鬼の集落 3

 連なる山々のどこか、人が寄り付くことのない森の奥深くにある開けた場所に小さな集落がつくられている。

 競争するように背を伸ばす木々の中にぽつりとできた円形の草原に、温かな日差しが降り注ぐ。しかし、降り注ぐ日差しとは裏腹に集落の空気は重くよどんでいた。


 小規模ではあるがかなりの数の人間が暮らしているはずなのに、そこに活気はない。


 軒先で武具の手入れをしている者や、薬を調合している者、目的もなく歩き回る者がいたが、そのどれにも今を生きるという気概が感じられなかった。


 集落の奥からは、単調な機を織る音が聞こえてくる。どこかから包丁を使う音も流れてきた。

 それに誰かが、飯時だ、とつぶやく。やはりその声には張りがないように感じられた。


 と、不意に武具の手入れをしていた者が顔を上げ、集落の外へと視線を向ける。


「誰か来た」


 その一言で、その近くにいた者たちの空気が一変した。

 触れれば切れるような張り詰めた空気。温かな日差しが降り注いでいるにもかかわらず、そこだけが曇って冷たい風が吹き始めるような。

 

 武具を手入れしていた者は刃をそのまま手にして立ち上がったものの、木々の隙間を抜けて姿を現した人物に目を丸くした。


「……若様だ。若様が戻られたぞ!」


 誰かが叫ぶ。途端、今までの活気がない状態が嘘のように人々は顔を上げ、家から飛び出して騒ぎ出す。

 集落の入り口でそれを見ていた赤の戦士は、急激な集落の変化にも動じた様子はなく足を進める。


 戦士に物怖じすることもなく誰もが近づき、声をかける。


 身を案じていた、腹が減ってはいないか、新しい衣をすぐに用意する、長旅の汚れを落とすといい。


 どれも好意的な言葉であり、鬼の身を案じて尊ぶ気配すらあった。どうやらこの集落では鬼は歓迎されるものであるらしい。

 まとわりついてくるそれらをぞんざいに扱うことなく、かといって何一つ答えはくれてやらず。鬼は集落の奥へと進み続ける。


 集落の奥にあるひときわ大きな屋敷の前で、武人然とした精悍な顔つきの男が鬼を待ち構えていた。

 数歩離れた位置で立ち止まった鬼の顔をじっと見つめていた男は、目を伏せると流れるような動作で膝を地につける。


「若様。よくぞご無事で。初めての戦場はいかがでしたかな? 少しは、得られるものが」

「キムテ。お前には、そう見えるか」


 冷たく問いを切り裂く声にキムテと呼ばれた男は顔を上げ、そして下げた。


「……いいえ。そのご様子では、つまらぬものだったようですな。青の者共はやはり土の肥やしにもならぬ枯れ葉以下の存在のようだと、確信いたしました。若様の心中は私などにはとても推し量れぬものではありますが、歯がゆい思いをなさったのではないかと愚行致します」


 へりくだった態度にも特に関心を示した様子はなく、戦士は頭をたれてさらされたうなじを睨みつける。


 挨拶はこれまで、というようにキムテは立ち上がって体を半歩ずらす。屋敷の入口へ手のひらを向けて、精いっぱいの笑みを浮かべた。


「さぁ、奥へ。ご報告申し上げたいことがいくつもある。我々は、この戦が始まってからずっと、あなた様のご帰還をお待ち申し上げていました」

「無理に笑うな。その心意気は買ってやるがな、ひきつっているぞ」


「これでも若様が留守にされていた間、練習していたのですが」


 さらり、と言われた言葉にキムテは浮かべていた無骨な笑みを苦いものへとかえた。


 途端に周りからやいのやいのと野次が飛んでくる。どこか言葉を発することをためらわせる空気は霧散して、皆口々にキムテへと声をかけ始めた。


「キムテの旦那、もうあきらめなよ! あんたがちっと顔が怖いだけの気のいいやつなのは、この村の誰だって知ってるさ! けどあんた、こないだもヤオハのとこの赤ん坊に笑いかけて大泣きされてただろ」


「あらあら、随分泣いてどうしたんだろうと思ったらそんなことがあったのかい。キムテ様、今度はでんでん太鼓でも持って行ってやんなよ。ちゃんと一緒に遊んであげりゃ、子どもはなついてくれるもんさ」


「そうそう。若様も無理しなくていいっておっしゃてるんだし、顔なんて好きにすりゃいいのよ」

「ハハハッ! 鬼の右腕もかぁちゃんたちにかかりゃ幼子のように諭されるか! こりゃあいい!」


 野次の一つ一つに頭に手を当てながら律儀に頷いているキムテの顔は、戦士の持つ大剣のように真っ赤に染まっていた。

 その光景に一瞬だけ目を細め、鬼は屋敷の戸をくぐって奥へと入っていった。


 周囲の山の木を切り出した木材でつくられた屋敷は、人里離れた小さな集落にしてはやけに立派な内装をしていた。


 ちょっとした貴族の別荘だと言っても通じるだろうその中を、鬼は勝手知った顔で堂々と進み続ける。

 まだ顔の赤みが引いていないキムテが、その後ろを早足に追従していた。


 鬼が進む廊下の脇には無数の引き戸がついており、その向こうには人の気配がいくつもあった。

 しかし鬼が通り過ぎても誰も顔を出さない。


 鬼も部屋に顔を突っ込んで誰がいるのかを確かめようとはしなかった。ただ一度だけ、自分の後ろを歩くキムテを一瞥した。


 一瞥に気づいたキムテが静かにうなずいたことを確認すると、それ以外に何か意味のありそうな行動は起こさなかった。

 しばらく無言で歩き続けやけに長い廊下の突き当りが見えたころ、キムテの元へ女中が一人駆け寄ってきた。


 立ち止まって何事かの報告を受けた彼は、女中を下がらせると立ち止まって振りむいていた鬼に向かって恭しく頭を下げる。


「若様、湯浴みの用意ができております。お召し物の用意も、同じく」

「……あぁ」


 その言葉に鬼は自らの装いを見下ろして、一言だけ返事をした。


 血がしみこんだ白装束に、同じく渇いた血がこびりついた手や髪。

 申し訳程度に身につけられた右肩と左胸の防具、籠手と脛当てもかなり汚れている。


 汚れがなくきれいなのは背負った紅玉の大剣だけで、後はどこを見ても薄汚い野党の様相だった。


「部屋はいつもの場所にご用意させていただいておりますので、湯浴みがおすみになりましたらそちらへお越しください。お食事の用意もできておりますが、湯浴み後すぐにお召し上がりになりますか?」


「あぁ。報告はその後に聞く」

「かしこまりました。本日はいい鹿が手に入りましたから、かなり豪勢ですよ。女中たちも数段気合が入っているようですし、どうぞ楽しみにしていてくださいね」


「お前たちにはいつも手間をかけさせる」

 閉ざされた戸の連なる廊下に一目向け、犬に餌を食わせるように投げられた言葉。


 それに瞠目した後、キムテは唇を噛みしめて深々と頭を下げる。鬼は前を向くと、案内もなしに歩き始めた。


 廊下の突き当りを迷いもせず右に曲がった背中が消えたころ、廊下の脇にいくつも連なっていた部屋の戸が開き、無数の目が暗闇の奥から浮かび上がる。


 鬼の影が完全になくなったことを確認した目の持ち主たちは、カラカラと乾いた音を立てて戸をくぐり出てくる。

 暗闇から光ある場所へ出てきたそれらは、体の一部を包帯や布切れで覆い隠した人間の集団だった。


「ムロク集は引き続き、若様のお目に触れぬように影ながらお世話を。いいか、気配を見つけられてしまうのはもう仕方がない。しかし、姿をさらすことは断じて許さぬ。……お前たちが悪いわけではない。これは私の独断だ。以上。くれぐれも若様に近づく際は油断をするな。心してかかれ!」


 カラカラ、ガラガラと乾いた音をたてながらムロク集は蜘蛛の子を散らしたように廊下の影へと消えていく。

 キムテは最後に残った白いひげを整えて飾り紐をつけている老人を見下ろした。


 キムテと老人、この二人だけが残った廊下はひどく静かだった。


 不意にキムテが精悍な顔をぎゅっと歪ませる。

 美しい蝶が地に落ちてしまう瞬間を見た子どものような顔になったキムテを見上げて、老人は器用に肩眉をつり上げた。


 杖をついているその右手は包帯で覆われており、その隙間から白い硬質なものが見え隠れしていた。


「キムテよ、そのような顔をするものではない。若様はすべてを承知の上であのようにおっしゃられたのだ。我らがその御心を慮り、あまつさえ憐れむなどあってはならぬ。たとえその身にいえることのない渇きを抱え続けることになろうとも、それが若様音自らお決めになられた道だ。我らはただ、定められたままに忠誠を捧げるのみよ」


「しかし! その忠誠を捧げても若様は救われず、満たされない! むしろ傷を広げてしまう。我らは、私は、あの方の御力になりたいのに、その思いが若様を苦しめるのだ。翁様、これを嘆かずしてどうします。私の想いは、決して私自身の物であると断言もできず、それゆえに若様の御心を苦しめ続けるこの不甲斐なさ。主に気を使わせ、渇きを抱えさせるなどという失態までおかしてなお、私は、若様にお言葉をいただけたことが、これほどまでに嬉しいのです」


 身を震わせて顔を伏せるキムテの頭を、翁と呼ばれた老人はなでてやることしかできない。


「我ら赤の魔石部隊。その全員に課せられた対価は『赤の契約者に対する絶対服従』である。じゃが、キムテよ。服従と忠誠は違う。従属と奉仕が違うようにの。我らは皆、あのお方に忠誠を誓っておる。それは対価でそうあるように縛られたからではない。我らは、我らの意思であのお方に膝を折り、命を捧げるのじゃ。そしてそれは、お主も相違あるまいて」


 幼い孫に教え諭すような声音だった。


 キムテは小さく頷くと、勢いよく頭を上げる。

 ばつが悪そうな顔をしていることを確認して、翁はまだまだ若いのぉ、と朗らかに笑いながら杖をついて歩き始める。


 口をへの字に曲げたキムテは、その後ろを憮然とした顔でついていくのだった。

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