第20話 宣言と予感

「誕生日に彼女を家に呼びたい」

 バレンタインの夜、僕は家に帰るなり、そう家族に宣言した。


 その宣言は、どう家族に届いたのだろう。

 父は新聞を読んでいて、顔が見えなかった。

 母はキッチンに立ち、僕に背を向けていた。

 学人はスマホをいじっていて、表情が読み取れなかった。

 別にみんながどういう顔をしていてもよかった。

 僕は「みゆを家に呼びたい」という自分の思いを、ちゃんと家族に伝えたかっただけなのだから。


 父が静寂を破る。

 新聞から少しだけ顔を上げ、矢継ぎ早に質問をした。

「その人は何歳なんだ。

 どこで出会ったんだ。

 何時に来るんだ」

「十七歳。

 学校……、あっ今の通信制の学校で出逢った。

 来るのは夕方になるかな」

 僕はそう答えた。

 以前なら聞かれなくても、アルビノの女の子ということをいったと思う。

 でもそれをいう必要がないと思った。

 いわなくちゃいけないこととは思わなかった。


「じゃあ、夕飯を一緒に食べよう。

 それから、あまり遅くにならないようにな。

 十七歳じゃ、ご両親も心配するだろうから」

「うん、わかった。

 ありがとう」

 その感謝の言葉は、強い思いとともに、父だけじゃなく、振り向かない母、興味なさそうにしている学人にも、懸命に伝えたつもりだった。


 思えば僕は、自分からどうしたいという思いを伝えたことはなかった。

 いや、その思いすらなかったんだと思う。

 英会話は父、ピアノは母、スケートボードは学人がすすめてくれた。

 中学校受験も周囲が望んだものであって、僕からのものではなかった。

 恋愛だって、栞から告白してきてくれた。

 だから、自分からこうしたいといったのは、高校を辞めたいといった一年前と、「彼女を家に呼びたい」といった今日の二回だけだった。

 そう思うと、いかに僕が受動的だったか、そして一年前がいかに真っ暗闇の中にいたかを考えさせられた。

 今のこの状態にしてくれたみゆには、感謝してもしきれないと思った。


 今日は真冬という言葉がぴったりくるような、乾燥した冷たい風が吹く一日だった。

 昼間にハリネズミでみゆと待ち合わせをし、僕は手作りチョコをもらった。

 お店の人に隠れて、チョコをふたりで一緒に食べる。

「おとなの味付けにしました!」

 どんっという効果音がつきそうな感じで、胸を張って渡してくれた手作りのトリュフチョコは確かにほろ苦く、この日初めて頼んだハリネズミのカフェ・オ・レ(甘さは控えめだった)にとてもよくあった。 

 そしてそのあと、音楽の話になった。

「う〜んと、乃木坂でしょ、あいみょんでしょ、KING GNUでしょ。

 あとワンオク、DISH//、ベビーメタルとか、友達が聞くような歌は一通り聞いているよ。

 音楽に関しては雑食だから」

 そういってみゆは、爪をたててカプっと噛むジェスチャーをする。

 いちいち可愛いなと思った。

「でも、一番好きなのはこの歌かな。

 お母さんが大好きで、だんだんと私も好きになったんだ」

 それは、この世に僕らが生まれた頃に、みゆのお母さんがよく聞いていたという歌だった。

 その歌はこんな出だしで始まる。


「I am GOD'S CHILD(私は神の子供)


 この腐敗した世界に堕とされた


 How do I live on such a field?(こんな場所でどうやって生きろというの?)」


 僕はこの六小節に、今までにない衝撃を受けた。

 そしてこの歌は、最後もこの言葉で終わる。


「How do I live on such a field?(こんな場所でどうやって生きろというの?)」


 それはまるで、みゆの気持ちを表しているように思えた。

 この歌の主人公は、孤独や絶望を感じている。

 この世に希望を持てないでいる。

 とても切なく哀しい歌。

 ただ、こうも歌っている。

 

「貴方なら救い出して


 私を静寂から」


 と唯一信じられる、または信じたい人のことを歌っている。

 みゆにとっての、その「貴方」に僕はなりたかった。


 その夜、僕はギターをはじめようと思いついた。

 理由は、みゆの好きな歌を僕の伴奏でみゆに歌ってほしい、そしてそれを僕だけが聞きたいと強く思ったから。

 ピアノで伴奏することはできるであろう。

 でも、みゆと出逢ってから(スポンジが腐ってしまってから)はじめたもののほうがいい気がしていた。

 学人にギターを借りようと思った。

 学人にギターを教えてもらうと思った。

 そういうことは今までなかったし、これからもないと思っていた。

 そのことを学人にお願いしようとするとき、僕に屈辱感は無かった。

 数年振り(もっとはるか以前に感じられるが)に学人の部屋の扉をノックする。

 当然だが緊張した。

 でも、目的がはっきりしているからか、躊躇はしない。

 ゆっくりとドアが開く。

 いつの間にか、学人は僕より背が高くなっていた。

 そんなことにも気づけないほど、僕は家族を見つめることができていなかったのだ。

 いや、家族から逃げていたんだ。


「ギターを教えてほしい」

 そういう僕に、少しの沈黙の後、学人は部屋の奥からギターを持ってきて、僕の胸に乱暴に押しつけた。

 そして

「俺にはスケートボードより簡単だったよ」

 と一言だけいった。

 そのときの学人の目は、以前のように慕ってくれる目でも、今朝までのような忌み嫌う目でもなかった。

 複雑だが、なんだか喜んでいるように感じられる目だった。


 学人は、僕と違って教えるのが上手だった。

 余計な会話は交わさず、なんでこの歌なのかも聞かない。

 ただ簡単な説明と見本を見せて、わかりやすく教えてくれた。

 ギターは思ったよりも難しかった。

 指が痛くなるし、何度もつりそうになる。

 特にFとBm7というコードができない。

 それでも諦めず、練習をする。

 みゆに喜んでもらえるかどうかは関係なかった。

 純粋に自分のためだった。

 十七歳の誕生日に、初めてみゆを家に呼ぶ。

 そして、僕の伴奏でみゆに歌ってもらう。

 今までなら、五度目までの中途半端なものと考えていたであろう十七歳の誕生日が、特別なものになる予感がした。

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