泉優愛・2-4


「ちょっと待てよ。人間の脳がコンピュータと同じだって言うのか?」

「おかしい話じゃないはずよ。構造は違えど、機械も脳も張り巡らされたネットワーク上で、電気信号のやり取りが行われている。むしろ脳の方がコンピュータよりも複雑で、柔軟な発想をするじゃない。だから、想定外の働きをする可能性が高いと言える、と思わないかしら?」

「でもさ、全ての自殺が脳のバグってのは、さすがに飛躍し過ぎじゃないか?実際の事件じゃあ、原因はいじめや過労だった、みたいな報道だってあるんだし」

「もちろんそれらも原因よ。過剰なストレスが脳に何らかのダメージを与えて、間違った判断をしてしまった。壊れかけの機械が誤作動するのと同じじゃないかしら。でも、そういう明確な原因が不明な場合の自殺は、ふとしたきっかけで起こるバグ、と考えると面白くない?」

「それってつまり、嫌なことから逃げ出す方法に、自分を殺すって選択肢を入れてしまう。それ自体があり得ないバグって言いたいのか?」

「私としては、そういう理屈になるのかな。ただそれ以外にも、人はなんの前触れもなくおかしな行動をする可能性がある、とも言えるのよ。もしかしたら次の瞬間、私も晴樹君も急に殴り合うかもしれない。突然車道に飛び出してしまうかもしれない。あり得ない、とは言い切れないでしょ?」

「いや、言いたいことはわかるんだけどさ。根拠が見つからない限り、その可能性は限りなくゼロなんじゃないか?宇宙人がいるかどうかの議論と同じで、悪魔の証明だと思うけど」

「もう、ロマンが分からない男ね。脳は未解明ばかりのブラックボックス状態で、魅力と恐怖が詰まっているんだから」

「なら、お前が証拠を見つける研究をするんだな」

「いいわよ。この世の全てを解き明かす、誰もが憧れる偉大な学者になってみせるわ」


 凛香と晴樹の白熱したやり取りに、優愛はさっぱりついてこれずにいた。学年成績を下から数えた方が早い自分には、脳やコンピュータといった複雑怪奇な話はちんぷんかんぷんだ。考えるだけで頭が機能停止に陥ってしまう。

 身近な例でたとえるなら、単語の意味を理解する前に、話が次のステージへ進んでいくような気分だ。最近これに近い体験をした覚えがある。理科の授業で電気について学んだときだ。アンペアやボルト、オームなどの単位と計算方法を教えられたが、肝心な仕組みやその計算に至る理由が分からず、頭に入ってこなかった。そのままワットやジュールといった新たな単位が出てきてしまい、挙げ句次の項目である磁力の分野まで授業が進んでいく。おかげで何がわからないのかわからないまま、優愛は完全に取り残されてしまい、テストの結果は赤点で散々だった。

 その時の孤独感に似たものを、秀才達のやり取りから感じていた。生まれつき頭の出来できが違うのだろう、同じ場所にいるはずなのに、世界が隔てられている。中学生になってから、彼らとの成績表の差は開くばかりだ。最初はわずかだったので笑って済ませていたが、気付けば天と地ほど離れてしまった。この分では二人と同じ高校に行けないだろう。胸の奥で焦燥感がくすぶり始めていた。

 

 カラン。


 優愛のかき氷が溶けて、刺さっていたスプーンが器を打った。

 その涼しげな音が、高次元で繰り広げられる議論を中断させる。それと同時に静寂が訪れて、空いた隙間を埋めようと虫達の合唱が店内に流れ込んできた。


「あっはっはーっ。ダメだわ、おばさんにはぜ~んぜんわっかんないわーっ!」


 その沈黙に耐えられなかったのか、おばさんはお手上げサインの万歳ポーズをしてひっくり返っていた。話に参加できず縮こまっていた優愛を思っての行動なのかもしれない。


「あ、あたしもー」


 これ幸いと、優愛は同調する。同じレベルの思考を持つ人がいて、ほっとした気分だった。居心地の悪さから抜け出せて、気が楽になる。


「ごめんね優愛っ!私、夢中になって話しちゃって!」

「い、いいってば……あと、苦しい」


 置いてけぼりにしてしまった、とびてくる凛香が、強めに抱きついてほおずりをしてくる。顔を人の胸元に擦り当てており、摩擦熱まさつねつで熱くなっていた。制服が発火するのでは、と心配になるほどだ。

 凛香は知的でクールなイメージの通り、普段人前ではお堅い秀才っぷりを発揮しているが、自分の前では砕けた姿を見せてくれるのだ。親友同士だからかもしれない。

 しかし、激しめのスキンシップを受けても、優愛の心は晴れなかった。

 友達と幼なじみとの楽しい時間のはずなのに、どうして疎外感を覚えてしまうのだろう。ずっと一緒に遊んできた仲だったのに、いつから差を感じるようになってしまったのか。

 それはきっと、中学校に入学してからだ。部活で忙しくなって遊ぶ暇がなくなり、勉強が一段と難しくなった。そのせいでどんどん差は広がっていき、会話のレベルさえ違い過ぎて愕然がくぜんとする。進学という環境の変化が、友達との関係を少しずつ侵食してきたのだ。もし違う高校に通うようになれば、今以上に遠い存在になってしまうだろう。全く別の世界を生きる、と言っても過言ではない。

 何を今更。二人は秀才同士でお似合い、付き合えばいいのにと思っていたくらいなのに。疎遠になるのを怖がるなんて、馬鹿みたいじゃないか。

 優愛は自分にそう言い聞かせるのだが、どうしても不安は拭えない。大好きな二人と離ればなれになる可能性に、迫ってくる別離の未来に、どうしても怯えてしまう自分がいた。

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