黒野凛香・1-1


 凛香にとって優愛は、十四年間の人生の中で唯一人の友人だ、と言い切っても差し支えがないだろう。

 何事に関しても理屈をこねて語る性格は、周囲の子供からの評価は最悪だった。何せおままごとの配役に合理性を求めたり、絵本のストーリーの矛盾点を指摘したり、と空気を読まないどころか空気の破壊者だった。当然幼児期は孤立しており、両親も問題視していたほど。普通学級には入れないかも、と危惧していた時期もあった。小学校に上がってからも理屈一辺倒の性格は変わらず、溜め込んだ知識と独特な思考は同年代の子を遠ざけていた。遊びに誘われるなど皆無で、話しかけられるのも稀だ。

 凛香自身、自分に問題があるのは自覚していたが、信念を曲げたくない一心で意地になっていた。深く物事を考えず大人の言う事を盲信するなんて、奴隷どれいのように生きるのと変わらない負け組。自分はそんなつまらない人間になりたくない、と年齢に釣り合わない反骨精神があった。


 その反面、友達がいないという事実を恥じてもいた。自分の意志を貫くということは、社会のはみ出し者になると同義であり、誰も頼れない孤独な人生になる。それも嫌だ、周囲から劣った人間と思われたくない。

 意地と恥、相反する望みの間で、凛香は人並みに悩んでいたのだ。

 そんな思いを引きずっていた、小学校三年生のときのことだ。体育の時間で、ペアを作ってキャッチボールをする授業があった。

 本来であれば体格や運動能力の差を考慮してペアを決めるのが基本なのだが、体育の担任教師はあろうことか「好きな子と組め」と投げやりな指示を出したのだ。悪意の有無については不明だが、友人のいない凛香にとってそれは、幼いプライドをズタズタに切り刻む悪魔の所業だった。

 クラスの子が次々とペアを決めていく中、凛香は唇を噛んで黙って俯いているしかなかった。話すと面倒臭い凛香に声をかけようとする奇特な者などおらず、自身もペアの申し入れをする勇気がない。八方塞がり。このままでは一人取り残され、グラウンドのど真ん中で恥を晒してしまう。


「ねー黒野さん。一緒にペアになろー?」


 そんな時、救いの手を差し伸べたのが優愛だった。否、彼女に一人ぼっちを救おう、なんて高尚な意識は微塵みじんもなかっただろう。ただ近くにいたから声をかけただけ。きっと誰でも良かったはずだ。

 しかし、凛香にとっては慈悲深き天の恵み。ただの同級生の笑顔が、舞い降りた天使のそれのように見えた。

 それからだ、優愛と仲良く遊ぶようになったのは。一緒にお出かけして、オシャレして、たまに悪戯いたずらもして。幼なじみだという晴樹とも知り合った。優愛との出会いが、凛香の世界を開くきっかけになったのだ。

 優愛はきっと、最初の出会いを覚えていないだろう。でも、それでいい。美しい思い出は自分の胸にしっかりと刻み込まれているのだから。

 もしかしたら友達以上の感情もあるかもしれない。レズビアンかと問われたら、否定しきれないだろう。しかし、それは優愛に対してだけだ。同性なら誰でも良い、なんて軽薄な人間ではない。

 大切な友達。自分を救ってくれた一人の少女。

 だから大好きで、この幸せを守り通したいのだ。


 そんな優愛の顔に影が落ちているのを、凛香は見逃せなかった。

 朝、教室に入ると、またもや優愛は机に突っ伏していた。時折覗かせる顔にあるのは、昨日のように哲学めいた悩みに思いを馳せている表情ではなかった。

 もしかして、駄菓子屋の一件を引きずっているのだろうか。調子に乗って自殺に関する持論を披露して、反論してきた晴樹相手に応戦してしまった。そのせいで優愛はほったらかし、ジャングルおばさんが「お手上げ」と言うまで気付かない始末だ。唯一の友達なのだから、もっと大切に、もっとたくさん触れ合わないといけないはずのに。嫌な気持ちになっていないだろうか、自分を嫌いになっていないだろうか、心配で気が気ではなかった。


「お、おはよう優愛」

「あ、凛香ちゃん」

「どうしたの、元気ないわね」

「あはは、ちょっとね」

「なにか……嫌なことでもあった?」


 意を決して、問題の核心を、単刀直入に聞いてみた。もし自分に原因があったのならどうしようか、という恐れはあったが、二の足を踏んでいても仕方ない。その時は素直に謝ろう。そして友達を続けられるようにしなくてはいけない。自分にとって唯一の居場所なのだから。

 と、深刻に考えていたが、全て杞憂だった。


「……幽霊を見たんだ」

「は?」


 あまりにも突拍子のない単語の登場に、脳味噌のうみそが一瞬フリーズしてしまった。


「え、幽霊ってこの?」

「うん、そのヤツ」


 両腕を浅く曲げて指先を垂れ下げたジェスチャーで表現すると、優愛はゆっくりと肯定の頷きをする。本当に見たらしい。

 それは突然の出来事だったようで、帰り道にいきなり幽霊が現れたらしい。しかし本当に幽霊かと問われると微妙で、奇妙な動きで浮遊する黒い女の子、というあやふやな証言だ。だがそれが実在するとしたら、少なくとも普通の人間ではないだろう。

 それで、幽霊らしきなにかが気になって仕方がない。一晩寝たら忘れているかも、と思えばそうでもなく、頭の片隅にこびり付いた状態。なので結局親友に打ち明けた、というわけだ。

 ――最初から電話してくれたらいいのに。

 自分ならいくらでも相談に乗っただろう。遠慮しなくても良かったのに、と残念だった。

 ちなみに、母親にも相談するつもりだったらしいが、絶賛傷心中のため断念したそうだ。それも当然、彼女の母親はドのつく氷室一真ファンだ。ショックで二、三日寝込んでしまってもおかしくない。


「おいおい。幽霊なんて、どうせ見間違えだろ」


 口を挟んできたのは晴樹だ。幼なじみの距離感で優愛の肩に寄りかかり、目撃証言を否定してくる。

 確かに心霊現象の類いは見間違えや作り物など、人為的に発生するのが大半だろう。「幽霊の正体見たり枯れ尾花」ということわざがあるくらいだ。しかし頭ごなしに否定していたら、新しい発見は何も生まれない。どんな研究も「あり得ない」の一言で終わり、先に進めなくなってしまう。それに優愛が見たと言うのだから、相応のなにかがあるはずだ。凛香はそう信じている。

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