第16話 指摘

 高等部一年のクリスマス・イブの夜、僕は一人で部屋にいた。


 それは生まれて初めて一人で過ごすクリスマス・イブだった。

 小さい頃からクリスマスは、たくさんの人たちに囲まれて過ごした。

 外国籍の友人が多かった父にとってクリスマスは家族や大切な仲間と過ごす日であり、ほぼ毎年どこかに集まってその日をみんなで過ごした。

 母の父に対するの見栄と、父の友人との出会いを求める母の友人との思惑が合致して、父の関係者と同じぐらい母方の関係者も参加していたから、結構な規模で毎回賑やかに催された。

 小さな頃、クリスマスは僕と学人にとってプレゼントをたくさんもらえる日という認識で、サンタクロースの出番はなかった。

 様々な国の様々なもの、日本では手に入りにくいもの、子供には不釣り合いな高価なものなど、毎年いくつものプレゼントをもらった。

 それが当たり前だと思っていた。


 去年は栞と二人きりで過ごした。

 クリスマスモードの遊園地に遊びに行き、観覧車に乗っているとき僕らは初めてキスをした。

「半年以上付き合ってもしてくれないから、栞からすることになっちゃったじゃん……」

 観覧車がちょうどてっぺんに差し掛かったとき、向かい合わせで座っていた栞が僕の左隣に移り、キスをしてくれたのだった。


 今年のクリスマスの一週間前、栞との関係を僕は終わらせた。

 栞は間違いなく綺麗だったから、もう一ヶ月早く別れてあげられていれば、クリスマス・イブを(少なくとも今の『できない僕』より)素敵な彼氏と過ごせたんだろうな。

 お正月も一人かな、でもバレンタインまでにはそういう人は作れているんだろうな。

 そんなことを考えているとスマホが鳴った。

 栞からだ。

 復縁を希望する話か、それとも僕を罵倒する話か、そのどちらかはわからなかったけど、突然別れを告げた僕には栞の話を聞く義務があると思ったし、栞にはその権利があると思った。


「もしもし」

「てっちゃん、久しぶり……。

 って……。

 一週間ぶりか……」

 栞は僕が知っている今までの声の中で、一番暗く小さな声で話しはじめる。

「今から少し会えない?

 いつものカフェで。

 じゃあ……、待っているね」

 栞は僕の答えを待つことなく通話を切った。

 気が重かったけど、行くことにした。


 待っているといっていたけど、シカに着くとまだ栞は来ていなかった。

 小太りなオーナーにいつも通りカフェ・オ・レを頼んでいるとき、栞はやってきた。

「お待たせ。

 呼び出したのに、ごめんね」

 そういってしおらしく謝る栞は、ばっちりとメイクをしている。

 そのメイクのせいで遅れたんだろうなと僕は想像した。

 栞はベージュのケーブルニットワンピースの上に白のゆるいボアコートを羽織り、足元には黒のロングブーツ、そして手にはファー付きの赤い手袋をしていた。

 ビンタの一発ぐらいは受けてもいいと思っていたけど、できれば素手ではなく、その手袋をしたままがいいなと思った。


 コートを丸めて脇に置き、栞がソファに座る。

「急に呼び出して……。

 ごめんね。

 どうしても伝えたいことがあって……」

 厨房から、ここを栞の特等席にした大人ふたりの視線を、はっきりと感じる。

 小太りなオーナーが栞にブラックコーヒーを、僕にカフェ・オ・レを持ってくる。

 栞はそれを気にもとめずに、話しはじめる。

「栞はね……。

 てっちゃんのこと、ちゃんと好きだったんだよ」

 栞の顔から笑みの色が消える。

「最初は確かに良くない理由だったかもしれないけど……。

 すぐにちゃんと好きになった。

 てっちゃんはそう思ってくれてはいなかったみたいだけど……」

 僕は無言で次の言葉を待った。

「栞はずっとずっと、てっちゃんに、『目を見て好きっていって』って伝えていたよね。

 結局、叶わなかったけど……」

 栞は一度目線を下げ、すぐまた僕に戻す。

「それをてっちゃんができないのは、気づいていないかもしれないけど…。

 恥ずかしいからじゃないんだよ……」

 僕はまだ無言だ。

「ずっとてっちゃんは……。

 自分と向き合うことを避けていたんだよ。

 中一で出会ってから……。

 付き合う前からいつも思っていた。

 この人は自分に自信がないんだ。

 自分を知ることを避けているんだって。

 それを私はずっと変えたい。

 ずっと私が変えてあげたいって思っていた」

 栞の言葉が、スポンジが腐っているせいか、僕の頭にうまく入ってこなかった。

「ずっと」がやけに多いなって思っていた。

「このままじゃ良くないよ。

 ダメになっちゃうよ。

 ちゃんと全部の自分を見つめなきゃ。

 そうしないと大変なことになってしまう」

 栞の顔に赤みがおびる。

「だから……。

 自分でできなかったら、他の人。

 次の彼女にでもいいから手伝ってもらって、全部の自分を見つめて。

 それはつらいことかもしれないけど、きっと必要なことなんだよ。

 てっちゃんがちゃんと生きていく上で、絶対に必要なこと。

 そうしないと……。

 ずっとずっとつらいままだよ……」

 栞は諭すような口調になっていた。

「……」

「急に別れられちゃったから、この思いを伝えられなかった。

 だから……。

 これだけはちゃんと伝えたくて……」

 栞は途中から泣いていた。

 それはスポンジの腐った僕にでもわかる、僕のことを思っての涙だ。

「じゃあね……。

 ちゃんと……。

 お願いだから、全部の自分を見つめるんだよ。

 てっちゃん、大好きだったよ……」

 泣き笑いの顔になっても、アイメイクが崩れて少しパンダみたいになっても、綺麗と思える栞は、やはり美人だと思った。

 そう思った瞬間、僕の中のスポンジが押しつぶされ、中の水が溢れ出したのを感じた。


 栞がお店を出るまで、結局、僕は一言もしゃべらなかった。

 栞の話を聞いているとき、僕は一体どんな顔をしていたんだろう。

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