泉優愛・2-3


 店内は記憶にある通りで何も変わっておらず、所狭しと色とりどりの駄菓子が並んでいた。奥に進むと食事用のスペースも用意されており、漫画喫茶のように本棚も完備されている。今も子供達の憩いの場としての役割を果たしているようだ。

 年季の入ったテーブルの上にはかき氷が三つ、ガラスの器に収まっていた。『吉田商店』では夏季限定でかき氷を提供している。暑い日に食べるのが最高の、雪のようにふわふわな食感で毎年人気のメニューだ。ちなみにイチゴ味が優愛、ブルーハワイ味が凛香、宇治抹茶味練乳がけは晴樹が注文した。一人だけ異様なほど盛りが違う。


「夕食前なのに、随分ずいぶんガッツリ食べるのね」

「う、うるせぇな。運動して腹減っているんだよ」

「男子ってよくご飯食べるもんねー」


 優愛と凛香はスプーンで少しずつすくいながら、晴樹はガツガツと大口で冷たさをかき込んでいく。以前は優愛も男子顔負けの派手な食べ方だったが、中学生になってからはおしとやかな食事を心がけている。人目を気にするようになったからだ。同学年の子が女子らしくなっている中、周囲から浮かないようにと立ち振る舞いに気を付けている。もっとも、油断するとすぐにボロが出てしまう程度の付け焼き刃ではあるが。


「あ、ジャングルおばさん。それで事件のことなんですけど……――イテテテ」


 かき氷を勢いよく食べたせいか、頭の中でキンキンと痛みが走っているらしく、晴樹は目をぎゅっと閉じて我慢している。子どもっぽく微笑ましい失敗に、女子二人は失笑してしまう。女子から人気が高いのは、イケメンでオールマイティだからだけでなく、天然で母性本能をくすぐる所作しょさもあるからだろう。


「戸田さんの話だね。そりゃあもう、朝は大変だったんだよ。パトカーは来るわ、救急車は来るわの大騒ぎ」


 ぱたぱたとスリッパを鳴らしながらキッチンから戻ってくると、おばさんはテーブルの隅の、一人用のソファーに腰掛ける。腰が悪いおばさん専用の椅子で、勝手に座ると怒られてしまう。随分と使い込んでいるようで、座った途端にギシギシ悲鳴を上げていた。


「朝のことは私も知っているんですけど、本当に戸田さんのお母さんが自殺したんですか?」

「そうっ、そうなんだよ。しかも包丁で自分の喉をブスリ!……らしくてね」


 おばさんはパントマイムを交えて、自殺の瞬間を説明する。といっても、実際に見たわけではないらしい。白目をいてわざとらしくピクピクしているので、過剰な演技で味付けをしているのが丸わかりだ。


「じゃあ、あのブルーシートの向こうは血まみれなんですね」

「聞いた限りだとね。でも、あたしゃ信じられないよ。戸田さんの奥さんが自殺するなんて。だってつい一昨日おととい会った時だって、元気に井戸端会議してたんだから」

「何かに悩んでいた、とか気になる話はありませんか?」

「全然ないね。“うちの旦那が~”って愚痴ばかり言っていたよ」

「それなら、精神が不安定だったとかは?」

「それもないね。いつもと変わらず気が強いまんまさ」


 凛香の矢継ぎ早な質問におばさんは一つ一つ答えていくが、そのほとんどが「いつもと変わらない」だった。自殺をする人には普段と違う様子、兆候が見られるという話が有名だが、それらしき行動も雰囲気も感じられなかったそうだ。情報通のおばさんが言うのだから信憑性しんぴょうせいは高い。

 氷室一真の場合と同様、理由不明の突然の自殺。しかも戸田陽葵の母親は、包丁で自らの首を切るという、身の毛もよだつスプラッタな方法で。単なる自殺と片付けるにはいささか疑問が残る。果たして、そんな痛そうな死に方を、自殺の手段に選ぶ人がいるのだろうか。死ぬ以外の目的があるのでは、と思えてしまう。

 ――そう、例えば何かのメッセージとか。

 推理小説やドラマではお馴染なじみのダイイングメッセージだ。死ぬ直前に書く、残される者へ向けた伝言。あちらと違って犯人を指し示すためではないだろうが、何らかの意図があったのではないか。家族、戸田陽葵に向けて何かを伝えようとした、その可能性もありそうだ。


「でもさ、どうして人って自殺するんだろうね?」

「ああ。それ、オレも思ったわ」


 しかし、優愛がもっとも気になっているのは、それより手前の疑問。なぜ自らを手にかけてしまうのか、だった。

 辛いこと悲しいこと、嫌なことから逃げ出す最終手段で人は自殺する。だから困った時はいつでも相談してね、という声かけ運動を何度か目にした経験がある。ネットで自殺について調べようとすれば、トップに相談用ダイヤルが出てくるくらいだ。逃げたがっている人を引き留めるというのは、それはそれで残酷な気がしないでもない。

 しかし、一番理解できないのは、逃げるために一番痛いはずの死を選ぶことだ。それでは結局、自分から辛くて苦しい行為に及んでいる、と矛盾してしまう。

 それに死んでしまったら全てが終わりだ。双六すごろくで言えば数コマ先に逆転のチャンスがあるのに、ゲームをやめてしまうようなもったいなさ。生きていれば必ず良いことがある、なんて無責任な発言をするつもりはないが、だからといって命を投げ出すのも違うはず、というのが優愛の考えだった。


「これは私の持論なんだけどね、自殺って脳のバグだと思うの」


 そこで、凛香が楽しげに語り出す。口角を上げてニコニコの笑顔。難しい話題を自慢げに話す時の癖だ。小学生の授業の時も、予習してきた部分を発表する度に、同じ顔つきになっていた。ドヤ顔と表現した方が早いかもしれない。


「バグ?」

「プログラムの間違い、不具合のことよ」

「元は虫って意味だけどな」


 かき氷の頭痛から復活した晴樹が、付け加えて説明する。が、優愛にはバグが虫と不具合、両方の意味を持つ理由がわからず、頭上に疑問符を浮かべるだけだった。

 凛香は気にせず、持論語りを続ける。


「人間が様々な理由で自殺するのは、人類の知能の発達が急速だったせいで、脳の構造が不完全なせいだと思うのよ。色んな考えができるように複雑化したせいで、脳細胞がそれぞれ間違った繋がり方をしてしまった。だからコンピュータのバグみたいに、生命体としておかしな行動をしてしまう。子孫を残すためでも、誰かの役に立つためでもない。それどころか人が本能的に避ける死に自ら歩み寄ってしまう」

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