23 - 最後の戦い
「保科先生、頼むから芽衣咲を返してくれ」
玲央は春香と天を自らのうしろに立たせて保科との交渉を試みる。
希空と帆音は真っ先に尻尾を巻いて逃げだした。
話をするのならば、天の方が向いているのだろうが、怪我をさせないように身体を張るのは大柄な玲央の役目だと自覚している。
「保科先生! 何を考えてるんですか! こんなことやめてください!」
廊下から室内を覗く男性教師が保科に説得を試みる。
生徒たちが騒ぎを聞き付けて廊下に集まりはじめた。
「駄目よ。あなたたちが悪いの。もう、私も佐藤先生も終わり。このまま何もせずに大人しく捕まるだけなんてごめんよ」
保科の言葉に反応して、芽衣咲を押さえる男の腕にさらに力が入る。
芽衣咲は首に回された腕の力に苦しそうな声をあげた。
「わかった、俺たちは何もしないから。芽衣咲を傷付けないでくれ」
玲央は両手を挙げて降参の意を示す。
「佐藤先生、まさか彩華を裏切ってたなんて」
春香が、肩を押さえ床に座っている佐藤を見る。
保健室でよく話をしていた彩華の悩みの原因を知っていながら、彼女は何もしなかった。
これは、彼女に対する裏切りだ。
「私は弱かったの。関口さんの苦しみを知っていながら、何もできなかった」
佐藤の様子から、不正の内容を知っていたことは事実だろうが、彼女自身も葛藤があったことが伺える。
「清水さんと岸さんを襲ったのは、この佐藤先生が仕向けたことよ」
「そんな・・・」
春香の心はすでに壊れかけていた。
信頼できると思っていた周囲の大人はことごとく裏切り者だった。
「佐藤ちゃん、なんでなんだよ。芽衣咲と春香は、偶然助けてくれたから良かったけど、ふたりに何かあったらどうするんだよ!」
佐藤を慕っている玲央の口調が荒い。それほどまでに、佐藤の裏切りは高校生の心を大きく抉った。
「ごめんなさい。保科先生が、調査をやめさせるために何をするかわからなかったから、私が止めないといけないと思って。それで、脅すだけのつもりだったの」
脅すだけとはいえ、若干高校二年生の少女が突然車両で拉致され、人気のない場所で大人の男たちに囲まれる。精神的に与えるダメージはあまりにも大きい。
「ごめんなさい、本当に、ごめんなさい」
佐藤は床に両手をついて土下座する。
「さあ、私の人生を狂わせたあなたたちに、その報いを受けてもらうわ」
「ふざけないで。彩華ちゃんの人生を狂わせたのはあんたたちでしょ」
人質である芽衣咲がそばにいる保科を睨み付けて言った。
大人しくしていることが最優先だが、どうしても身勝手な彼女の発言が許せなかった。
「この世の中はね、知らない方が幸せなことがたくさんあるの。あの娘はそれを知って、公表しようとした。そして、弱い力は潰されるの。それが社会よ。私は教育をする立場なの」
自らの悪事を棚に上げて、正当化された暴挙を執行することがこの世の理であるならば、そんな世界なんて壊れてしまえば良い。
芽衣咲は男に力の抵抗を試みるが、まったく歯が立たなかった。
そのとき、閉められた扉がノックされた。
突然のことで皆が扉を見て黙る。
ゆっくりと開けられた扉から、ひとりの男性が姿を現した。それは、この状況でもっとも信頼がおける人物だった。
斗真は美術室に数歩足を踏み入れて、芽衣咲を見て頷く。
これだけで、芽衣咲だけでなく、春香たちも安心できた。
彼らはこれまで何度も危険を救ってくれ、調査が前に進むきっかけを与えてくれた。
「保科さん、もうすぐ警察が来ます。逃げることは不可能です。清水さんをお返しいただけませんか? 彼女に少しでも傷が付けば、さらに罪は重くなりますよ」
「もう手遅れよ。この子たちが余計な真似をしなければ、こうはならなかった」
「わかりました。少しお話をしましょうか」
斗真はゆっくりと歩きながら、保科と男を見て話しかける。
「もし、あなたたちが清水さんに危害を加えたら、場合によっては殺人未遂が適用されます。口封じのために生徒を殺そうとした、という見方が可能だからです。司法はときに世論の影響を受ける。正義のために追い詰められ、命を絶とうとした友人を救うために調査をした生徒を口封じのために殺害しようとした教師。この件が世間に知られたら、あなたたちは大きく反感を買うことになる。つまり、世論は完全にあなたたちを悪として捉えるでしょう」
斗真の言葉に対して、保科の顔は困惑を浮かべ、男は恐怖を感じているようだ。
斗真はさらにゆっくり移動しながら話を続ける。
「仮に殺人未遂罪が成立した場合、懲役刑は免れない。そのとき、あなたたちの人生は完全に終わります。欲に目が眩むことは誰にだってある。だが、その欲のために暴走して今後の人生を棒に振ることは愚かだとは思いませんか? 今ならまだ、考えを変えることも可能ですよ」
斗真の淡々とした口調に、その場の空気は乾いていく。
天は、斗真の行動に何か意味があることを察していた。周囲をよく観察し、彼が脳内に描く突破口を探す。
「ここで清水さんたちを殺し、殺人罪になった場合、あなたたちは間違いなく極刑に処されます。もし、今降参すれば・・・」
斗真はその先の言葉は言わなかった。
なぜなら、すでに突破口は開かれたから。
開いている窓から手が伸びてきて、男のナイフを持つ腕を掴んで窓枠に叩きつけると、ナイフは音を立てて床に落ちた。
その隙を逃さずに玲央が男に身体ごとぶつかり、天が芽衣咲の手を引いて救出に成功する。
窓から圭が飛び込んで、男と対峙した。
窓の外は地面から数メートルの高さがあり、狭い足場があるだけだ。圭は相手を油断させるために、外から美術室への侵入を試みた。
あとは、斗真が犯人を窓際に追い込むのを待つのみだった。
男はナイフを拾って圭に威嚇するが、素人の攻撃など脅威ではない。
圭は突き出されたナイフを簡単に避け、男の腕を捻って壁に押さえ付けた。
そのまま関節を決められた男は、呻き声をあげて抵抗するが、圭は何事もないかのようにさらに力を強めて男の肩関節を外してしまった。
呻き声は悲鳴に変わり、男は床に倒れ込む。
「あ、悪い。力入れすぎた」
芽衣咲たちが固まっている姿を見て、保科は床に落ちたナイフを拾い、勢いのまま彼女たちに向かう。
「下がれ!」
玲央が他の三人を後方に突き飛ばして、両手を広げて保科の前に立ちはだかった。
その鋒が彼に届く直前に、凛が保科の手首を蹴り上げた。
「この子たちに手出しはさせない」
凛は圭と同じように保科の腕を捻って床に押さえつけたが、それでもなお、諦めがつかない保科は金切り声をあげて暴れる。
山本が彼女の両手に手錠をかけると、ようやくその動きは止まった。
「さすが元FBI捜査官ね」
「探偵もなかなかやるな」
凛と圭がお互いを称え合う。
芽衣咲はその会話をはっきりと聞いた。
FBIは優秀な人材だけが所属できる組織だ。元刑事であることは聞いていたが、無職である圭と交際している麻衣の気持ちがわからなかった。
過去に様々なことがあったようだが、圭はとても優秀な人物なのかもしれない。
外からパトカーのサイレンが聞こえ、捜査車両が次々と敷地に入ってくる。
「山本さん、手柄だな」
圭は大人しく男のことを山本に預け、凛と一緒に教室を出ようとする。
一般人が犯人を逮捕したということになれば、いろいろ面倒なことになりそうだ。
山本がひとりで逮捕したことにすれば、面倒ごとに巻き込まれず、かつ山本の手柄にすることができる。
「また連絡します」
斗真は山本に頭を下げ、圭たちの背中を追う。
「ありがとうございました!」
玲央の大声が背中に届き、圭たちは振り返らずに手を挙げて教室を飛び出した。
最後の戦いが、幕を閉じた。
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