クィハボ平原 2

 うなりをあげて紅玉の大剣が振り下ろされる。

 たったそれだけの動作で文字通り大地が割れた。地を割った衝撃は空気をも震わせ、暴力性を伴わせて巻き添えを食らった敵兵を切り刻む。


 青の右軍の前線中央は文字通り天災に襲われていた。


 意志を持つ天災を巻き起こしているのは、美しく輝く紅玉の大剣を持った黒髪の戦士。戦場に出るにはいささか軽装すぎる武具。赤く光る牙の耳飾りを映えさせるように白い無地の衣服をまとっており、遠目からでもよく目立つ。


 武器を構えて突進してくる兵士たちをなぎ倒している様は、軽く人の域を超えていた。


 開戦からそう時もたたないうちに白い装束は大量の返り血でどす黒く汚れ、死に装束から一変。相対する者に不吉な予感を与える代物へと変わり果てていた。


「ひっ、あ、ああ……あかい、おにだ」

「赤の契約者だ、赤の契約者が出たぞ!」


「まさか宝珠の契約者が単騎で乗り込んできたのか?! 赤の軍は正気か! 国の要だぞ!」

「魔石部隊は何をしている! 俺たちだけじゃ止められないのはわかり切ってるだろ?!」

「討ち取れ! 討ち取れー!」


 鬼が振り回す武器は見てくれだけは大剣の形をしていだが、実際の用途は鈍器の類だった。斬るよりも打ち付け、割り砕いて叩き潰す暴力を可能にする武器だった。


 そして、それを自在に振り回せる赤の戦士は文字通りの化け物だ。

 戦士が一人切り伏せれば、その余波で十人は確実に巻き添えを食らう。戦士が大剣を一振りすれば、たちまちかまいたちのごとき風の刃が起こり数十単位で死人が出た。


 まさしく破壊の災厄。ただの人間が相手どることはもちろん、足止めすらできるようなものではない。

 もしもここに味方の軍がいたとしても、その戦いぶりは変わらなかっただろう。そして、より多くの屍の山を築き上げていたに違いない。


「弓隊構えー! 射ぇー!」


 歩兵と騎馬兵がさがったかと思うと控えていた弓隊が一斉に矢を放った。


 距離を取った部隊による一斉掃射の中であっても、戦士は猛然と戦場を縦横無尽に駆けていく。赤い大剣と返り血で濡れたその姿は戦場に一条の赤い軌道をえがき、そして死を運び続ける。


 瞬く間に距離が詰まっていくことに弓隊の指揮官は唾を飛ばして叫んだ。弓兵は近づかれれば終わりだ。こちらにあの破壊が届くまでに仕留めなければ自分の命も危ないことは、誰に言われずともわかっていた。


「殺せ、殺せー! 奴の首を討ち取り、晒しものにするのだ!」

「やつから目を離すな! 味方ごと射ってもかまわん! 一撃で仕留めろ!」


 しかし、赤い死は止まらない。ぎろ、と狂的な鋭さを宿した赤い目と目が合った。弓隊指揮官の目にははっきりと、その口元が歪な弧をえがいて何かをつぶやくさまが見えた。かっ、と血がのぼる。


「赤の犬が、調子に乗」


 怒号と共に弦を引き絞った男は、しかし最後まで怒りを叫ぶことすらできず頭をもぎ取られた。恐ろしい脚力で一気に弓隊の前にまで跳躍した戦士は、無造作にもぎ取った弓隊指揮官の頭を片手にぶら下げながら、青ざめた顔の群れの向こうへと目を向ける。


 弓隊の少し奥。先ほどまで蹂躙の憂き目にあっていた騎馬隊と歩兵たちが陣の再編を急いでいるようだ。戦士の戦いぶりにあてられたのか馬に落ち着きはなく、全体の士気も開戦直後のような勢いはない。


 自分を囲む腰の引けた弓兵たちもそれは同じだ。むしろ逃げ出さないことが不思議なほどに、彼らは戦場の赤い鬼に恐怖しているように見えた。


 小さく嘆息して肩にかついでいた大剣を持ち直す。その表情は物憂げで嘆きの色をのぞかせていた。手に持った首を一瞥し、やはりなにか物足りなさをうったえる顔でそれを投げ捨てる。


 無造作に開いた口から覗く歯は、両耳を貫く耳飾りのように鋭利だった。


「……渇く。ゆえに、お前たちのすべてを奪おう」


 短い宣言の真意はなんであったのか。それすら考えつくことなく弓隊は壊滅した。


 鮮やかな透き通る赤にまとわりつく液体を振り払いながら、つい先ほどまで命の略奪を行っていた鬼がゆっくりと顔を上げる。鈍い光だけが浮かぶ目が向く先には、態勢を立て直した騎馬隊がいた。


 鼻息荒く地面をかく馬たちの目は血走っており、明らかな興奮状態にあった。哀れなものだと思いながらも、すでにそれも奪う対象にいれている赤眼に迷いはない。


 馬に乗ったところで大剣の重さでまともに走れないのが目に見えているが、だからといって奪わない理由もない。つぶしておけば後々の苦労も減るだろう。


「……こいつらも、違った。お前たちはどうだ」

「うおおおぉぉぉ! おのれ、赤の国の化け物め! くたばれ!」


 たった一人を相手にするにはあまりに過剰な戦力を前にしてなお、戦士に揺るぐ何かはない。今度こそ、もしかしたらあの中に求めるものがあるかもしれない。それを奪い満たされるその時まで、止まるつもりは毛頭なかった。


 じりじりと身を焦がす渇きにうめきながら、目と鼻の先にまで迫った騎馬隊に向けて大剣を大降りに振り切る。


 ブン、と重く鈍い音ともに一筋の赤い線が閃く。


 それだけですさまじい威力の風の刃が生まれ、次々と兵士や馬を切り刻んでいった。序盤に起こったかまいたちなど比べ物にもならない威力だ。誰もが逃げる間もなく食い殺された。


 戦士は黙々と目の前にわき出る蟻を大雑把に叩き潰しながら、ただひたすら何かを探し求めて右軍の最奥中心を目指す。右軍大将首まであと少しのところに、赤の戦士は迫っていた。



『右軍の壊滅を命じる。満ちること知らぬ獣のごとく食らい尽くすがいい』


 おびただしいほどの血が流れる荒野に立つ赤い鬼は、老将の言葉を思い出していた。その手には右軍の大将首がある。


 依然として渇きはいえることなくその体を蝕んでいる。いっそのこと地面に口づけして流れる赤い川を啜ろうかとすら思えるほどに、それは激しく苦痛を伴っていた。


「……この渇きを、いやすものはここにも」


 鋭い目を伏せてたそがれる背中を襲うものは皆無。遠くに聞こえる地鳴りと鬨の声を聞きながら細く息を吐いた戦士は、しばらく虚無に身を任せていようとした。けれど一時の静寂と平穏は呆気なく奪われる。


「なぁ、おかしいと思わんか? 連中、明らかにただの人間の寄せ集めだったぞ。侵略軍のくせに玉の気配一つせなんだわ。ずいぶんと舐められたものよな」


 鬱陶し気に眉をよせて、そこで戦士はぴたりと動きを止めた。確かにこの疫病神の言う通り、確かに歯ごたえがなかった。


 相手が弱すぎるということもあるが、それ以上に鬼の同類が一切出てこなかったからだ。そこにいるだけで味方を鼓舞し、敵に畏怖を与える一騎当千の化け物が揃えられている部隊が。


 通常、軍には必ず魔石部隊と呼ばれるものが存在する。戦士も書類上は赤の国の魔石部隊に所属していることになっている。


 つまりは、魔石部隊とはそういう人外魔境の部隊。それだけで戦を終わらせ、戦局を左右しうる強力無比な兵器集団。


 そんな戦とは数である、という定石をあっさりと覆す切り札がこの右軍にはいなかった。それどころか最上級の格を持つ『宝珠』の契約者である赤の戦士が出ても応援に駆け付ける気配すらなかった。


「……ここは捨て駒か。向こうには冷酷な軍師でもいるな」


 少なく見積もってもここには三千はいた。しかし、三万の軍の一割だけのそこは攻めやすそうでその実、罠のにおいが強かった。実際、中央と左よりも数が少ないゆえに魔石部隊が布陣していると読み、ラウ将軍は戦士をここに単騎で突撃させたのだ。


 まさかそのすべてがただの人間の兵士だったと知れば、顔を青くしただろう。今現在、まさに本陣の奥で青ざめていそうではあるが。


「せっかくとった首も無駄になりそうだの。さてさて、あの老将は生きておるか、賭けでもしてみるか?」

「生きている。俺が奪うのだから」


 大剣は盛大にふきだした。

 人の姿をしていたなら、間違いなく腹を抱えて地面を転げまわっているだろう。


 天に響くような疫病神の馬鹿笑いを無視して背中の鞘に納めると、真っ赤に染まった戦士は明後日の方向を仰いだ。獣が獲物のにおいを探るような動作だった。


 やがて標的を見つけたのか、中央軍が布陣した方角に顔を向けて浅く息をはく。屍の山を踏みつぶすように、赤い水を跳ね上げながら次の獲物に向けて鬼は走り出した。

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