ミェコマヤ高原 1

 かつて、赤の都シュキセのある場所は煮えたぎる炎の水が湧き出る湖だったという。


 初代『赤の宝珠』の契約者はその煮えたぎる炎の水を枯らし、湖を消し去ったという。そしてあらわになった湖底に集落をつくり、そこを赤の国の都とした。


 そして、炎の水が流れていた道筋には清らかな水が流れ、削られた山々の境は渓谷となって今も残っているのだ。


「というおとぎ話がある、と聞いていたのですがそんな気配はまるでないですね」


 目の前に広がる草原と、そのずっと奥にある岩肌が露出した灰色の山頂を眺めながら青の僧侶はつぶやく。隣にいたコーザは口のはしを下げて頭を軽く傾けた。その目には若干の呆れが覗いている。


「たいちょー、それぜってぇ作り話だから。ド近眼タコ野郎でも信じねぇから」


「おとぎ話とは、嘘と真実が混ざり合ったものです。初めからすべてが本当だとは信じていませんし、期待もしていませんよ。しかし、炎の水は嘘でも初代の赤の契約者が都をつくったことは本当でしょうね。


青の国でもそれは同じ。宝珠が国をつくるのに必要だった、という事でしょうか。どんな大事を行うにしても、強い力は必要となりますから。


この戦争でもそれは言えることです。魔石の契約者が中心になる。ならば必然的に、国を興すにも宝珠の力を持つ契約者が中心になるのでしょうね」


「へー、どうでもいいな。俺はとにかくあのウニ野郎の頭を今度こそかち割って、脳みそぶちまけれりゃそれでいいんだからよ。


たいちょー、今回も作戦指示頼むぜ。平原でやったみたいにさ、あいつら蹴散らしてやるんだ。


俺も絶対に次は敵前逃亡なんてことしねぇ。シャコガイどもを黙らせるだけの戦果をあげてやろうぜ!」


 心底そうなると信じているコーザの笑みから目をそらして、青の僧侶は顔を伏せた。眩しいものから逃れて影に滑り込むような、そんな表情を浮かべていた。


「……まずは、目の前のことをすべて片づけてからですよ」


「ちぇー、つまんねぇの。あんたそんなだからシャコガイどもに舐められちまうんだよ。


強ぇし頭もいいし何でもできるのにさ、そうやって足挟まれたままどこにも行けねぇで。いくら何でも、飼い殺しにされてるってことぐらいわかってんだろ。


もうちょっとさ、野心とか見返してやろう、とかないのかよ。こないだの平原の戦いも結局手柄はぜんぶ俺たちにやっちまって、あんたは何も持ってないじゃねぇか。


うまくいったことはぜんぶ他の奴らのおかげにして、悪いこととか失敗ばっか自分のせいにして。そんなの何が楽しいんだよ」


「楽しいか、そうでないかではありません。事実、私はあなたたちに指示を出しただけ。現場で頑張ったのはあなたたちですから、それに関する戦果に対して胸を張ることなど恐れ多くてできはしません。


そして、ここにいたるまでの損害は私の見込みの甘さが招いた結果。叱責を受けるのは当然の話ですよ。……この話はここまでにしましょう。さ、将軍たちの下へ向かいましょう。ここからが正念場ですからね」


 目の前の草原が風に揺れるさまをもう一度目に焼き付けてから、青の僧侶は濃い隈の染みついた目元を隠すように顔を伏せて設営が始まった天幕へと向かった。


 その背中に背負われた蒼玉の槍が日の光を受けて輝いている。


「あんた、そんなだから笑えねぇんだよ」


 憧れだったはずの場所を前にしてなお、憂い多き嘆きの仮面を外せなかった僧侶。


 その後をついて行きながら、コーザは口の中で小さく吐き捨てる。その脳裏には、渇きをうったえながらも笑っていた赤の戦士の顔が浮かんでいた。





 青の軍の本陣にて行われた軍議は、さほど時間を取らずに終わった。


 地理的な優位は向こうにあるとはいえ、数と戦力の優位は圧倒的にこちらが優位。よって数の暴力をぶつけ、隙を作り、魔石部隊の精鋭数名を王都シュキセに向かわせる。


 王都の守備がどの程度いようが、ただ人が契約者を止められるわけもなし。王とその一族の首を刈り取ったならば、それをもって戦場に戻り王が死んだと触れ回って終わり。


 それが、青の僧侶がたてた作戦だった。


「以上、何事か異議がございましたらお申し付けください。これが私の考えうる最も合理的にこの戦争を終わらせる方法ですが、不都合や疑念がありましたら今の段階で潰しておきたく存じます」


「それならば魔石部隊にこちらの戦場を任せ、我らが王都を目指せばよいのではないか? 赤の軍に魔石部隊がいないことは確認済みであるが、それでも『赤の宝珠』の契約者は出てくるだろう。

 奴が出てくるならば、我らではなく貴様らが出るのが筋という物であろう」


 じっとりとした目を向けられた僧侶は、顔色を変えるでもなくあごに手を当てている。


 その後ろに控えていたコーザは、己の隊長に舐めた目を向けるナマコのような将兵を、今すぐ切り刻んで捨ててしまいたい衝動をひたすらかみ殺していた。


 そんなことをすれば僧侶はコーザを罰さずに庇い、自分が罰を受けようとする。わざわざ主人の首を絞めるとわかっていて行動するほど、能無しでもなければ忍耐を知らないわけでもなかった。


(ぶっかけるしか能のないナマコが。テメェらはただたいちょーの邪魔がしたいだけだろうが。


たいちょーの邪魔をして、ついでに赤の王の首を取って、都を隅々まで蹂躙すりゃさぞ実入りがいいだろうよ。

それをさせねぇためにたいちょーがこう言ってるのをわかってて言ってやがるな)


「国のため、憎き赤の王を自らの手で討ち取りたいそのお気持ち、大変すばらしいものであると存じます。しかし、将兵のどなたかが兵を率いて王都へ向かうならば、必ずやいらぬ諍いを招くと愚考いたしました。


私といたしましては、そのような些事で皆様方の心身を損なうことは大変心苦しく、そのような可能性がある時点で選択肢から切り離しました。


魔石部隊の精鋭による迅速な王都鎮圧と王族の処刑がかなえば、陛下よりお預かりした何物にも代えがたき青の民の命をより多く守ることにもつながりましょう。


我らはあくまでも戦争の道具。戦をより早く、より合理的に終わらせ、我が国に益をもたらすための鉾と盾にござりますれば。


我らが手柄はすべて、皆様方の戦線維持という尽力あってのもの。よって、その名声、褒章、収穫のすべてを同等に分配することをお約束します。


何よりも、私は皆様方に健康なまま、より多くの幸せを献上したいと考えております。ですので、安全な場所で待機していただき、我らを手足のようにお使いになられますよう、謹んでお願い申し上げます」


 流れるように紡がれたへりくだった文言に、集った将兵たちは一様に気分を良くしたようだった。


 じっとりとした目は変わらないものの、異議を申し立てた将兵も口元に手を当ててそれ以上何かを言うつもりはないようだ。


 コーザはやはり、今すぐその目玉をくりぬいて噛み潰したい衝動を覚えたが、なんとかそれを抑え込む。


 僧侶の物言いも大変気に入らないが、それ以上にこの場に集った将兵のすべての目が気に食わない。


「また、赤の契約者に関しましては私が対処いたします。非力な我が身ではありますが、野蛮な鬼の面をかぶった猿など敵ではございません。どうか気兼ねなく、敵兵の掃討にご尽力くださいませ」


 恭しく頭を下げた僧侶に将兵たちはこころよく了承の意を告げる。その顔には大きく足を引っ張ってやると書かれているように、コーザには見えた。


 それは僧侶も感じ取っているのか、天幕を出ていく将兵たちを見送る顔は硬い。合理的な進行の最たる妨げが味方とは、笑い話にもならないだろう。


 下劣な思考がそのまま浮かび上がっている不格好な顔の群れ。


 コーザはそれに無抵抗な、物憂げな暗い顔をした僧侶の背中を見る。

 自分よりも細く小さなそれに、湧き上がってくるのは暴力的な衝動だけだった。


 苛立ちを表すように、歯をかち合わせる硬質な音が響いた。






 青の軍が布陣を開始したことを受けて、赤の本陣では最終会議がおこなわれようとしていた。


 しかし、話し合いを始めるより先に、集められた将の間に広がった動揺がそれどころではない空気を作りだしていた。


 天幕の奥、上座の位置に座るのは老将ラウだった。


 クィハボ平原で博打を打った上に敗退する、という大失策を演じてなおラウが全軍の指揮を預かる地位にある。それは、他の将兵にしてみれば不可解なことだった。


 国を守るための最初の戦いで大博打を打って失敗、多くの兵士を失って敗走した。


 これは処罰を受けるに値するだけの重罪にも相当し、当然全軍の指揮を預かるような地位も権力も剥奪されるのが筋というものである。


「そう思っておるじゃろうな」

「はっ、このまま軍議を開始いたしますか?」

「……」


 場のざわめき、己に向けられる目、交わされる密かな言葉の数々。


 上座に座るラウには、それらすべてが手に取るように見ることができた。このまま軍議を始めても、ひとまずの問題はないかもしれない。


 しかし、話さずにすべてが円満に動くことに賭けるよりも、誠実に話してしまう方がいいと、ラウは判断した。


「いや、初めに説明しておいた方がよかろう。儂が話す」


 情報を伝えようとした部下を制し、立ち上がる。その動きにその場の意識が一斉にラウへと向かった。


「儂がここにおることに、疑念を抱く者も多かろう。すべてを話してやる時間はない故、陛下から賜ったお言葉のみを今ここで伝えることとする」


 シン、と一瞬で天幕内のざわめきがおさまった。


 皆一様に息をのんで、ラウが賜ったという赤の王の言葉を待っている。


「陛下はただ一言、儂にこの国の行く末を賭ける、と仰せになられた」


 言いたいことをすべて言った、というようにラウは再び腰を下ろす。


 またざわめきが生まれたが、それはラウが話し始める前のそれよりもずっと小さなものだった。


「この老骨には重すぎるお言葉ではあるが、信頼をいただいて何もなせぬ、などと阿呆なことを抜かすほど耄碌もしておらん。さて、それでは軍議を始めるとするかの」


 悠然とした構えの老将の言葉には、不思議と心地いい重さが乗っている。


 もはや将兵たちの間に疑念や浮つく心はなく、この国の命運を分ける最後の大戦にいかにして勝つか。その一点のみが濃くはっきりと浮かび上がっている。


「戦略を練る前に、皆に紹介しておきたい者たちがおる。つい先ほど、フカン様より出陣と公表の許可が下りた、赤の戦士と並ぶ我が国最大の切り札じゃ」


 ラウの言葉に合わせるようにその背後から現れたのは、この場にいるはずのないキムテと数人のムロク集だった。

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