第3話 ミステリーと本屋と友達

「前半の学校のシーンで、犯人が部室に隠れてる描写があったと思うんですけど、あれは結局何のためだったんでしょう?」

「あれはおそらく、犯人が仕掛けをしていたんでしょうね。犯人側がいつでも仕掛けられたから、いつやったかは推理では問題にならなかったけれど、探偵視点ではなく私たち観客の視点から得られる情報も合わせると、ちょうどあのタイミングだったということでしょう」

「あー、確かにそうですね」


 出てきた料理をゆっくり食べつつ、僕と先輩はいろいろな話をした。もちろん、主に映画の内容についてなんだけど。そして、先輩もあの映画を初めて観たはずなのに、映画に対する理解の深さでめちゃくちゃ差をつけられていた。僕の場合、ああいう映画を初めて観たときに全部理解しようとしても、だいたい情報量が許容範囲を超えて頭がオーバーヒートしてしまうのが常だった。やっぱり、頭のいい人は違うんだなと思う。





 料理も食べ終わり、映画の話も一段落した頃。補充したメロンソーダを少しずつ飲みながら、僕は時計を見た。2時半だったから、店に入ってもう1時間半以上経っていたことになる。長居できる店を選んだから問題はないけど、こうも時間が経つのが早いとは。


「こういうのも、たまには悪くないわね」


 先輩が少し嬉しそうに口を開いた。


「こういうの、ですか」

「ええ。知っての通り、私は普段他人と何かをするのが極端に少ない人間でしょう?」

「そりゃ知ってますよ。だから、実習が先輩の負担になってないか、ちょっと心配だったんです」

「心配してくれたのは嬉しいけれど、さっき言った通り私は大丈夫だから、安心してもらっていいわ。これが毎日だったらさすがに疲れるでしょうけど、週に数回程度なら特段問題はないわね」

「楽しんでもらえているなら良かったです。僕なんかでよければいつでも付き合いますよ」

「『なんか』じゃないわ。……ええと、その、久我くんに付き合ってもらっているのは別に消去法ではないということよ」


 消去法じゃないということは、「他に誰もいないから」以外の理由があるということだろうか。


「それは、なんというか……。嬉しいです」

「気が合って、一緒にいてもさほど疲れない。そんな相手なんて、そういるものではないでしょう? 久我くんがどう思っているかは分からないし、単に負担を押し付けているだけかもしれないけれど」

「こっちも別に疲れてないですよ。先輩と話すのは楽しいですし」

「それなら良かったわ」



 しばらくしてから、腕時計を確認した先輩が呟いた。


「ずいぶん長居してしまったわね。そろそろ出ましょうか」

「あ、先輩。実はこの店、デザートもあるんですよね」

「……じゃあ、頼もうかしら」


 氷川先輩は甘いものが好き——そう言っていた御園先輩の情報は正しかったらしい。








 結局、先輩はパフェを注文した。味の感想を聞いたところ、「もちろん本格的な店には敵わないけれど、値段を考えたら全然悪くないわね」とのこと。


 そして、僕と先輩が退店したときには、もう3時前だった。ちなみに、会計はピザだけ半分ずつ、残りは自分の食べた分だけということにした。2人ともだいたい同額になったから、何も考えず割り勘にしても結果的にはそう変わらなかったはずだけど。


「私、ファミレスにここまで長居したのは初めてなのよね」

「確かに、ファミレスで長居って先輩が一番やらなさそうなことですからね。まあ、2時間なんて居座ったうちに入らないですし、粘る人はもっと居座りますけど」

「へえ、そういうものなの?」

「昼間にドリンクバーだけで3時間とか4時間とか居座る学生だっていないわけではないですから。空いてるなら店の側も追い出しにくいので」

「なるほど。時間だけ有り余っている学生の特権ね」


 先輩はそう言って肩をすくめた。


「それで、これからどうしましょうか。別に帰ってもいいけれど、行きたいところがあるなら寄る時間は十分にあるわね」

「あの、本屋行きません? 前回行ったとこ、ここから近いですよね?」

「近いけれど、行ってどうするの?」

「いえ、今日の映画が面白かったもので、ミステリーなるものに興味が湧いてきたんですよ。先輩ってミステリーが好きなんですよね?」

「ええ、まあ、かなり好きね」

「それで、入門しようと思ったんですけど、何から読めばいいか分からないんですよ、残念ながら。そのあたり、有識者の知恵をお借りしたくて」

「ああ、なるほど。そういうことなら、もちろん付き合うわ。私でよければ、だけれど」





 こうして、僕たちは2週間ぶりに、初回の実習で訪れた本屋に戻ってきた。


「とはいえ、初心者向けに本を選ぶというのは、なかなか難題ね……。今まで読んだことのあるミステリはあるかしら。小説に限らず、アニメやゲームでもいいけれど」

「あー、なんかシャーロック・ホームズは数冊読んだ気がします。でも、それくらいですかね」

「なるほど。ホームズは長編? 短編?」

「確か、読んだのは全部短編だった気がしますね」

「まあ、そもそもホームズシリーズはほとんど短編なのだけれど。だとすると、せっかくなら長編がいいかしら。ホームズを読んでいるなら、探偵もののお約束はだいたい分かっているでしょうし……」


 先輩は独り言を言いながら、推理小説の棚の前で真剣に考え込んでいる。真剣に考えてくれるのが嬉しくて、僕は先輩の邪魔をしないように横から見守ることにした。


「海外と日本、どっちも入れた方がいいかしら……。だとすると……」


 しばらくして、先輩は棚から2冊の本を取り出してきた。


「いろいろ考えたのだけれど。アガサ・クリスティの『オリエント急行の殺人』と、島田荘司の『占星術殺人事件』あたりかしら。いえ、占星術殺人事件を初心者に勧めるのは異論も多いでしょうけど……」

「面白いんですか?」

「オリエント急行の殺人は文句なしに面白いわ。占星術殺人事件は……正直、途中までは面白くないけれど、トリックが本当に天才的で、それだけでも読む価値はあると思うの。それに、この2作品は何かとネタバレに遭遇しやすいから、早いうちに読んでおいた方がいいと思うわ」

「そういうことなら読んでみようと思います。ちょっと待っててください、買ってくるので」

「必ずしも買わなくても、別に学校の図書館で借りればいいと思うのだけれど」

「先輩に勧めてもらった初めての本なので、せっかくなら買っておきたいんです。全部買うわけにはいかないですけど、『初めて』って特別ですし、文庫本だとそんな高くないですし」

「まあ、分かっているなら問題ないけれど」


 前回の先輩と同じように、レジに持って行って支払いをする。2冊でだいたいライトノベル3冊分弱くらいだった。とはいえ、高校生の身で「安い」と言えるほど安くはないけど。


「先輩、買ってきました」

「そんなにすぐ決めて良かったの? 本にしては安いけれど、高校生が気軽に出せるほどの値段ではないでしょう?」

「お小遣いの使い道もそんなに多くないですし、これくらいなら大丈夫ですよ」


 時計を見ると、もう4時前だった。あまり遅くなるのも申し訳ないし、そろそろ帰った方がいい気がする。


「そろそろ帰ります? もう4時ですけど」

「そうね、そうしましょうか」






 前回の模擬デートと同じ道を歩いて、駅に向かう。しばらく歩いて駅の構内に入り、案内に従って進むと、僕が乗る路線の改札が見えてきた。2回目で慣れたからなのか、前回よりもずいぶん早く着いてしまった気がする。


「あの、久我くん」


 今日は楽しかったなあ、なんて回想していると、隣を歩いている先輩が口を開いた。


「どうかしました?」

「……その、久我くんは私のことを友達だと思っているって言ってくれたわよね」

「あ、そうです。先輩が僕のことをどう思ってるかは分かりませんけど」

「そのことなのだけれど、その……。私も、久我くんは仲のいい、気が合う後輩だと思っているわ」

「え、本当ですか? 良かったです」

「ところで、こういうのは友達と呼んでいいのかしら。友達というと、どうしても同学年というイメージがあるのだけれど」

「別に、友達だと認めるのに基準なんていらないと思いますけどね。たとえば氷川先輩と御園先輩は学年が1つ違いますけど、あれだけ仲がいいんだから十分友達って言っていいと思いますよ」

「……つまり、私たちは友達、ということで……いいのかしら」


 先輩は俯きながらそう言った。先輩の顔が少し赤くなっているように見えるけど、これは恥ずかしがっているという解釈でいいんだろうか。だとすると、普段あれだけ凛としている先輩が照れている様子を見て、可愛いとかギャップの破壊力がすごいとか思ってしまうのは、これは僕が悪いわけじゃないと思う。


「まあ、そういうことでいいと思います。友達、ですもんね」


 僕は先輩にそう返したけど、普段通りの返事ができていたか、正直自信がない。


「友達……。友達。ふふっ」


 そして、そのとき先輩が不意に見せたあどけない微笑みが、ほとんど残っていなかった僕の心のHPを完全に0にした。


「あ、あの、今日はありがとうございました、さようなら!」

「ええ、また来週」




 そのまま改札を通り、人通りの少ない壁際でしばらく佇む。しばらくして顔の赤みが引いてきた頃に、僕はようやく正常な思考を取り戻した。




 ……先輩と実習相手になる約束をしたときの僕は、正直「恋愛実習」なるものの凶悪さを見くびっていた。だから「気が合う先輩と事務的にやれてラッキー」程度にしか思っていなかったのだが、今思えばとんでもない話だ。


 確かに恋愛は面倒だとは思っていたけど、僕だって思春期の男子高校生でしかなくて。気が合って一緒に過ごすのが楽しい先輩と、「ふり」とはいえカップルのロールプレイングをするんだから、別に恋愛感情がなくても、どうしても意識してしまう。あと先輩がときどき可愛いのが悪い。



 でもまあ、今回は1回目で不意打ちだったから、仕方ないかもしれない。実際、待ち合わせで挙動不審になって以降は先輩と普通に話せたし。だったら、次は完全に平常心でやれる、はず。




 いずれにせよ、先輩を意識してはいけない模擬カップル生活、始まったばかりの時点で前途多難です。

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