鬼の集落 1

 渇く。


 何をしても、何もしなくてもいえることはない。

 俺はずっと、この喉がひりついて張り付いてしまうような渇きをどうにかしようともがいていた。


 だが、もがけばもがくほど渇きは強くなった。必死になればなるほど、抗えば抗うほどに満たされない空虚があふれていく。


 だからもがくのを止めた。必死になることも、抗うこともやめた。


 なのにも渇きはいえない。消えない。力を得るにふさわしい代償を捧げ続け、なのにこの渇きはいえるどころか強くなる一方で、この身を削り、この心を荒らして乱す。


 救いはない。歩むべき道は失った。かつて抱いた夢は永遠にかなわない。


 俺のそばに仲間はなく、理解者などいるはずもない。……違う。理解など、されてはならない。


 俺のこの渇きを、共感し理解できるような奴を生み出してはならない。俺がいる限りこの苦しみを知る者は現れてはならない。


 ただ一振りの紅玉の大剣が俺の元にあればそれでいい。そうだ、このウーバだけがあればいい。


 俺の手元にこれがあり続け、他者にわたらぬように留め続けることこそが俺の存在価値。

 俺がやるべきこと。この国からこの『赤の宝珠』を奪い続けることだけが、俺にできる唯一の善行。


 あぁ、渇く。


 奪わなければ。


 俺の価値を保つために。


 奪い続けなくては。


 いずれ魔王となるために。


 そう、いずれ英雄にその血塗られた誉れ高き道を示すための障壁に。

 この閉ざされた世界を壊す兆しに。


 早く、早く来い。

 遥か彼方から、この首を取りに来い。

 この悪逆を正しに来い。

 そのために俺は満ちもしない、いえもしない渇きを抱えて強奪の限りを尽くそう。


 救いはいらない。歩むべき道など必要ない。いつか至る夢のために駆け抜けよう。


 そう誓った。俺の祈りは、願いはただ一つだけ。そう定め、振り返らないと決めた。


 だが。


 渇く、渇く、渇く!

 気が狂いそうだ!

 俺は何のために、こんなことをしている!

  誰にも感謝されない、誰も救えない!

 ただ誰かの夢のためにすべてを奪われて、身を尽くして!

 俺は何のために、なぜこんな渇きを抱え続けねばならんのだ!


 誰か、いないのか。何か、ないのか!

 一度だけでいい。

 たった一度だけでいいから、俺を救ってくれ!


 あるはずだ。

 この世には、俺の渇きを満たせるものがあるはずだ!

 俺をここからすくいあげる何かがあるはずだ!


 早く、早く来い!

 俺が壊れ果てる前に!

 俺がそれを救いだと実感できる今に!


 来ないならば俺が探し出してやる。

 この渇きをいやせるものを、俺の手で探し出して見せる。


 そうだ。この渇きを満たせるものを、俺はずっと探している。





 赤の国はその国土の大半を山地が占める。

 

 青の国との国境付近はまだなだらかで起伏の少ない土地が多いが、都のある北へと向かえば向かうほど標高は高くなり起伏の激しい山々とそのふもとにある高原が広がるようになる。


 その特色は、国土の大半を占める山地で採られる様々な自然の恵みだろう。その山々が持つ豊かな自然は彼らの糧となるだけでなく、そこを水源とする河川を支えている。


 この国は、名前に反して美しい緑が豊かな国であり、水がおいしい国であるとも有名だった。


 国民は大半が山の管理に従事しており、伐採した樹木の加工も行っている。

 

 そうしてつくられた製品や、加工前の材木を他国に輸出することでこの国は経済を維持していた。

 また、高原では家畜を育てその資源すべてを余すことなく利用して生活していた。


 そして赤の国の都『シュキセ』は国土の北、山々に囲まれたすり鉢状の土地につくられた都市だ。

 ここに至るにはこの都を囲む山の高原を超えて山を登り切り、そしてくだらなければならない。


 標高高くに作られた都市であるが故の不便はあり、実際他国との物流などの交流はここでは行われない。交易都市と指定された街の方がよっぽど華やかであり、にぎわっているだろう。


 シュキセは玉座があるだけのただの街である。

 王の膝元であることに由来する職の幅や、見聞きするものが違うこと以外は特に変わったことはない。娯楽も少なく、王都とは思えないほど質素な都市。


 しかし、そこがクィハボ平原にて勝利を収めた青の軍が見据える最終目的地である。



 そのシュキセに深夜、前線の情報を伝える伝令が駆け込んできた。


 休息もなしに駆けてきたらしい伝令は、しばらく何も言葉を発することができなかった。

 水を与え、食料を与え、しばらくの休息を与えてようやく、一言二言話せるようになった時には空は夜明けの気配を宿し始めていた。


 玉座にそろった臣下を見下ろして静かに戦況の報告を待っていた『赤の宰相』エンは、騒々しい足音に顔を上げた。

 張り詰めた弦のように背筋を伸ばして玉座に座っていた『赤の王』カイリも目を鋭く光らせて玉座の間の重厚なつくりの扉を睨みつける。


 軋むこともなくするりと開いた扉の向こうから駆け込んできた報告役のカヤは、玉座に続くようにしかれた敷物の上に膝をついて唾を飛ばす勢いで叫んだ。


「ご、ご報告申し上げます! 我らが赤の軍は敗退、クィハボ平原での戦いは我らの敗北にございます!」


 誰も、何も言わなかった。ただ誰もがじぃっと伝令から伝えられた報告を奏上する報告係を見ている。

 自らが無数の視線に突き刺されているとは気づかずに、カヤはただ己が聞いた国の一大事をこの場のすべてに伝えることにのみ集中していた。


「撤退したラウ将軍は、軍の体勢を立て直すべく山に入られました。青の軍は将軍を追わず、まっすぐ街道にそって進軍を続けております。おそらく敵の狙いは、このシュキセであると思われます!」


 やはり、どよめきの一つも起こらなかった。

 自分の役目を終えたカヤは、重責に曇らされていた感覚のすべてを取り戻すと同時に困惑を浮かべた。


 あまりにも、誰も動揺しなさすぎる。冷静を装っているのかと勘繰ったが、すぐにそんな薄皮をかぶっているのではないとわかった。


 誰も彼もが一切の焦燥も絶望も感じていないのだ。

 ここに集められているのは各部署の重役たち。彼らだけが知っている秘密があっても驚きはしないが、しかし防衛軍が敗走したことに対してこうも落ち着いていられるものなのだろうか。


「ご苦労。下がってよいぞ」


 短い誰かの言葉におずおずと頭をたれてカヤは立ち上がる。

 遠目でしか見たことのない雲の上の存在を目に焼き付けることもなく、逃げるように退出した。


 すべてが予定通りであるというような、何も慌てることなどないというような玉座の間の空気は、カヤの心身を冷たく凍えさせていた。


「ラウには悪いことをした。戻ったら盛大にねぎらってやるとしよう。まったく。何一つほんの些細な引っかかりすら感じていないのなら青の国の軍は無能の集団ということになるな。どう思う、フカン」


 エンの鋭い視線を受けて、一人の初老の男が進み出る。

 白いものが混じり始めた頭髪としわの寄った目元。そして、触れれば切れるような鋭い目のこの男が、赤の国の軍部をまとめる地位に立つフカンだった。


 戦場に立ったことはないが、鍛え上げられた肉体と積み重ねた知は確かなものである。


「はっ! 仰られる通り、奴らも何かしらの違和感は抱いているはずです。しかし、それは進軍を止めるほどではないのでしょう。何も全員がそうである、とは言いませんが青の国の国民性はご存じの通り、短期で浅慮なところがあります。


 この進軍はその表れであるかと。違和感はあるが、それが何かわからない。わからないことに苛立ち、それを振り切るためにシュキセに進軍しているものと思われます。どのような違和感であれ、何を企んでいようと王を討ち取れば国は終わりですからな」


「宝珠を手にしてもそれは同じことだろう、私としてはあれを追いかける可能性も高いと思っていたのだがな」


「それにつきましてはおそらく、クィハボ平原での戦いが影響しているのかと。一つも追いかけるそぶりなくこちらへ進軍したということは、よっぽど痛い目を見たようですな。


 あれに下手に手を出す前にまず王都を落とそうと考えるのは賢明な判断であると私は評価しますよ。万が一にでもそちらを追うようなことがあれば、作戦も何もなくこの戦争は終わったでしょう」


 実際、赤の宝珠の契約者であるあの鬼が山に入った時点で青の軍は王都を目指すしかなくなっていた。


 ただでさえ山には不慣れな青の民に、不自由な場所であの化け物を相手取って討ち取れるような算段は何一つなかった。もしかしたら逸った者が一人や二人いたかもしれないが、それはもれなく命を落として終わっただろう。


「では、青の軍の進軍方向にある集落の民たちを山へと非難させよ。奴らは山には無暗に入らぬだろう。速度を重視してここシュキセを目指すはずだ。ゆえに招き入れよ。ラウの軍にも使いを出せ。ミェコマヤ高原にて軍の再編、布陣を急がせよ。案ずるな。勝利は我らの手にある」


 もろもろの指示を出すエンの背中を、カイリは玉座に腰かけたまま微動だにせず見つめていた。



 軍議も終わり、誰もいなくなった玉座の間に大きなため息が響く。

 誰もいなくなったことを確かめたカイリは、行儀悪く玉座の側面にもたれかかって座り込んだエンの顔を覗き込む。


 酷い疲れの色が見える顔は、どれだけ見てもやはり自分とそっくりだ、とカイリは思う。特に鋭く尖った垂れ目など、本当にそっくりで血がつながっていることを意識できる。


 これで瞳が赤ければ、あれとまったく同じ顔になるのだろう、とわけもないことを考えさえした。


「兄上、随分と疲れているようですね。少しはお休みになられてはいかがですか」

「そんな暇はないことくらい、わかっているだろう。それにお前も私のことは言えない顔色だ。化粧をしてもごまかせないぞ。はは、それは私も同じか」


「ですが、この程度で音を上げるわけにはいかないでしょう。ボクたちはボクたちができることを精一杯、力の限りやり切らなければ。己に理不尽な役目を勝手に負わせて今も己のなすべきことをなさんとするあれに合わせる顔がありません。なにより、兄の面目が丸つぶれですから」


「そうだな。もうひと踏ん張り。うまくいってくれるといいのだが」

「うまくいきます。ボクと兄上の考えた飛び切りの策です。それにこれがだめだったとしてもまだ手を尽くす時間はあります」


「働きすぎで死ぬなんてこと、絶対にごめんこうむりたいな。私は公務に戻る。まだやれることはある。やらなければならないこともある。王様に向かってこんなことを言うものではないのだろうけどね」


 くしゃり、と整えられた弟の尖った黒髪をなでたエンは立ち上がると恭しく礼を取って玉座の間を退出した。残されたカイリはずれた冠をかぶりなおしてやっと玉座に背を預けたのだった。

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