の一挙手一投足全てが気に入らなかった。
凛香が長年積み重ねてきた、唯一無二の憩いの場所。そんな優愛との関係に水を差す不純物、もしくは有害物質、あるいは放射性廃棄物。ぽっと出の浅い付き合いのくせに優愛の隣に、自分が築いたポジションを横取りして収まろうとするのが許せない。何よりもそれが「優愛が好きだから」という愛によるものではなく、「怪異と触れ合えるかもそれないから、そのおこぼれをもらいたい」という打算のためなのが余計に腹立たしい。友情や愛情を利用する意地汚い女に、自分の居場所が奪われるなんてあってはならないのだ。
――そうよ、そうよそうよそうよ!
――あの陰気で薄汚い女が全部悪いのよ!
友達が一人もおらず、教室の隅っこで縮こまり息を潜めているような、人生がうまくいっていない女。絶対ああはなりたくないと思える、可哀想なほどに無様な醜態を晒している女。一歩間違えれば自分も同じだったかもしれない、もしもの可能性を体現したような女。
そう、ただの同族嫌悪だった。
周囲の子供と考え方が違い、友達がいなかった小学校低学年の時代。もし優愛に出会っていなかったら、自分も琴子と同様に気持ち悪い趣味を持った、軽蔑の目を向けられる
凛香にとって琴子は、自分の嫌だったところを寄せ集めて煮詰めて濃縮したような存在だった。だからこそ本能的に気に入らないし、そんな女に居場所を奪われるのが何よりも許せないのだ。
「ああ、もう!イライラするっ!」
何度自分に言い聞かせても、何度地面を踏みつけても、全然気持ちが落ち着かない。考えないようにしても余計に意識してしまい、琴子の顔と手を握る瞬間がフラッシュバックして、鎮火しかけの怒りが再燃してしまう。
このままでは家に帰れそうにない。荒れた気持ちで帰宅すれば、母親が心配するに決まっている。「またおかしな子に戻ってしまった」と気を揉むかもしれない。家では優等生らしく平穏に過ごしたいので、どうにか我慢して自分を抑える他ないのだ。
凛香は家へ続く道を曲がらず、近所を歩いて回ることにした。
太陽は少しずつ傾き始めているが、まだ鉄板の上のような暑さが周囲を支配している。アスファルトの上にずっといれば、その辺に転がっている、焦げついたミミズと同じになりかねない。日陰の多い公園に行くのが良いだろう。
「……あら?」
その道中、ジャングルおばさんが経営する駄菓子屋、“吉田商店”の前を通った。最後に訪れたのは、戸田家の自殺現場を見に行った帰りだ。あのとき食べたかき氷は美味しかった。暑さと喉の渇きが我慢の限界を超えているので食べていこうか、と思ったのだが店の引き戸には鍵がかかっている。看板の下、塗装が
『お客様へ
誠に勝手ながら、店主の都合により閉店させて頂きます。三十五年もの長い間のご愛顧、ありがとうございました。
吉田商店』
閉店のお知らせだった。
ついこの間まで元気に営業していたはずなのに、突然どうして辞めてしまったのだろうか。「店主の都合」と書いてあるあたり、おばさん自身かその家族に何らかの問題があったのかもしれない。やむにやまれぬ事情があったのだろう。
「はぁ……。でも、ないなら仕方ないわね」
ぬか喜びしたせいで余計に食べたい気持ちが湧いてきたが、閉店してしまったのならどうしようもない。ないものねだりをするなんて幼稚だ。中学生にもなってその思考では、恥知らずと罵られてもおかしくないだろう。気持ちの切り替えが大事だ。
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