クィハボ平原 終
戦が終わり、日も落ちたクィハボ平原。青の本陣からかなり離れた外で座り込んだコーザは腐臭の混ざったぬるい風に当たりながら、今日の夕食の準備をしていた。
ぐちり、と刃を突き立てられた生肉が音を立てる。骨の少ない腹を開けば、まだ新鮮な色合いを保った臓物が並んでいた。
まだわずかに温かいそれらをすべて取り出したら、腹の中心だけだった穴を縦に延ばして同じように筋肉以外のすべてを取り出していった。
いわゆる消化器官と呼吸器官を取り出せば、次は全身の解体だ。
肉の解体方法などまるで知らないコーザだが、ある程度の手順は一定化しているようだった。あまりにも丁寧なその仕事ぶりに、それを見ていたネガーメはげんなりした表情を浮かべていた。
水の入った革袋を適当に投げて距離を取る。正気の状態で直視するには冒涜的過ぎる惨状だった。
「相変わらず、ろくなものを食べていないな。サメ気取りの雑魚が。そのうち人食いサメ認定されて、隊長あたりに駆除されるんじゃないか」
「うるせぇぞド近眼タコ野郎。魔石を奪われて、契約も解除されちまった雑魚が何言ったって痛くもかゆくもねぇんだよ。つうか、俺だって好きで食ってんじゃねぇし」
コーザは取り出した心臓を軽く揺らす。
滴る血が小さなしずくとなってあちこちに落ちた。
思わず口元に手を当てて後退った相棒に好戦的に笑って、ろくに調理も何もしていない状態のそれを口の中へと放り込む。
「契約の対価、か。もう俺には関係がない話だ」
瓶底メガネの奥にある瞳には、狂気の欠片すら残っていない。
コーザはネガーメが何を狂気で塗りつぶされていたのかを知らない。肉と脂と血の味でいっぱいになった口の中を唾液と一緒に呑みこんで、唇についた血を舐めとる。
狂わなければ戦えないような雑魚はどうでもいい。そう思っていたはずなのに、いざその狂気がなくなったのだと言われると言葉にできない何かが喉の奥で渦巻いた。
「赤の軍は撤退を始めたようだ。中央軍はほぼ壊滅。右軍もやはり戦線は崩壊しなかったものの相当な数の兵士を失った。俺たちの状況はどうあれ、兵士の数だけで言えばこちらの勝利だ。魔石部隊を中央と左に分けて配置したのが大きかったな」
「魔石部隊が出張ったおかげで中央と左の兵指数にそこまでの損耗はなかったわけだ。俺たちがその分散々な目に合う羽目になったってことだろ? ふざけんなよな」
吐き捨てるような言葉にネガーメは何も言わなかった。魔石部隊は鉾であり盾である。
そういう方針の下で運用されているためコーザたちは青の軍の中でも一番血を浴びて傷を負う役目を押し付けられる。守られている分際で、大口をたたく雑兵のことがコーザは嫌いだった。
そんなに敵前逃亡がどうのこうのいうのならお前も魔石と契約してあの赤の戦士と対峙し、あの光景を見ながら敗走してこい。
もはや声に出すのも面倒になって心のうちに放り投げた抗議は、誰にも届けるつもりはない。
「で、たいちょーはなんて?」
「今後の戦いにも魔石部隊は投入すると。処罰は戦争の終わった後にまとめて、とのことだ。俺は後方支援に回るように言われたさ。それ以外は何も。……あんな隊長の顔は初めて見た。俺たちだけでなく、まさか中央の魔石部隊全員が命令違反の上敵前逃亡したとは。よく処刑の声が上がらなかったものだ」
「上がったけど握りつぶしたんだろ。少しでも軍の犠牲やら戦力のことを考えんなら、今は処刑を見送って、後で改めてってした方が合理的ってな。あの人そういうとこあるし」
赤の本陣からここまで戻ってくる際に見た光景を、コーザはずっと忘れられないだろう。適当な大きさに解体した肉塊についている皮をはぎながら、あの時見た光景に思いをはせる。
誰も彼もが死んでいた。誰も彼もが安らかな顔をしていた。死因であろう傷の数々は惨たらしく、凄惨な出来事を予感させるというのに。敵も味方も関係ない。赤の戦士が通ってきただろう道が、無数の安らかな顔の死体で埋め尽くされていた。
「化け物が。どうやったら今から自分が死ぬって時にあんな顔するようなことになんだよ」
「部隊の連中もそれを見て逃げ出したらしいからな。敵前逃亡など、するような連中でもないのにと隊長も不思議そうな顔をしていた。それほどまでに恐ろしかったのか、あるいは」
「俺たちみたいに逃げさせられたんだろ。魔石が奪われるくらいなら敵前逃亡した方がまだましだ。だから他の奴らも処刑しろって強く出れねぇ」
あの光景を見た瞬間、全身を悪寒が走り抜けたことをよく覚えている。
食料として持ち帰ろうとした肉を放棄してひたすら馬を駆けさせた。
魔石を失ったネガーメが気絶していることに安堵したことに苛立ちを覚えながら、わき目もふらずに本陣へ逃げかえった。まさに無様な敗走だった。
「なるほどな。隊長の提案が受け入れる理由はそれか。赤の軍は今回の戦いに魔石部隊を出さなかった。こちらも今弱体化するわけにはいかんわけだな」
「隊長に頭下げさせたんだ。次は逃げたりしねぇし負けもしねぇ! 魔石が奪われるってんなら、それより先にあのウニ頭をかち割って中身をまき散らしてやりゃいいだけの話だ!」
派手な音を立てて邪魔な骨を砕く。が、自分が解体した骨付き肉の山を見て分厚い刃の短剣を投げ捨てた。
これ以上の手間をかけるのが面倒になったらしい。
ふいにうつむいたネガーメがぽつり、と今までにない弱々しい声を出した。
「ごめん、ごめんな」
「謝ってんじゃねぇよ気持ちわりぃ。お前がむかつくくそ雑魚ド近眼タコ野郎なんてことはとっくの昔にわかり切ってんだよ。今さらしおらしい振りすんじゃねぇ」
「……うるさい。雑魚は、お前だ」
邪魔をしてわるかったな。そう言って去っていく背中に口を開きかけて、慌てて閉ざす。革袋を乱暴につかんで、飲み込み切れなかった血を喉の奥底へ押し流す。
水は、かすかに甘い味がした。
「あー、そうだ。火ぃ起こさねぇと」
面倒くさそうな声だけがその場に響いていた。
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