緑川晴樹・1


 白い天井は蛍光灯の光を反射して、チカチカとまぶしい光で目を刺してくる。網戸の隙間から入り込んだのか、一匹の羽虫が光源の周りを飛び回っていたが、追い払うのが面倒で起き上がる気にならない。

 晴樹は帰宅するとすぐに自分のベッドに寝そべり、今日一日の、特に先程までの出来事を振り返っていた。

 幼なじみの優愛が幽霊を見たとおかしなことを言い出して、クラスメイトの琴子が珍しく話に割り込んできて、凛香のせいで幽霊探しに無理矢理むりやり同行させられた。女子三人に振り回されっぱなしの一日で、しかも収穫なしのわからずじまいだ。「骨折り損のくたびれもうけ」とでも言うべきか。


 ――ま、昔からそうだけどさ。

 女子のせいで面倒事に巻き込まれるのは、幼い頃から毎度お馴染なじみだった。そのほとんどが優愛のせいなのだが。

 優愛との出会いはいつだったのか、正確には覚えていない。母親同士が友人で、赤ちゃんの頃から会う度に遊んでいたそうだ。アルバムには当時の写真がいくつもあったが、残念ながらさっぱり記憶になかった。

 幼稚園に通っていた頃は優愛の方が背が高く、大抵の場合主導権を握られていた。おままごとや鬼ごっこなどなど、彼女がやりたい遊びに付き合わせる毎日。肝試しと言って何度薄気味悪い場所に連れて行かれたか、両手の指では数え切れないぐらいだ。怖いものがさほど得意ではないくせに、興味はあるから性質たちが悪い。おかげで怖くなった優愛は泣き出して、それを晴樹が慰める。泣くくらいならわざわざ行かなければいいのに、と思う。

 そんな出来事が何度もあったせいで、母親からは「騎士ナイト様みたいね」なんて茶化ちゃかされていた。どちらかと言えば小間使いだ、言うほど大層な役割じゃないだろう。なのに気をよくした優愛は、勢いに任せて「将来結婚する」なんて馬鹿げた宣言までしてきた。絵本に登場するプリンセスじゃあるまいし、ドラマティックな展開に憧れ過ぎである。

 だが、もっと馬鹿なのは晴樹自身だ。当時まだ幼児だった優愛の約束を鵜呑うのみにして、彼女に相応ふさわしい男になろう、と真剣に考えるようになった。小学校に上がってからは体を鍛え始め、苦手だった運動を克服。勉強だって死ぬ気で取り組んだ。おかげで中学生になる頃には、サッカー部のエースにして学年トップレベルの頭脳をゲット。羨望せんぼうの眼差しを一身に受ける男が完成。男女問わず好かれる、少女漫画風に言えば学校のプリンス級の存在になれたのだ。

 しかし当の本人、優愛の心は次第に離れていった。成績が上がる度、スポーツで活躍する度に遠のいていく。幼い頃と比べて、彼女から話しかけてくる機会は格段に減ったのだ。こちらから絡めば反応こそしてくれるものの、以前よりも冷たくどこか他人行儀さを感じる。地続きだったはずの大地が少しずつ裂けていき、深い溝が刻まれていくかのようだった。

 学校中の女子から好意を寄せられたとしても満たされない、胸にぽっかり開いた空虚な穴。もう取り戻せないかと思っていた、欠けてしまった心の一部。

 それが今日、少しだけ返ってきた気がした。


 ――幽霊なんて、いるはずねーのにな。

 散々肝試しをさせられて耐性が付いたのか、それとも恐怖に対する防衛本能のせいか、晴樹は幽霊否定派になっていた。

 凛香は「可能性はゼロじゃない」と言うが、科学的に証明が不可能であれば存在しないのと同義だ。目に見える形や数値化などで観測できなければ意味がない。確かに宇宙で起きる事象のように、暗黒物質ダークマターを考慮しないと成立しない現象もあるだろうが、幽霊の関与が疑われるケースのほとんどが単なる体験談。主観に汚染された目撃証言だけが頼りの、研究するに値しない与太話よたばなしだろう。

 心霊写真やポルターガイストなどの物的証拠も複数確認されているが、そのほとんどが捏造ねつぞうやトリックによって生み出された偽物。名声欲しさに狂った者の嘘ばかりだ。虚偽の可能性を限りなく潰した先に残るのは、一体何点の証拠だろうか。

 特に心霊写真に関しては、デジタル化に伴い撮れてしまう頻度が少なくなった。スマートフォンの普及で全世界の人間がカメラマン同然になったはずなのに、新作の心霊写真はなかなか出回らない。カメラマンの増加に比例して件数が増えないとおかしいのに、である。この時点で、今までの心霊写真のほとんどがアナログ特有の撮影に失敗しただけの写真、それかだます意図を持って作られた加工済みの写真と言えるだろう。

 以上の持論から、晴樹は幽霊や心霊現象の類いを全く信じていない。むしろ普通に生きている人間の方が怖い、と思っている。優愛の目撃証言に関しても、恐らくただの見間違えだろう。自殺現場というインパクトの強い場所を見に行ったせいで、少々ナーバスになっていただけだ。大騒ぎをするほどの話じゃない。

 だが、そんな馬鹿馬鹿しい時間が楽しかった。


 ――久しぶりだな、優愛のわがままに付き合わされるのは。

 優愛のせいで妙なことに巻き込まれるのは、恐らく幼稚園か小学校低学年の頃以来だろう。当時と違って約二名の女子が追加されており、自分達も成長して相違点は幾らでもあるが、それでも幼少期を想起させる懐かしさに溢れたイベントだった。楽しかったあの時代に戻ったような、優愛との距離が縮まったような、満足感で胸の穴が満たされた気分だ。

 幽霊探し、という絶対に発見が無理な遊びなんて下らない。だけど、またやりたい。優愛ともっと、夢中になって遊びたい。

 これはあの頃の、まだ隔たりがなかった頃の関係を取り戻す、またとないチャンスではないだろうか。手と手を握り合い、二人で駆け回っていた無垢むくな時代に、もう一度回帰するための。


 ――なんて、な。

 ふっ、と自嘲気味に息を吐く。

 晴樹は薄々と、自分の胸の中で渦巻く気持ちに気付いていた。心のどこかで優愛を求めている、飢えて苦しみ藻掻いているその気持ちの答えに。

 ひょっとして自分は、優愛が好きなんじゃないか、と。

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