泉優愛・6-2


 優愛の願いは天に届かず。先輩達選手一同は良い勝負をしており、見事二回戦へ勝ち進んでいた。

 粘りに粘って勝ちをもぎ取っていたのだが、おかげで長時間炎天下で応援させられるハメになった。「ファイト」とか「頑張れ」とか単調な声援を送られたところで、最終的に勝てるかどうかは本人の実力次第。ヒーローショーのように台本があるわけでもなく、大してプラスに働かないのだから、わざわざ部員全員で来なくていいはずだ。伝統か見栄えか知らないが、余計なことに学校の予算を使い、生徒の時間を縛るのはいかがなものか。そんな不服を抱えていたが、内申点の決定権を握られている現状、世間体を気にする優愛は黙るしか手段がなかった。無力である。


 昼食は仕出し弁当が配られた。夏場の食中毒対策でキンキンに冷えたご飯に、氷漬けにされていたペットボトルのお茶だ。特に運動はしていないが腹は減っているので、意外とするする食が進む。身も心もアウェーな空間にいるのに食欲が減退しないあたり、それなりに図太い神経をしているのかもしれない、と優愛は内心苦笑した。

 太陽は真上に昇っており、地面に伸びていた影は短くなってしまった。直射日光を避けられる場所は限られている。しかし、過ごしやすい屋根ありの休憩所にいるのは、大して仲の良くない部員ばかりだ。他の場所にも見ず知らずの学生が陣取っている。結局優愛は、集団から離れた木陰に一人で座り、黙々と弁当に箸をつけていた。

 教室で一人になるのは嫌だが、部活内で孤立するのは慣れてしまった。話しかけられたら邪険にするつもりはないが、自分から関わろうとは思わない。余計な人間関係に精神を使いたくないからだ。それに下手に仲良くなってしまうと、嫌いなテニスの自主練習に巻き込まれかねない。あと一年ちょっとの我慢をすれば、この束縛から逃れられるのだ。このまま穏便に済ませたい、というのが本音である。


「うわ、またいるよ……」


 穏便に、といえば幽霊も問題だ。

 遠くから見つめてくる黒い少女が、今日も死角で浮いていた。自分の斜め後ろ、遠く離れた通路のど真ん中にいる。元から朧気おぼろげだったが、今は距離と夏の陽炎かげろうも相まってうっすらとしか見えない。

 なんてしつこい子なのだろう。彼女との関係も穏便且つ後腐れなく終わらせたいのだが、いっそ除霊でもした方がいいのかもしれない。もっとも、霊能力者なんて眉唾物の知り合いなどいないし、清めの塩や数珠じゅずと念仏が効くとは思えないが。

 ――え、ちょっと待って。

 そこで一つの違和感に気付いた。

 ここは百合ヶ浦ではない。遠く離れた場所、県庁所在地にあるスポーツ公園だ。あの少女は自分を追って、ここまでついてきたというのか?

 いわゆる背後霊や守護霊とは違う、自分のいる場所にいつの間にか現れるタイプの幽霊。元々ストーカーのようだと思っていたが、まさか長距離を移動してくるなんて予想していなかった。本格的に狙いを定めてきたのかもしれない。

 ――狙いって、なんの?

 ――取り憑くため?見守っているだけ?

 ――それとも、なにかを伝えようとしている?

 目的がさっぱりわからない。

 こちらからじっと見つめていたら、少女はすっと立ち去っていく。ふわっと重さを感じない動きで、真昼の白く輝く地面の上で揺らめきながら。

 優愛は日課のように、スマートフォンを手に彼女の後を追いかけた。写真に写らないのは知っているが、念のためだ。何らかの偶然が起きて、意外な瞬間が撮れるかもしれない。幽霊が何者なのか、目的はなんなのか。その解明のためには、どんな些細な情報でも取りこぼせないのだ。

 少女の姿は黒くて真昼の中でははっきり映るはずなのに、蝋燭ろうそくの火のように弱々しく、吹けばはかなく消えてしまいそう。視界の先で浮かんでいる影は、何度も景色に溶け込んでなくなりそうになっている。

 それでも今日こそ手が届くかもしれない、という一縷いちるの希望を胸に、手を伸ばしたが、


「あ……っ」


 やはり、指先は空を切ってしまう。公園の曲がり角、なにを表現したいのか不明な幾何学きかがく的オブジェの前には、お馴染みの黒い羽が落ちているだけだった。必死に真相を探ろうとする優愛を嘲笑あざわらうかのように、いつも残されている置き土産だ。さっぱり進展しない現状に、頭を抱えたくなる衝動にかられる。


「あの、そこのあなた」


 背後から声をかけられた。

 まさかと思い振り返るが、そこにいるのは黒い少女――ではなく、体操服姿の女の子だ。背丈は優愛よりも上で、引き締まった手足が美しい。ショートカットヘアーでほどよく日焼けした肌は、まさにスポーツ少女といった出で立ち。胸元に縫い付けられた名札には『阿久津あくつ芽衣めい』と書かれていた。テニス部の先輩と試合をして、惜しくも負けていた私立興林館きょうりんかん中学校の二年生、同い年だ。

 補欠どころか実力最下位の落ちこぼれな自分になんの用なのだろうか。

 ――まさか負けた腹いせに、下級生をいじめに来た……わけじゃないよね?

 という少女漫画でありがちな、嫌な想像をして身構えていたところに、意外な言葉が放たれた。


「もしかして、その黒い羽が見えているの?」

 

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