[百合短編]死が二人を分かっても

きょむ太郎

死をもってしても分かたれぬ愛を、君に

私の無為な人生において唯一の希望である彼女から結婚式の招待状が届いていた。

しばしばノイズの走る照明を頼りにして、マンションのポストを探ると、高校最後の日の帰り道で互いに固く手を結んで、夕日に誓うようにそっとキスをした彼女から結婚式の招待状が届いていた。

部屋の照明をつけて、その紙に乗せられた文字を確認した瞬間、残業後の心身の重さも一瞬で吹き飛ぶような焦燥が背筋に走った。人違いであって欲しい、いや、人違いでなければならない。

相互的な人間関係にも内向的なコンテンツにも寄る辺を見いだせなかった私の、たった一つの生きる理由は 、いつか彼女と共にあれる未来の可能性を夢見れることだけだった。

我ながら滑稽なことに、細々としたメールと年賀状のやり取りだけで、私は幸せだったのだ。

だのに、彼女は平然と私の夢を吹き消した。

昔から、こんな彼女の自分の周りに悪なんていないと思い込んでいるところが好きだった。常に無気力で周囲に無関心なゆえに、浮いていた私にも幼馴染だという理由だけで何の嘲りもなく接してくれたのは彼女だけだった。あの夕日の別れまで、彼女は私が優しいのは彼女に対してだけなのに、彼女はずっと私の性根が善良なのだと信じて疑わなかった。そんな無神経に限りなく近い無垢さがずっとずっと好きだった。今、私は彼女の無垢さに心臓を貫かれているのに、それでも不思議と彼女の存在を青春の膿みとして人生から排斥しようとは思えなかった。ただ茫然と、爆弾のような一通の手紙を、輪郭がぼやけるほどに凝視していた。

「御参加・御欠席」の文字を行ったり来たりするうちに、私は妙に平静として、招待状をこじんまりとしたテーブルの上に乗せ、筒からボールペンを抜き取って、参加に丸を付けた。勢いのままに他の欄も黒いインクで埋め尽くすと、乱暴にドアをこじ開けて、近場のポストまで走り出した。

ポストの蓋が締まる音を聞きながら息を整え終えると、私は途端にこれからどこへ向かえばいいのかわからなくなってしまった。自分を選ばなかった彼女に復讐がしたいのか、彼女を完全に諦めきるためなのか、自分でも理解することができなかった。

気まぐれに見上げた宙では、醜い虫たちが奪い合うように電灯へとひしめき合っていた。心臓の音が静まった初夏の夜の中では、虫たちのさざめきがやたらと明瞭に聞こえた。


****


 六月だというのに、空は晴れ渡り、木漏れ日に包まれた式場を時折涼やかな風が通り過ぎるような、うららかな春のような日和だった。心なしか日が傾きだした頃に、新郎新婦紹介、ケーキ入刀、お色直し、両親への手紙朗読と言った、披露宴中にクリアしなけらばならないテンプレートはこれといった滞りなく済まされた。今はパーティー会場のように各々が三々五々好きに集まり合って、机の上にあるものをつまみながら談笑していた。

私はいつものごとく、特に群れる気も起こらずに、一人、人波に離れた日差しの強い場所でとっくに温くなったシャンパンを舐めていた。いや、単にいつもの無気力というよりは、ちょっとした傷心が混じった行動だったかもしれなかった。

そう、私は確かにショックだった、彼女はもう、死んでいたから。

微笑を携えて神前で新郎と誓い合った花嫁は、司会の語った料理上手で包容力のある女性は、涙ぐんで両親に感謝を伝えた娘は、今、テーブルを囲んで女友だちと猫なで声で会話に花を咲かせている女は、まるで以前の彼女ではない。七年に及ぶ月日が、私の手をとって、二人っきりの赤く染まった道路で口づけをした彼女を殺してしまったのだ。

私は涙と祝福が入り乱れる会場の隅で静かに失望していた。希望を失った人生に、彼女を殺した世界に、彼女を生かしてくれなかった女に怒りに近いものを感じていた。

彼女はただの白いドレスを着飾った女になっていた。

しかし、それは確かに救いでもあった。

テーブルクロスに影が差したかと思えば、私がテーブルに備え付けられたナプキンでひとり手遊びをするのをくすりと笑って、彼女の遺骸が隣の空間に収まった。

「久しぶり……その、やっぱり、来てくれないかもって思ったの、でも」

「別に、いいよ」

ナプキンで鶴を折り続ける私に、女は、やっぱり優しいよねと朗らかで含みのない声でつぶやいた。

私が、グラスに手を付けようとナプキンから手を離そうとすると、白いシルクに包まれた薄い掌が、甲に重ねられた。

「ごめんなさい。ずっと連絡もまともにできなくて、それでも、それでも、私っ」

顔を上げると、きゅうっと更に八の字に近づいた下がり眉の下の、息苦しそうに細められた大粒の瞳とかち合う。

あ、それは、彼女の顔だ。

「……それでもすきなの」

それでもミハルがすき。

夕日に刺されながら、私の頬に触れてきた彼女の手のぬくもりと、眼前に広がったそばかすの散った瑞々しい肌。六月の昼下がりのなかで、私たちだけが七年前の三月の夕焼けの中に溶け込んでいた。死んだはずの彼女が、そこに立っていた。

私は、いてもたってもいられずに、白い手袋を押しのけて、粉の付いた彼女の頬を両手で鷲掴んだ。

彼女の熟した果実の色をした唇に自分のかさついたもので触れる。日の眩しい祝福された喧騒の中で、異端の二人に気づく参加者はいなかった 。顔を上げて、長い一瞬を区切ると、彼女の押し寄せる期待と後悔になす術がないとでも宣いそうな値の張りそうな悲劇性が貼り付けられた大きな瞳とかち合った。

そう、あなたはいつもそうやって私に先に謝らせたのだ。

この場から逃げ出したくて堪らないのに、懐古と侮蔑で自然と口角は上がった。

石でも飲み込んだような顔をした彼女のもみ上げから垂れた毛先を掬ってやるついでのように、私が明けてやったピアス穴の残る小振りな耳を柔わらかい吐息で擽った。

「さっさとしね、ばぁーか」

びくりと彼女は固まると、怒りで震える指先を隠しもせず私をゆっくりと引き剥がした。

半歩離れて見る彼女は、怒りで粉のついた顔を歪ませ、目の色は私に対する明確な侮辱を示していた。ただの女の顔だった。

私を心行くまで睨んだ女は黙り酷って重たいスカートを摘まむと、四五人が姦しく話し込んでいる小島へと小走りで向かっていった。

ずっと死んでいろ。

ただの一人の女に成り下がった白い背中にほくそえんで、私は至極愉快な心持ちで水滴で滑るシャンパングラスを呷った。

彼女は死んでようやく完成し、永遠に私のものとなったのだ。

だって死んでしまったならもう、一生私だけのものであるのと変わらないじゃないか。すべからく死者は生者のすべての幻想を許すのだから。彼女は今日をもって私の許へと舞い戻ったのと同じだった。

なんでもない男と結婚したなんでもない女がいるだけで、私と夕日に誓ってくれたあなたはもういない。あの女なんかが、彼女と私の物語を続けるなど、絶対にあってはならない。私の手をとって、キスをねだった彼女はもう死んだのだ。死んで、私の記憶に還ったのだ。私だけのものになってくれたのだ。

ずっと死んでいろ。

離れたテーブルでしきりに笑い声をあげる女の小さな背に唇だけで投げかける。これは、間違いなく私にとっての葬送だった。

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