ミェコマヤ高原 2

 大小さまざまな雲がいくつも浮かぶ青い空の下、風に揺れる青々とした草原が広がっている。


 強い風が吹く、決して豊かではない岩山の大地。大自然の中にある草原に鮮やかな色彩をそえる花々が、空に浮かぶ太陽へと顔を向けていた。


 ふいに、大きな雲が太陽を隠した。一瞬で暗くなった草原は、強くなった風に吹かれるままざわめきを大きくする。


「突撃―!」


 風に乗って、力みすぎただみ声が草原に広がった。それにこたえるように鬨の声が上がって、地鳴りが始まる。

 押しつぶされそうな冷たい予感に、風に揺られるだけの命が身震いした。


「おおぉぉぉぉぉ!」

「行くぞぉ!」


 草花のざわめきは兵士たちの鬨の声となり、諍いの音へと変わって草原を震わせる。どこかで、鉄のぶつかり合う音が聞こえた。


 戦争が始まったのだ。命の奪い合いが始まったのだ。

 争う人間たちの足元で健気に生きているものたちが、無為に蹴散らされ、蹂躙される時間が始まったのだ。


 風と草花が織りなすざわめきはもはや踏みつぶされ、ただ血塗られたおぞましい騒音だけがこの場を支配していた。


 瑞々しい緑の葉に赤いしずくが落ちる。一滴、二滴とまばらだったそれは次の瞬間大量の雨となって鮮やかな命の色彩を汚した。

 名もなき草に、けなげに咲く花に、やせた大地に赤い雨が降り注ぐ。


 誰かに切り伏せられ、死体となった肉塊に潰された花は、悲鳴を上げることもできずに血の海におぼれてしまった。





 突撃の号令と共に駆け出していた赤の戦士は、誰よりも先に青の軍の中に食い込んでいた。


 平原の時と同じように、戦士が大剣を一振りするたびに十単位で人が吹き飛んでいく。

 振り抜かれた大剣の先に発生した風の刃も、敵兵を切り刻んで血を流させた。


「囲め、囲んで串刺しにしろ!」


 青の誰かが叫ぶ。それに従う兵士たちによる包囲網があっという間に構成された。


 特に焦ったそぶりもなく立ち止まった戦士は、大剣を肩に担ぐと大きく息を吐き出した。

 周囲の空気が刃のように張り詰めていく。


 周囲を囲んだ兵士たちが槍を突き出す前に、戦士は担いだ大剣を両手でつかむと大きく上段に振りかぶって


「はあぁぁぁぁ!」


 気合とともに振り下ろした。


 瞬間、大地が割れた。すさまじい轟音と共に粉塵が舞い上がり、巻き添えを食らった大勢の兵士も宙に跳ね飛ばされる。


 直撃を受けたものは遥か彼方へ吹き飛ばされ、巻き添えを食らった者たちも無事ではすまない。

 割れ目に落ちた者もいれば、衝撃に全身が砕けた者もいた。


「派手にやったのぉ。お前、とうとうおちたか?」


 静まり返った草原だった荒れ地に、何とも気の抜けた声が響く。戦士の顔は影に覆われて、大剣には見ることができない。


 それでも、その一言でそれなりに冷静さを取り戻したことは、己を握る手の感触でわかった。


 深く静かに息を吐き出すと、戦士は一歩足を踏み出す。もはや包囲も何もないこの状況では、誰もそれを止めることはできない。


 腰を抜かして震えている敵兵の首を砕き折りながら、不自然なまでにゆるゆると歩く。

 片手に大剣、もう片方には適当にもぎ取った首をぶら下げて、戦士は一人も残さずすべてを奪い取っていく。


 うつむいて影になっていた顔が、だんだんと持ち上がってくる。


「ひっ! や、やめろ、やめ、ぎゃあぁぁぁ!」

「逃げるな! 囲んで殺せ! 敵はたった一人だぞ!」

「ばけ、化け物!」


 向けられる視線。投げつけられる言葉。

 そのすべてを受け取りもせずに、戦士はただやるべきことをやっていた。


 すなわち、逃げ惑う兵士たちを切り刻み、叩き潰す。


「渇く、渇く! ハハッ、こいつらも違った。お前たちはどうだ!」


 少しばかりの理性と冷静さを取り戻した戦士が、咳き込むように声を絞り出しながら略奪を宣言する。


 太くはっきりと響く声に正常な思考の気配はなく、拘束を解かれた餓狼の咆哮のような気配が満ちていた。


 その狂乱の色を宿した瞳にはギラギラと鋭い光が浮かび、口角も不気味に吊り上がって、悪鬼の形相と化している。


「お前にしては随分と荒い戦い方だな。どうした、獣のように暴れるではないか。ふふ。黙らせるだけの余裕すら失せたか」


 余計なことを言った自分へ意識を向けることもなく、声を奪うこともない。


 もはや言葉など聞こえていない様子に、大剣はただどうしようもなく愚かで、何よりも愛おしいものを見るように笑った。


「一時とは言え、理性を失くした鬼そのものとなるのは珍しいことよな。契約違反、対価の踏み倒しの結果。要するに、自業自得というやつではある。開戦早々暴走したのも致し方なし。むしろ、約三日もの間対価を踏み倒しておいてここまでもった方がどうかしておる。しかも、ここから一線を越えぬだけの冷静さと、小指の先ほどの理性を取り戻せるとは。もはや賞賛に値する偉業よな、呆れてものも言えぬ。この化け物め」


 自身の身の丈もある大剣を片手で軽々と振り回しながら、戦士はひたすら前に進む。山奥の集落ですっかりきれいになっていた白い戦装束も、再び返り血でどす黒く汚れてしまっていた。


 敵味方の区別なく、ただ目の前にあるものから奪い続ける。渇きをいやすものを求めて、ひたすら奪い続ける。


 何が求めるものであるのかもわからないままに、歓喜も、恐怖も等しく奪い取っていく。


 大剣を振って、返り血を浴びて、安らかな顔で息絶えた肉塊を踏み越えて。

 そのどれにも心が動くことはなく、手が止まることもない。ただ、いえることのない渇きが強く濃くなって、心身を蝕んでいくだけだった。






 遠くに巻き上がる粉塵を振り向いて見上げていたコーザは、鋭く舌を鳴らして顔を前に向けた。つられて足を止めていた十人に満たない部下に、サメの歯のようなのこぎり歯の剣で進むように示す。


 この少人数の部隊は、奇襲部隊として高原の合戦を隠れ蓑にシュキセに向かっている途中だった。

 その目的は、赤の王カイリの首。


「チッ、たいちょーもひでぇことしやがる。俺の言ったこと何も聞いてねぇよな、ありゃあ。俺が行けば成功させるって言ってもらえんのはまぁ、嬉しいけどよぉ。だからってお預けはあんまりじゃねぇの?」

「コーザさん、でも隊長があんな感じなのはいつものことじゃねぇですか。むしろ初戦であんだけ変わらねぇのはかえって怖ぇですよ」


「そうそう! 俺たちも、コーザさんも、他の奴らも。みんな同じ扱いなんですから、文句言ったってどうしようもないっす。まぁ、ネガーメさんがいたら別だったかもしれないっすけど」

「うるせぇな、ド近眼タコ野郎の話はすんじゃねぇ! あんな役立たずの雑魚がいようがいまいが関係ねぇってんだよ! コバンザメが、生意気言ってんじゃねぇぞ!」


 ギザ歯をむき出しにして怒鳴るコーザに、部下たちは慌てて口をつぐむ。失言した一人に仲間たちから鋭い視線が贈られた。


 魔石を赤の戦士に奪われたネガーメは、青の僧侶直々の采配で後方の支援部隊に配属となった。もう前線には復帰しないだろう、というのが魔石部隊内での見解だ。


 もしもネガーメが自分の隣に健在だったなら、赤の戦士と再戦できただろうか。


 コーザはひっそりと浮かんだ問いに、即座に否を叩きつける。もしもネガーメが魔石を奪われずにここにいたとしても、青の僧侶はコーザと赤の戦士が戦うような状況を作り出さなかっただろう。


「あの人は合理的で、無駄な争いはやらねぇから」


 結果が転ぶことのない、明らかに決まっている戦いにコーザを出すつもりなど毛の一筋ほどもないのだ。そんなこと、誰に言われるまでもなく痛いほど理解していた。


 それがひどく腹立たしくもあり、同時にそこまで割り切って考えぬける強い心に畏敬を感じるのだ。


 そうこうしている間にも、コーザたちは草原を抜けて王都を囲む山頂の近くまで来ていた。


「コーザさん、そろそろ」

「わぁって……待て、止まれ! 全員、警戒態勢!」


 にわかに鋭くなった声に、統制の取れた動きで歩みが止まる。見れば、いつの間にか彼らが進もうとしていた先にぽつりと人影が浮かび上がっていた。


「そこ行く怪しげな集団、止まられよ。我が名はキムテ。そこもとらの所在を明示せよ」


 武人然とした精悍な顔の男が、そこに立っていた。一見武器などは持っておらず、たまたまそこに通りかかっただけの旅人のようにすら見えた。


 しかし、この状況下でそんな印象は間違っている。自然と奇襲部隊が警戒態勢に入る。


 その足元に広がる影が、海のようにいくつもの何かを飲み込んで揺れている。

 光のない夜の海面。その恐ろしさの面影を、疑うこともなく影に見出したことにコーザはしかめ面をさらに歪めた。


「今一度問う。そこもとらはいずこから来た何者か」


 冷静に問いを重ねたキムテなる人物。

 コーザはそこから漂うにおいをかぐように鼻を鳴らし、忌々しそうに舌を打つ。


 青の僧侶から可能性を聞かされていなかったわけではない。むしろ警戒するように忠告すらされた。

 それでもどこかで楽観していたのは事実。


 目を閉じて、緩んでいた糸を巻きなおして。一秒にも満たない時間で己を化け物へと作り替えたコーザは、目を開けると同時に明確な答えをキムテへ叩きつけた。


「見てわからねぇかよ、お前の敵だ!」


 のこぎり歯の剣を抜き出して、一気に駆け出す。その後ろを一歩遅れてコーザの部下たちも動き出した。


「速攻! 狙いはこいつらじゃねぇ! 蹴散らして作戦開始!」

「おぉ!!」

「致し方なし。向かい来るならば、正面から叩き潰すまで」


 コーザの刃が風を切って喉へと迫る。

 刹那、キムテの影がひときわ大きく揺れた。


 海面のように波打つ影から何かが大量に飛び出す気配がして、しかしコーザはそれを気にかけることもなくキムテへと突っ込んだ。


 激しい金属音が響く。何も持っていなかったはずのキムテの手には、抜き身の刃が握られておりのこぎり歯を受け止めていた。


 コーザはもう一度鼻を鳴らす。

 キムテの影から飛び出した複数の同類のにおいが、部下たちと交戦を開始していた。


「契約者ってのはこれだから相手にすんの嫌なんだよ。ふざけたことばっかしやがって。影の中から人が出てくるとか、ゾッとしねぇ」

「面白いかは関係あるまいよ。我らがやっているのは突き詰めれば殺し合いの奪い合いなのだから」


「うるせぇよ。チッ、あいつらだけでも突貫させりゃよかったか。まぁいいや。とりあえず腹減ったし、あんた殺して食うわ。安心しろよ、痛くしてやるから!」

「私の体に、お前が喰らえる肉があればいいな」

「ぬかせ!」


 広大な戦場から離れた山頂付近にて、小規模な魔人同士の殺し合いが幕を開けた。

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