泉優愛・5-4


「ふぅ……」


 家に帰ると早速シャワーを浴びて、体中の汗と砂埃を洗い流した。大嫌いな部活という空間でけがれた体を清める、我が家という安息の地に戻るための儀式と言えるかもしれない。するとしないでは、気分の善し悪しが段違いなのだ。

 べっとりとしていた肌は、乾くとさらさらの触り心地。髪の毛もドライヤーの風でふんわりと、緩い内巻きカーブを描いたボブヘアーにまとまっていた。

 入浴はせずにさっと済ませるつもりだったが、存外時間がかかってしまったらしい。シャワーだけなのに、湯船に入ったのと同じくらいの長風呂。時刻は午後一時をとうに過ぎており、テーブルの上にはラップがかけられた焼きそばが置かれていた。


「もう。出るのが遅かったから先に食べちゃったわよ?」


 昼食を作ってくれたのは母の鈴音だ。汚れた調理器具や皿はそのままに、床にトドの如く寝転がってワイドショーを見ている。食べてすぐに寝ると太る、と散々叱ってきたくせに、自分は平然と横になるとは。大人の言うことは当てにならないな、と優愛は溜息混じりで自分の椅子に座った。


「ちょっと、裸でご飯食べる気?」

「暑いんだからいーじゃん」

「みっともないからやめなさい」

「はいはい、わかったってば」


 カーテンは閉まっているし、下着だけは身につけているからいいだろう、と思ったのだがやはり母親からダメ出しを食らった。お湯を浴びたばかりで体が熱を帯びている。服を着込むと暑いのだが、仕方ないのでTシャツとズボンで適当に身なりを整える。早く食事にありつきたかったので、コーディネートは深く考えていない。どうせ家の中にいるだけなので、他人に見られる心配は皆無。男子には見せられない、いい加減さ全開だった。


「もうお腹ぺこぺこ~」


 ラップを外して箸に麺を絡ませると、ソース味のそれを一気にすする。少し濃いめの味付けが口内に拡がった。焼きそばは少し冷めていたが、体が熱いのでそのぬるさがちょうど良い。キャベツもいい具合にしんなりしている。空腹からくる食への衝動をそのままに、ずるずると麺を口へ運び続けた。


『……――市の北宮きたみや海岸近くで乗用車が海へ落下し、家族四人全員の死亡が確認された事故ですが、警察の調べによると車は猛スピードでガードレールを突き破ったとのことで――……』


 テレビでは昨日起きた事故の続報を伝えている。司会の男性が詳細について、フリップボードを用いて説明していた。夏休みで旅行に向かった家族が事故に遭ったらしい。海岸沿いを走っていたが、カーブで曲がりきれずガードレールに衝突、そのまま海へドボンとダイブ。車はすぐに引き上げられたが、家族全員が車中で溺死していたそうだ。しかし、ただの事故ではなかったらしい。


「これは無理心中ね」

「何ソレ?」


 鈴音が聞き慣れない単語を口にしたので、思わず聞き返していた。


「自分の自殺に、家族とか友達とか、他の人を無理矢理巻き込むことよ」

「え、また自殺……?」


 ここ最近、ニュースでは自殺関係のニュースが連続している。有名人の死はもちろんのこと、一般人による自殺も多く、高層ビルからの飛び降りや列車に飛び込みも頻発。無関係の人も自殺者のせいで一緒に死んでしまった、という悲劇も幾つか報道されていた。ニュースキャスターも「最近多いですね」「悲しい限りです」と何度もコメントするくらいである。他に言うことはないのだろうか。


「世の中ずっと不景気だから、みんな不安でいっぱいなのかもねぇ」


 母曰く、漠然とした不安が自殺の原因なのでは、だそうだ。度重なる政治家の汚職や大企業の不祥事、経済の停滞に高止まりした失業率。よくないことばかりが世の中に蔓延まんえんしていて、先行き不透明なせいで未来に絶望している。そのため突発的に死という解決手段に出てしまう人が増えているのではないか、という仮説だ。しかも自殺の報道を見聞きしたせいで、受け取った視聴者も影響を受けて不安になり、同じ末路を辿るようになってしまう悪循環。それが連続して起きている自殺の真相なのではないか、と考察していた。

 政治や経済などの難しい話は聞き流したが、要するに不安で死にたくなる人が多い、とのことらしい。


「そっか……――って、ママはそんなことないよね?」


 優愛が一番気になるのはその点だった。氷室一真の大ファンで、第一報からしばらくは泣きっぱなしの毎日。現在はどうにか持ち直したようだが、鈴音の考察通りにいくと無理心中しかねないのではないか。自分達家族も明日にはマスコミの玩具おもちゃにされて、あることないこと適当に報道されているのではないか。ほんのりと嫌な予感がした。


「しないわよ!ママが大事な優愛を道連れにすると思う!?」

「やりそうって思ったから聞いているんですけどー」


 一応、全力で否定してきたので、恐らく大丈夫なのだろう。さすがに重度のファンといえど、本気で無理心中を図るわけないはずだ。半分くらいは冗談だった。茶化しついでに聞いたまで、と思ってほしい。

 必死に言い訳する母のおかしさにくくっと笑うと、優愛は残りの焼きそばを一気に啜りきった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る