2 - 高い壁
模試がある日曜日は部活動がない。
とはいえ、むしろ練習がしたいほどバスケットボールをするのが好きな生徒にとっては、ありがた迷惑な心遣いだった。
この高校が進学校であるため、仕方がないと言われれば返す言葉はない。
明秀大学附属高校二年生の
彼らはバスケットボール部で、模試のために練習がない日は決まってこの場所に来て練習をしてから帰る。いや、練習がある日でさえ足りないと思ったら、ここでバスケをしてから帰るようにしている。
勉強との両立は大変だが、自らが選んだ道だ。文武両道であることが、両親から科された部活動に打ち込むための最低条件だった。
「ワンオンワンやるか?」
「まあ、俺じゃ玲央の相手にならないけど」
「そんなことねえって」
ふたりは制服を脱いで、動きやすい服装に着替える。
この制服はかなり高価なものらしく、絶対に破らないようにと親から言い聞かせられていた。
玲央は一年生の頃からバスケットボール部のスタメンだった。身長は一八五センチあり、高校生の中では体格と身体能力に優れている。爽やかなイケメンで、女子からの人気が高い。
性格は楽天的で、大抵のことはなんとかなると思っており、加えてなんとかしてしまうほどの才能を持っている。
成績は残念ながら下位争いをしており、本人は努力しているが、そのベクトルは大きくバスケットボールの方向に向いている。
天は玲央と同じくバスケットボール部だが、常に控えの選手だった。二年生になって、ようやくベンチ入りすることができるようになったが、まだ試合に出たことはない。
玲央と同じく努力家で、どんなことでも器用にこなす。何より、秀才が集まるこの高校で、部活動と両立しながら常に成績は学年上位。
性格は真面目で優しく、天という名前のイメージ通りに顔つきは中性的。メイクをすれば女性に間違われるかもしれない。それも、かなりの美人に化けられそうだ。
身長は一七三センチ、成長期の最中である高校生にしては高い方だが、玲央と仲が良く、常に一緒に行動していることで比較されて、身体は小さいという印象を持たれやすい。
ふたりは昨年から同じクラスで、二年生に進級してもその関係は続いたまま同じクラスになった。
「じゃ、始めるか」
玲央は天にボールを渡すと、ディフェンスにつく。
スリーポイントラインの外から天がドライブで仕掛け、ヘジテーションとフェイントを混ぜて玲央を振り切ろうとするが、天性の運動能力に敵わず、隙を狙ったジャンプシュートは簡単に叩き落とされる。
「次は俺の番な」
「はあ、勝ち目ないよ」
「まあまあ、練習しねえと上手くならねえぞ」
「それは、わかってるけど」
玲央のオフェンスが開始する。
フェイントも何もなく、急加速でドライブを仕掛ける玲央のスピードについていけず、天は玲央がレイアップする背中をただ見ているだけだった。
「あー、駄目だ。ワンオンワンは辛い」
「そうか? ならシュート練習でもするか?」
玲央は身体能力が高く、体勢を崩していても型にはまらないシュートを打つことができるが、なぜかしっかりとしたフォームで放つシュートはよく外す。
一方で、身体能力に劣る天はコートを俯瞰して状況を読み、パスを通す能力に長けている。問題は、ボールハンドリングの技術が高くないため、脳内で計算した通りの動きができないことだ。
ジャンプシュートのフォームはコーチに綺麗だと称賛されるものの、試合になればフリーでシュートが打てることはまずないと言っていい。
正反対のふたりはなぜか意気投合し、授業の関係で教室を移動するときも、部活動に向かうときも、練習の最中も、放課後の行動も常に共にしている。
玲央がプレッシャーをかけつつ、天がジャンプシュートを打つ練習をしていると、男性がコートにやってきた。
ジャージパンツにパーカーを着て、スニーカーを履いただけのシンプルな服装だが、スタイルが良いモデルのようなイケメンだ。
コートの反対側で、その男性はひとりバスケの練習を始めた。
「おい、天。見ろよ」
「ん?」
天は玲央に声をかけられて、反対側のリング下でバスケットボールを自在に操る男性を見た。
「すげえな」
「プロかもしれないね」
「まじかよ。声かけてみるか?」
玲央は思い付いたことをすぐに行動に移す。
「あ、玲央!」
練習をしている人の邪魔をするのは申し訳ない。天は止めようとしたが、玲央はすでにコートの反対側まで走っていた。
「あの、すみません!」
男性は緩やかにカールしたおしゃれな髪型をしており、突然声をかけてきた玲央を見る。やはり、近付いても美男だ。
「練習の邪魔してすみません。すごく上手なんで、プロの方かと思って」
「プロじゃない。ただの趣味だ」
ただの趣味というにはレベルが高すぎる。バスケ歴は玲央や天の比じゃないだろうが、その容姿はまだ二〇代に見えた。
「俺、三浦玲央といいます。で、こっちが瀧本天。俺たち明秀大附属でバスケ部に入ってて、良かったらバスケ教えてもらえませんか?」
「玲央。邪魔になるからやめろって」
目を輝かせる玲央と、その隣で申し訳なさそうに頭を下げる天のふたりを見て、男性は「わかった」と答える。
「え、いいんですか?」
天は断られるものだと思っていたが、男性がそう言ってくれることを心のどこかで祈っていた。
これだけの才能がある人に教われば、少しでも上達するのではないかと思ったからだ。
「じゃあ、今の実力を見せてくれ」
男性は自らが持ってきたボールをゴールの裏側に置いて、ディフェンスにつく。ひとりずつ攻めてこいということだろう。
「俺からいきます」
玲央がボールを男性にワンバウンドで渡す。
ボールを受け取った男性は「ふたり同時でいい」と天にボールを返した。
「ふたりで、ですか?」
「ああ」
悪夢でも見ているようだった。
玲央と天がオフェンスに回れば、男性は凄まじいスピードでシュート体勢に入る玲央と天と距離を詰め、すべてのシュートがリングに弾かれるか、そもそもリングにすら当たらない。
ディフェンスをすれば、男性は華麗なハンドリングでふたりの脚を止め、ドライブで抜き去って簡単にレイアップシュートを決める。
ふたりがどれだけコースを絞っても、男性の技術が上回った。中でも驚かされたのは、男性のプレイスタイルは玲央に近い型にはまらないものだったが、玲央以上に予測ができない動きを見せる。
スポーツは能力が高いほど基礎に忠実だと言われるが、男性の動きはまるでバスケットボールの技術を何も教わらずに我流で編み出したようなものであった。
男性は日本人としては高身長であるが、玲央よりは明らかに低い。そのようなことがハンデにならないほどの技術と身体能力で、玲央の身体能力ですらまったく歯が立たない。
男性の無尽蔵なスタミナに圧倒され、玲央と天は地面に仰向けに倒れ、空気中の酸素を貪るように大きく深呼吸をし、なんとか呼吸を整えようとした。
「大丈夫か?」
男性はふたりが仰向けで死にかけている顔のそばに、自動販売機で買ってきたスポーツドリンクを置く。
「あ・・・・ありがとう・・・ございます」
天はかろうじて身体を起こし、ペットボトルのキャップを開けて中身を口に流し込むと、身体が水分を貪るように、すぐに半分がなくなってしまった。
玲央も同じようにドリンクを勢いよく飲んでいく。
落ち着いたふたりはコートサイドのベンチに腰掛けた。
男性はあれだけ動き回っていたはずだが、ふたりが呼吸を整えるまでの時間を練習に費やす。
きっとあれだけストイックでなければ、このレベルに到達しないのだろう。
玲央と天が一息ついたところで、男性が隣のベンチに座った。
「もう大丈夫か?」
「はい、練習の邪魔した上に、ドリンクまで買ってもらってすみません」
天は律儀にベンチから立ち上がって頭を下げる。それに倣って、玲央も同じ行動をした。礼儀に関しては天から学ぶところが多い。
「いいさ。俺もひとりやってると飽きるからな」
「あの、お名前を伺ってもいいですか?」
圧倒的な才能を見せつけられたことで、玲央の男性に対する態度は学校の教師に対するものよりもしっかりしている。
「
圭は何かを思い出すように陽が沈んだオレンジの空を見上げる。
「アメリカって本場じゃないっすか!」
「高校生の頃は良かったんだがな、やはりその先のプロを目指すのは俺には無理だった」
日本人がアメリカでプロになることは並大抵の才能と努力では難しい。現在、実際に活躍する日本人がいるが、本当に一握りの逸材のみが辿り着く場所だ。
「あの、良かったら、俺を弟子にしてくれませんか? 最上さんのプレイスタイル、本当に憧れます! お願いします!」
「断る」
玲央の懇願はあっさりと却下された。
「人に教えられる自信がない。だが、一緒に練習ならできる」
「それでいいです! 是非!」
玲央は圭の連絡先を聞き、天もお互いに連絡先の交換をした。
「さて、そろそろ帰るかな。玲央と天も早く帰れよ。学生なら勉強もしないとな」
体格は大人でも、まだまだ成熟していない子供だ。遅くまで出歩いて事件にでも巻き込まれることがあれば家族を悲しませることになる。
「また、お願いします!」
「お疲れ様でした!」
玲央と天は先輩やコーチにしている挨拶以上に声を張る。
「日本の部活はこんな感じなのか」と、圭は笑ってコートを去っていった。
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