緑川晴樹・2-3


「妖怪って……あの、のっぺらぼうとか、ろくろ首とかの、アレですよね?」


 思わぬ単語の登場に、晴樹は半笑いになってしまう。

 妖怪といえば、アニメや漫画でもよく題材に用いられる、日本では古来から伝わるポピュラーな存在だ。定期的にブームが起こっており、つい数年前にもとあるアニメ作品が流行していた。が、身近な存在に脚色されたそれらからは怖さを感じられず、むしろ親しみやすいゆるキャラの類いと化していた。そもそも妖怪なんて、昔の人が科学知識にとぼしいがために生み出した存在だ。かつて雷を天の裁きと表現したのと同様であり、正体についてもある程度の想像がつく。

 それなのに、優愛を苦しめる騒動に関わっている、というのが腑に落ちない。


『おいおい、少年よ。妖怪を馬鹿にしちゃいけないぞ?』

「そーだよ、晴樹。あたし達は真面目な話をしているんだよ?」

「ごめん……」


 画面越しのダイダラは良いとして、この騒動の中心人物である優愛にとっては笑い事ではない。本人としては一大事なのはわかるが、実際非科学的なので滑稽こっけいに見えてしまうのだ。

 とはいえ、これ以上余計な言動は優愛を傷つけてしまいかねない。晴樹は改めて口をつぐむことにした。


「でも、“ふろとうくる”なんて名前の妖怪、聞いたことないけどなぁ」


 それには晴樹も同意見だった。怪異関係に詳しい琴子ですら知らないのなら、全国でも知っている人はごくわずかではないだろうか。


『うんうん、いい質問だよぉ……。その疑問は至極当然だよ。なんてったって、超がつくくらいにマイナーな妖怪だからね』

「やっぱりそうなんだ」

『“ふろとうくる”は、島川しまかわ栄善えいぜんという江戸時代後期に活躍した浮世絵師が描いた、妖怪絵巻“百鬼夜行図ひゃっきやぎょうず”に登場する妖怪の一体だ。その姿はこの通り、海から現れる全身真っ黒な巨人として描かれていて……ああ、面倒だから、画像送るわ』


 モニターには別ウィンドウで、黄ばんだ紙に描かれた黒い巨人の画像が表示された。オンラインの映像で見るよりも鮮明で、細部まではっきり見える。妙な茶番はせずに、最初から画像ファイルを送るだけで良かったのでは?と疑問を呈したくなるが、ダイダラに言っても暖簾のれんに腕押し、ぬかに釘。どうせ適当な言い訳を聞くハメになるだけなのが関の山だろう。


「これって、海坊主じゃ……?」


 琴子が首を傾げている。

 確かに、海坊主と呼ばれる有名な妖怪にそっくりだ。

 海坊主といえば、夜の海に現れて船を破壊するという言い伝えが残る、巨人の姿で描かれている妖怪だ。名前の通りの坊主頭で全身真っ黒なのだが、それは夜間に出現するためディテールが不明瞭なためだろう。現代ほど照明機材が充実していない時代なので当然だ。そのため見通しが悪い中で巨体を持つ海洋生物――例えばくじらしゃちなど――に遭遇した、という経験に尾ひれがついて誕生した妖怪とも捉えられる。


『そう、顔が真っ黒ってところ以外、海坊主にそっくりでしょ?実はね、似ているけど名前が違う妖怪って多いんだよ。当時の藩ごとによる文化の違いや、なまりのきつい方言のせい、なんて理由もあるだろうけど』


 どうやら“ふろとうくる”は海坊主の派生にあたる存在で、有名な海坊主の陰に隠れてしまい、マイナーな存在になってしまったらしい。ダイダラ曰く「これ以外に資料の絵がない」とのことで、一説では島川栄善の創作では、とも言われているそうだ。ネット検索でも出てこず、地元の資料館にあるかないかの、激レアご当地キャラクターというわけだ。


『出現場所は駿河するがの国……静岡県の駿河湾沖に一度だけ姿を現したらしいんだ。伝承では宝永ほうえい四年、富士山が噴火するより少し前に、海から上半身を出してきた。その瞬間を描いたのがこの浮世絵だそうだ』

「え、富士山って噴火するの!?」

「優愛、お前なぁ……」


 幼なじみのお馬鹿発言に頭が痛くなる。一時期富士山は休火山と呼ばれていたほど滅多めったに噴火しないのだが、今でも現役の活火山だ。そして一七〇七年、宝永四年に噴火して南東側にできた山を宝永山と呼ぶ。静岡県側から見るとその姿がよくわかる。

 噴火の年まで正確に答えろ、とまでは言わないが、せめて死火山じゃないことだけは知っていてほしかった。今後再び噴火する可能性もあるので、防災の観点からも必要な知識だろう。


『ぐふふっ。君、勉強不足だねっ』


 画面の向こう側で、ダイダラが気味悪い声を漏らしてニヤニヤしている。知識の足らない優愛を小馬鹿にしているのだろう。優愛本人は「いやぁ」と苦笑いで済ませているが、内心相当傷ついているはずだ。お馬鹿なのは優愛が悪いが、それを嘲笑して良いわけがない。何よりそのデリカシーの欠片かけらもない指摘で、凛香が足を踏みならすほどに苛立いらだっていた。

 ダイダラがネット漬けになった背景が、なんとなくわかった気がする。


『それで噴火前に現れた時なんだけどさ、これがどうやら、からすの手下を従えていたらしいんだ。ほら、絵を見て。“ふろとうくる”の周りを飛んでいるでしょ?』


 言われてみれば、確かに墨の線で羽ばたいている鳥が表現されている。まるでアルファベットのVの形で、夕暮れに飛んでいる烏そっくりだった。


『……で、その烏については詳細不明なんだけど、鳴き声代わりに変な言葉を話していたらしいんだよ、“ふろとうくる”って。それがこいつの名前の由来さ。意味はわからないけどね。あ、因みに漢字で書くとこうらしいよ』


 ダイダラはホワイトボード機能を使ってさらさらと名前を記すと、同じ記述がこちらのモニターにも映し出される。

 そこには“符滷塔来ふろとうくる”とあった。


『符は護符をはじめとしたお札、滷は塩辛いやしたたるという意味、塔はそのままとして、それが来る。つまり特殊な力を持った塔のようななにかが、塩水を滴らせてやって来る、と読み解けるんじゃないかな?ま、昔は音に合わせて適当な当て字ってのはよくあったことだから、この説は信憑性がないけどね』


 力説してくれた名前の意味についてはこの際置いておくとして、問題は手下の姿の方だ。海から現れたのに鳥類というちぐはぐさもそうだが、なによりも引っ掛かるのが、


「か、烏って……嘘」

『そういえば、君がよく見かける幽霊ちゃんも、烏みたいな羽を残していくんだよね?だとすると、“くろうら”ってのは手下のことで、その幽霊ちゃんの正体だったりして?』


 優愛の証言と一致していることだ。

 ただの見間違えや気にしすぎたゆえの産物だったはずなのに、名前も特徴も重なるなんて偶然があるのだろうか。だが、


「烏だから“くろうら”ってのは、ちょっとでき過ぎじゃないか?」


 自分達を困惑させたいがためにダイダラが用意したフェイク、偽りの情報なのかもしれない。日本のマイナー妖怪のはずが、英語――烏は英語でCrowクロウ――を元にした名前になるのは奇妙だ。この短時間のやり取りでもわかる通り、ダイダラの性格は程よくねじ曲がっている。こちらの戸惑う反応を楽しむという悪趣味のために、虚偽の情報を織り交ぜていてもおかしくないだろう。


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