泉優愛・2-1
時計が午後六時を指すと同時に、下校を告げるチャイムが鳴る。
夏の空はほんのりと橙色に色づいており、熱された大地を冷ます涼風がアスファルトを
だが、その夜までのわずかな時間こそ、子供達の楽しみでもある。学校の束縛から解き放たれ、家に帰るまでの短い自由。友達と他愛のない会話をしながら歩く帰り道、途中で店に立ち寄って買い食いをする背徳感。生真面目で面白味のない学生生活を送っていない限り、誰もが体験するであろう多幸感溢れる時間だ。
そして今日は、もっとわくわくする予定が待っている。
閉まりかけの正門前で、優愛は高鳴る胸に合わせてうずうずと足踏みをしていた。その横では晴樹が、落ち着きのない隣人を
「ごめん、待った?」
「そこそこな」
「言い出しっぺなのに遅いよー」
部活で汗を流した在校生も帰路につき、校内に残っているのは教師と放送委員の生徒。そして今、校舎から急いで出てきた凛香くらいだろう。よほどの学校好きじゃなければ、部活が終わり次第すぐに帰り支度をするものだ。少なくとも優愛ならそうする。なので凛香の遅さにやきもきしてしまった。
部活後に例の事件現場を見に行くという約束だったのだが、提案したはずの凛香は下校時間ギリギリの到着である。美術部である彼女の活動場所は校舎の一番上、三階の隅なので降りてくるのにそれなりの時間がかかる、というのは理解している。それなら早めに片付けをすればいいのに、とも優愛は思っているのだが、その辺の文句は飲み込んでおく。それよりも早く、現場に行きたいからだ。時間は有限、夜遅くなれば親がうるさい。
「はぁ、今日も疲れたね」
事件現場に向かうまでの雑談、その口火を切ったのは凛香だった。遅刻の気まずさを紛らわす意味もあるのだろう。最初の一歩を踏み出した直後にしゃべり出したくらいなのだから。
「あたし達の方が疲れたよー。こっちはテニスとサッカー、バリバリの運動部なんだから」
部活の話に、優愛は大きな溜息をつく。二時間以上の運動で疲れている、というのもあるが、大半を占めているのは心理的な疲れの方だ。しかし、そちらについて雑談中に言及するつもりはないので、体力面に話を持っていく。
「絵を描くのだって体力勝負よ。それに今日は
対する凛香も、美術部でも疲れると熱弁する。当たり前だが、
「それ、基礎練習ってヤツか?」
「正解。とにかく描いて描いて描きまくれ。そして体に叩き込めってかんじよ。うちの顧問、今時珍しく熱血だから」
「オレも基礎練習は好きじゃないな。大事ってのは分かるんだけどさ、地味っていうかなんというか」
「わかるわ、ほんとそれ」
二人のやり取りを聞いている間、優愛は無言で口先を
基礎練習は苦手、という話ではなく部活そのものが嫌いなのだ。やらなくて良いのなら、それに越したことはない。帰宅部になりたい。しかし学校の「生徒は全員、部活に所属すること」という方針のせいで、渋々軟式テニス部を選ばされた。他よりも女子らしく爽やかそうで人気があったから、という消極的な理由だった。
しかし、待っていたのは果てしなき地獄の基礎練習。ラケットを持つのはおろか、ボールに触れることすらない一年生前期を過ごした。大して運動が得意ではなかった優愛にとって、三十分間走り続けるだけで苦行だ。筋力トレーニングなんて翌日の筋肉痛を誘発するだけの
それでも続けているのは内申点のためだ。高校入試の際に送られるであろう書類に、部活をサボっていたなんて書かれては大きなマイナス。下手するとそれだけで受験失敗だってあり得る。そのため優愛は、多大なる文句を抱えつつも部活に参加しているのだ。
――ほんと、何のために部活やってるんだか。馬鹿馬鹿しい。
ゆえに、可能なら部活の話はしたくない、というのが本音だ。部活をこなす普通の女子、という体裁を保つために、嫌な顔を表に出すつもりはないが。
「優愛はどうなんだ、部活は?」
「え、あたし?」
「お前以外誰がいるんだよ」
急に話を振られて慌ててしまう。部活にまつわる盛り上がる話題なんて、残念ながら一つも持っていない。怒りと憎しみをない交ぜにした、
最近部活であった出来事といえば、相変わらず基礎練習でへとへとになっていることとか、テニスの腕前がさっぱり上達しないこととか。ぱっとしない話題ばかりだ。返答に困ってしまう。
「そういう晴樹君はどうなのよ?」
話題を逸らそうと、凛香が助け船を出してくれる。優愛が部活嫌いと知っているわけではないが、口ごもる姿を見てフォローしてくれたのだ。昔から困った時は機転を利かせて助けてくれる、それが凛香なのだ。
部活が嫌いという話を二人にもすれば済む問題なのだが、ずっと言い出せずにここまで来てしまった。親友と幼なじみに自分の
「う~ん……そういえば最近、シュートが決まる確率が結構――」
「はい、終了ね」
「――ってオイ。お前、聞いておいてそりゃねーだろ」
「もう到着したからよ」
雑談している間に、気付けば凛香が暮らしている地区に着いていた。潮風香る
そして、優愛達の目の前に、戸田陽葵の住む一軒家が建っている。
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