泉優愛・6-1


 バスは安全運転で高速道路をひた走っている。窓の外では、先を急ぐ車が次々と追い抜いている光景が広がっているだろう。しかしカーテンを閉め切っているので、ごうごうという走行音だけが耳に届いていた。

 優愛が乗っているバスは貸し切りで、乗客は全員女子テニス部とその関係者。そして行き先は県庁所在地にあるスポーツ公園だ。

 今日は部活動の遠征だ。全国大会行きの切符を手にするため、三年生と二年生の一部が県大会に出場する。そのため部員全員で応援しに行こう、というはた迷惑なイベントだった。嫌々テニスをやっている身からしたら、他人の試合のためにかり出されるのは、当然ながら良い気持ちがしない。近所ならまだしも、片道一時間かかる場所が会場というのが最悪に拍車をかける。親しい友人がいない、むしろ険悪な仲のテニス部メンバーと一緒に余所よそで長時間拘束されるなんて、居心地が悪くて仕方ない。スマートフォンをいじって時間を潰すくらいしかやることがないのだ。さっさと終わって帰りたい。


 写真フォルダを開き、今まで撮った心霊写真を確認していく。そのどれもがモザイク並に乱れており、映したはずの幽霊がぐしゃぐしゃに潰されている。

 ――どういう仕組みなんだろう……。

 夏休みの学校で会ってからも、黒い少女は度々優愛の近くに現れた。いつも死角にあたる場所で、大抵十メートル以上離れて立って――否、浮いている。ある時は通学路に、またある時は近所のコンビニエンスストアに。テニスコートの端っこに現れた日もあった。その度に、何度もカメラに収めようとシャッターを切ってきたが、そのどれもが被写体をかき消すようなエフェクトがかかった状態で保存されてしまう。まるで映されたくないように、そこにいたという証拠を隠滅するように、黒い少女の部分だけが不自然に歪むのだ。よくある心霊写真と違い、彼女は写真に写らない性質らしい、と結論づける他ない。少なくとも、スマートフォン本体の異常ではないのだから。


 黒い少女がいた場所には、必ず黒い羽が落ちている。屋内か屋外か問わず、近くに人がいようが鳥がいなかろうが、絶対その場に残していく。一度だけ、おっかなびっくりその羽を持ち帰り、真空パックに保管してみた。しかし、次の日には跡形もなく消えてしまい、残ったのは空っぽのパックだけ。汚いからと捨てられてしまったのかと思ったが、母に聞いても「羽なんて知らない」と言う。どうやら黒い羽は、一晩たつと自然消滅してしまうらしい。幽霊の落とし物なのに拾えたのが不思議だったが、独りでに消えるのも輪をかけて謎だった。

 ――蒸発したとか?……まさかね。

 そしてもっとも奇妙だったのが、その少女が見えているのは自分だけ、ということだ。黒いワンピースを着た裸足の女の子、という異様な出で立ちの子なのに、周囲の人は誰も反応しない。店の中にいても、部活中のテニスコートにいても、誰も彼女について言及しないのだ。もちろん落としていった羽も完全無視。足元にあっても気にする様子は全くなかった。

 ――何であたしだけなの?

 優愛はこれまで一度も幽霊のような超常現象を見た経験がなく、親戚一同霊感があると語った者はいない。それなのに自分にだけ見えている、という現状がどうにも腑に落ちなかった。


 バスのスピードが、ぐんと急に下がった。どうやら高速道路を降りたらしい。周囲から聞こえてくる走行音は、どれも緩やかなものばかりになる。


 黒い少女はいつも、その辺に立って自分を見ているだけだ。何か危害を加えようとするそぶりもなく、まるでこちらの様子をじっと観察するように。とはいえ、見られているだけでも不快感は残るものである。まるでストーカー被害に遭っているかのようだ。普段の生活でも、どこかから見られているのではないか、と神経質に探してしまう。

 一体彼女は、どんな目的で自分の近くに現れて、見つめ続けているのだろうか。オカルト事に明るくない優愛にはさっぱりだ。親友の凛香やマニアの琴子に相談してみたが、ピンとくる答えは返ってこなかった。

 実害はないが、ただただ気味が悪い。せめて何者なのかさえわかれば、もう少し気楽に過ごせるかもしれないし、彼女と接触もできるかもしれない。もっとも、近づこうとすれば、滑らかな動きでスライドするように逃げていき、黒い羽だけを残していくのだが。


「そろそろ会場に到着よ。各自荷物をまとめなさい」


 顧問の教師がよく通る声で、まもなく目的地に到着すると知らせてくれる。テニスコートに着いてしまえば、しばらくは応援に集中しないといけない。気の合う仲間がいない中、時間潰しのスマートフォンさえ使えず、好きでもない相手に声援を送るという精神的な拷問ごうもんが待っている。しかも夏真っ盛りの熱中症必至な炎天下だ。

 ――これ、あたしを殺す気でしょ……。

 上級生達には悪いが、第一試合でサクッと負けてほしい。

 神様、どうかお願いします。と、都合の良い時だけ神頼みをしてしまう。特に信仰している神様なんていないのだが、自分ではどうしようもないこと相手だとすがり付きたくなってしまうものだ。願ったところで神様なんていないし、結局は自分の運次第なのは経験上分かっているのだが、どうしても神頼みをやめられない。他力本願なのも悪いところだ、と自覚はしているつもりなのだが。

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