Phase2:Optimization
泉優愛・4
“日常に違和感を覚えたのなら、注意深くその原因を探せ。
もうすぐで長かった一学期は終わりを告げて、誰もが待ちに待っていたバカンス、至福の夏休みが始まる。一ヶ月強に渡る年内最長の連休だ。旅行に行く生徒も大勢いるだろう。
しかし、休みを取らせまいと立ちはだかる存在が、気が遠くなるほど山のようにあるのも現実だ。全生徒に課された夏休みの宿題はもちろんのこと、部活の練習に大会の遠征、それに加えて自主勉強に自主練習まである。決められた課題は黙って運命を受け入れるとして、なぜ自主と名の付くものを強制されないといけないのだろうか。取り組まない生徒はやる気がない、というレッテルを貼られるという目に見えた不利益があるせいで、否が応でも取り組まなざるをえない。自主の名の下に行われる半強制ではないか、と疑問に思う。が、文句はあれど声は上げられない。絶対的な権力を持つ学校側に逆らったところで、プラスに働く要素は一つもない。内申点を下げたくない一心で、必死に頑張るしかないのだ。きっとこれが社会の縮図なのだろう。大人も子供も、弱い立場の者は
それでも、夏休みという言葉は甘美な響きだった。期間の全てが楽しいわけではないのだが、自由に遊べる貴重な時間だって確かに存在する。特に自分達は来年受験生であり、ろくに遊べない夏になるのは確定事項だ。悔いのないよう、今年の長期休暇を存分に満喫したい。
「……長いなぁ」
優愛は周囲に聞こえないほど小さな声で、ぼそっと文句を垂れた。
夏休みを直前に控えた今日の予定は、体育館に全校生徒を集合させて行う行事。どこの学校にもあるだろう終業式だ。普段はバスケットボールやバドミントンの試合をする広い場所なのだが、生徒が一箇所に密集していると息苦しさを感じてしまう。クーラーはついておらずむせ返るような熱気が充満しており、窓を全開にしていても効果は微々たるもの。最悪の環境だ。
だが、問題はそれだけではない。校長先生のどうでもいい話や教師からの連絡事項を、床に座ったまま長時間聞かないといけないのだ。夏用制服のスカートではクッション効果はなきに等しく、尾てい骨と床に挟まれた尻の肉に、じわじわと鈍痛が拡がっていく。耐えきれず身を
生徒を酷い環境に置いているというのに、校長先生は未だにだらだらと話し続けている。偉ぶりたいのか知識をひけらかしたいのか、回りくどく難しい単語を使っているせいで右の耳から左の耳状態だ。言葉が頭を素通りしていくせいで、話の内容がさっぱり記憶に残らない。無駄な時間を過ごしているようで、余計に苛立ちが募ってきて、舌打ちもしたい気分になってしまう。
「えー、ですから……長い休みだからといって、生活リズムを崩さないような……えー、規則正しいですね……」
それはさっきも聞いた。一体何度同じ話を繰り返す気なのだろうか。台本を読みながら話すのだったら、もう少し要約した文章に
――ああ、もう。聞いていられない。
優愛は退屈で要領を得ない話を聞き流しながら、これから始まる夏休みの展望に思いを馳せる。現実逃避のようなものだったが、尻の痛みを紛らわせるのにはちょうど良かった。
目の前に並ぶ同級生達の後頭部が次第にぼやけていき、オーバーラップするように楽しげなイメージが映り出す。海水浴やバーベキュー、街に繰り出してショッピングもしたい。見たかった映画が幾つも公開される予定だが、どれにしようか迷ってしまう。全部鑑賞するのは難しそうだ。何作かは地上波放送を待つことになるだろう。
と、夏休みの光景を考えていたら、段々と睡魔が襲ってきた。暑さのせいで頭が
まずい、と感じつつも休息モードに入った体は、どんどん集中力のスイッチを切っていく。まるで就寝前に屋内の電気を全てオフにする作業のよう。頭も手も足も緩んで、今にも寝落ちしそうだ。
「それから、大事な話なのですが、命は大切にしないといけません。間違っても自殺なんて、親御さんが悲しむような行為は絶対にダメです」
自殺、という単語で意識が現実に引き戻された。眠気がさっと引いていき、目の前に並ぶ後頭部と壇上の校長先生がクリアに映る。
最近世間を騒がせている、芸能人の相次ぐ自殺。優愛が知っている限りでは二名、ニュースを見ると他に何人も亡くなっているらしい。原因はいずれも不明。専門家もわからないと首を捻り、日々ああでもないこうでもないと議論中だ。
また、芸能人の死はセンセーショナルで、一般人に与える影響も大きい。特にファンだった者にとってはショックであり、後追い自殺する可能性だってある。優愛の母親はどうにか持ち直したが、感受性豊かな若者ではどうなるのだろうか。保健の教科書にも気持ちが不安定になりやすい年頃、と記されているくらいだ。その場の勢いで身を投げてしまうかもしれない。
校長先生が言いたいのは、そういった面からの注意喚起なのだ。とはいえ、綺麗事を並べただけの感動の「か」の字もしない演説は、ほとんどの生徒の耳に届いていないだろう。親に反発したがる反抗期まっただ中にいる中学生に、「親御さんのため」と言って心に響くと本気で思っているのだろうか。それに全ての親が真っ当という保証がないのに、「親を悲しませるな」と言い切るのも解せない。問題を起こしてほしくないから大人しくしていろ、という学校側の意見優先の、とってつけたような言葉にしか聞こえないのだ。
学校の問題といえば、ここ最近、戸田陽葵を見かけない。
母親が自らの喉を包丁で突き刺し自殺した、クラスメイトの女の子。心に深い傷を負ってしまったのだろう、あの日以来学校におらず、終業式にも顔を出さないままだ。他の子や教師達もタブー視しているようで、彼女についての話題はずっと上がらない。校長先生すら自殺の注意喚起をしているのに、その事件については一切触れずにいた。
戸田陽葵は、今どうしているのだろうか。
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