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泉優愛・1-1


“好奇心は生きる原動力だ。

 その行き先が地獄だとしても”



 百合ヶ浦ゆりがうら市立百合ヶ浦第二中学校。

 東海地方のとある県に位置する海沿いの街。その高台に建つ校舎は常に海風にさらされており、びや外壁の劣化が目立つ、ごく普通の公立中学校だ。周囲は没個性的な住宅地ばかりで、目と鼻の先に美しい太平洋が広がっていることぐらいしか、特筆すべき環境はない。

 校舎は四階建てで、隣に建つ二回りほど小さい建物が旧校舎。それに体育館と運動場、プールが設置されただけの、面白味に欠けた学び舎。夏休みを目前にした校内は熱気が充満しており、窓を全開にしても汗が止まらないほど。朝の涼しさなんてあっという間で、始業のチャイムが鳴る前から灼熱地獄と化していた。やかましいせみ達の鳴き声も、暑苦しさに拍車をかけている。

 そんな学校の二年三組に在籍する少女、いずみ優愛ゆあ。彼女は登校してからずっと、自分の机に突っ伏したままだった。他の生徒から声をかけられたら挨拶を返しているが、それ以上の会話には発展しない。とあるニュースのせいで、頭の中がいっぱいになっていたからだ。

 そのニュースとは朝一番に聞いた、とある俳優の死に関する報道。しかも自殺。人気絶頂のさなかで自ら命を絶つ。兆候とおぼしき行動は今のところなかった、と報じられていた。

 突然の訃報ふほうが与えた影響は大きかった。と言っても、亡くなって悲しい、という意味ではない。母がファンというだけで、別段好きな俳優ではないからだ。

 ただ、高嶺たかねの花の男が自殺した、という事実が重要だった。悩みのなさそうな人でも、人生を諦めて死を選ぶ現実がある。恵まれた何もかもを捨ててまで、死にたくなるなにかが。

 ――どんなに凄い人でも、死にたくなっちゃうんだ。

 ――じゃあ、あたしは?

 それなら、自分のようなみそっかすな学生はどうなのだろうか。持たざる者の自分が「生きる」ことに、一体どんな意味があるのだろうか。漠然と考えてしまう。答えの出ない疑問が、脳内で渦を巻いてかき乱していた。

 頭の足りない自分では答えが出るはずない、と理解していても、どうしてもその疑問に意識が向いてしまう。時間の無駄と言われたらそれまでだろうが、本人はそれなりに真剣に悩んでいる。哲学を学べば楽になれるだろうか、それとも余計にこんがらがってしまうのだろうか。どちらにしろ、ホームルームまでの時間でどうにかなる話ではなかった。


「おはよう、優愛……――って、どうしたの?」

「どうもこうもないって」


 遅れて登校してきたのは、友人の黒野くろの凛香りんかだ。長い黒髪に赤いフレームの眼鏡。ちんちくりんな自分とは対照的に、すらりとしたモデル体型。そのクールビューティーさは中学生離れしており、凄腕のキャリアウーマンと言われた方がしっくりくる。白い夏用の制服すら、スマートなスーツ姿に見えてしまうほどだ。格好良いその見た目が、正直羨ましい。

 凛香との付き合いは小学校に通っていた頃からだ。きっかけは忘れてしまったが、気付けば仲良くなっていた。見た目も性格も趣味も、何もかも正反対な凸凹でこぼこコンビだが、ずっと楽しくやってきた仲だ。それはこれからも変わらないだろう。


「もしかして、氷室一真のニュース?」

「なーんで、自殺なんてしちゃったんだろーって」

「ま、誰だっていつかは死ぬものだから。元気出しなよ」

「そうじゃなくって。死にそうな理由がないじゃん、氷室一真ってさ。だって人生成功しまくりなはずだもん」

「ああ、そういう意味」

「うーん、ううむ……ダメだ。あたしにはさっぱりわからないなぁ」

「なんだ、お前。うーうーうなって。消防車かよ」


 真面目に悩んでいるところに余計な一言を入れてくるのは、幼なじみの緑川みどりかわ晴樹はるきだ。身長は優愛とあまり変わらないが、変声期を過ぎて声は低めのイケメンボイス。おまけにスポーツが得意で勉学の成績も良く、学校中の女子からの評価も高い人気者。昨年度のバレンタインデーでは、持ち帰れないほどのチョコレートをもらっていた。どこで差が付いたのか、馬鹿でモテない自分とは大違いである。

 晴樹とは母親が親友同士という繋がりだ。赤ちゃんの頃から一緒に遊び合う仲で、まるで兄妹のように育ってきた。泣き虫なくせに無鉄砲な優愛は大抵たいてい守ってもらうばかりで、晴樹は姫を守護する騎士ナイト様のポジション。おかげで幼少期は友情と愛情を勘違いして、「お嫁さんになる!」なんて恥ずかしげもなく言っていたらしい。優愛にとっては完全に黒歴史であり、消し去りたい過去以外の何物でもなかった。


「うるさいなぁ、晴樹には関係ないもーん」

「何だよ、その態度は」

「晴樹はその辺の女の子とイチャイチャしていたらいーじゃん。あたしは人生について、深く深ーく考えているところなんだから……」

「意味わかんねえ」


 幼なじみとはいえ立場が全然違う、遠い存在になってしまった。晴樹はみんなの人気者で、自分はクラスの底辺を漂うモブキャラ女子。一緒にいるだけで劣等感がむくむくと湧き上がってくる。それでもこうして絡んでくるのは、いわゆる腐れ縁なのだろうか。今でもこうして関わってくれるのは嬉しい反面、彼との差を痛感して悲しくなってしまう。そんな矛盾を抱えてしまい、葛藤かっとうさいなまれてしまう自分が嫌だった。


「そういえば……。自殺と言えばね、私の近所で大事件があったのよ」

「事件?」

「穏やかな話じゃなさそうだな」


 思い出したかのように、凛香が話し始める。口調からして良くない事件なのだろう。だが、多感な時期は闇のある内容に興味をそそられるものだ。優愛も晴樹も、どんな出来事なのか気になってしまう。


「朝早くなんだけどね、うちの近くに救急車とパトカーが来たのよ」

「うんうん」

「確かに朝はうるさかったな」

「それでね、何事かと思って見に行ったら……陽葵さんの家の前で止まっていたのよ」

「陽葵さんって、うちのクラスの?」

「まだ登校してないみたいだぞ」


 身近な人の話となれば、俄然がぜん興味が出てくる。そこに非日常的な要素が加われば尚更だ。怪談話は身近な内容ほど怖く感じるのと同様、退屈な毎日にスパイスを与えてくれるかもしれない。優愛は段々と前のめりになっていた。


「多分、今日は来ないと思う。だって陽葵さんのお母さん、自殺したらしいから」

「えっ」

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