第15話 由来

 クリスマス・イブの夜、僕は逢川さんといつもの公園にいた。


 クリスマス・イブぐらいイルミネーションを観に行こうと、初めて僕から勇気を出して誘ったけど、逢川さんに

「ううん、あの公園がいいんです」

と気持ちがいいくらい、はっきりと断られた。

 今日の逢川さんはロリータファッションではなかった、というかロリータファッションだったのは、あの夏の暑い日と、それ以来の遠出となった2か月前の遊園地のときだけだった。

 遊園地ではハロウィンのイベントが開催されていたので、その姿をしていても海水浴のときと違って、まったく違和感がなかった。

 それどころか、コスプレイヤーと勘違いされ(無理もないが……)一緒に写真を撮ってほしい、ポーズをとって写真を撮らせてほしいと周りを囲まれてしまうほどであった。


 今日の逢川さんは白いダッフルコートに身を包まれ、大きな黒縁の丸メガネに赤のマフラーと手袋、足元には白のジャックパーセルという格好だった。

 ダッフルコートの黒い留め具がわりと大きくて、

「雪だるまみたい」

 と思わずいってしまった。

 逢川さんは

「アルビノジョークがいえるようになりましたね」

 とファーフードをかぶり、ふくれる。

 その夜は冷え込みが厳しくて、僕らはホットのコーヒーとミルクティーを自販機で買って温まった。

 相変わらず美味しいとは思えなかったが、逢川さんの前ではブラックを飲むようにしていた。

 何かを変えてしまうと、この関係性も変わってしまうような気がしていたから。


 逢川さんはいたずらな笑顔で突然、

「今日は何の日でしょう」

 とクイズを出してきた。

 僕は僕なりに、必死に面白い答えを返そうと思った。

 でも、全然思い浮かばず、

「……。

 う〜んと……。

 誕生日……。

 誕生日でしょ!」

 と、自分でも面白くないと思う答えをいってしまった。

「……。

 いいましたっけ……」

「いや……。

 うん?

 あれっ……。

 もしかして…。

 ……当たっちゃった?」

 逢川さんが大袈裟にため息をつく。

「ふぅ〜……。

 はい……。

 当たりです……。

 つまんないなぁ。

 普通、こういうの当てちゃダメなんですよ。

 そういうとこありますよ、相澤くんは……」

 どういうところか自分ではわからなかった。

「びっくりさせてから話そうと思ったのに……」

「なんか、ごめん……」

 という僕を気にせず、逢川さんは話をはじめる。

「私は今日、クリスマス・イブ生まれなんです。

 出産の時、かなり時間がかかってお母さんを苦しめたそうです。

 お昼前から分娩室に入ったけど私は全然出てこなくて、深夜になってしまったみたい」

 そこで逢川さんが夜空を見上げた。

 僕もつられて夜空を見る。

 夜空なんてちゃんと見るのは、いや空を見る行為自体が、本当に久しぶりな気がした。

 少なくともスポンジが腐ってから初めてだと思った。

「苦しくて苦しくて、この苦しさからいつ解放されるのだろうとお母さんが窓の外を見たら、ひとひらの雪が降ってきたそうです。

 そして、その雪を待っていたかのように、そこからはすんなり出産が終わった。

 お母さんが分娩室を出たときには、外は一面雪景色だったそうです。

 そんななか、雪のように白い子が生まれた。

 だから、

『これは運命だ!

 この名前しかない!』

 とお父さんがテンション高く、十二時間も頑張り続けたお母さんになにも相談せず、名づけたみたい。

 そのお父さんはもういないんですけど」

 逢川さんの視線が、夜空からゆっくりと地面に落ちてくる。

 僕は視線を地面には落とさず、逢川さんにむける。

「もともと好きじゃなかった名前がその由来を聞いたとき、もっともっと嫌いになりました」

 お父さんがいない理由を聞きたかったけど、聞き流したふりをした。

「ユキっていう名前が?」

「ううん……。

 違う。

 ミユキ。

 深々と降る雪の日に生まれたから、深い雪と書いて深雪なんです。

 知らなかった?」

 今度は視線を僕に向け、逢川さんは驚きの表情になった。

「……」

 今まで逢川さんとしか呼んだことがなかったし、相沢さんがユキちゃんといつも呼んでいたから、なんの疑問もなくユキだと思っていた。

「……。

 相澤くんはなんでテツヒトなの?」

「何で知っているの?」

「いや。

 普通に、プリントとかに書いてありますから」

 少し呆れた様子でいわれる。

「そうか……」

 僕はプリントを配られても、ちゃんと見ることはしなかったから、気づけなかったのかもしれない。

「父が学校の先生で(教授というのはなんか嫌で、でも嘘はつきたくなくて)哲学を教えていて、それで哲学の哲に人間の人でテツヒト。

 僕も好きじゃない」

「じゃあ、名前を変えましょう!」

 頬を桜色に染め、逢川さんはいった。


「本当の名前を変えるには、裁判所に行くとかいろいろ大変みたいだけど、ふたりの間だけの名前ならいいですよね」

 僕は気恥ずかしさもあったが、その提案がとても嬉しかった。

「相澤くんは今までなんて呼ばれていたの?

 呼ばれたことがない名前がいいな。

 私たちだけの呼び名って感じがするから」

「う〜ん……。

 アイザワとかアイちゃんとか。

 あとはテッちゃんとかかな」

「普通……」

 普通ってなんだよと思ったけど、口には出さなかった。

「私は、アイカワとかアイちゃんとか、ユキちゃんとかかな」

 普通……、って思ったけど、僕はこれも口に出さない。

「じゃあ、アイカワとアイザワだと一文字しか違わないし。

 アイちゃんは一緒だからだめ。

 私はユキがつく名前は嫌です。

 相澤くんは?」

「僕は……。

 何でもいいよ」

「何でもいいって。

 つまんないなぁ」

 逢川さんは少しあごを上げ、口をとがらす。

「ごめん、ごめん。

 でも逢川さんがつけてくれるのなら、何でもいいんだ」

 本当に何でもよかった、『へちま』でも『たわし』でも。

 ただ、『スポンジ』だけは絶対に嫌だった。

「じゃあ……。

『てつと』は?

 呼ばれたことありますか?」

「ない。

 ないけど……」

「ないけどって、この名前じゃ嫌ですか?」

「そうじゃない」

 少しも誤解してほしくなくて、急いでいった。

「ただ、何で『てつと』なのかなと思って」

 右手の人差し指を顔の横であげ、逢川さんがいう。

「テディベアの映画で『テッド』って知ってますか?

 あれからです。

 相澤くんはテディベアっぽいときがあるから」

 テディベアっぽいって?

 そう聞こうかと思ったけど、「そう思うから」で終わりそうだったから聞かなかった。

 僕は今まで、ぬいぐるみっぽいとかクマっぽいとかいわれたことは一度もなかった。

「じゃあ、『てつと』で決定します!

 次は私。

 何がいいと思います?

 ふたりの間だけの名前」

 僕はしばらく考えた。

 ふたりの間を、冷たくて温かい風が通った。

 そして、

「『みゆ』は?」

 と、いってみた。

 逢川さんはしばらく考える。

 僕はドキドキした、ここ最近で一番に。

 沈黙するふたりの間を、さっきと同じ風がもう一度通り抜ける。

「う〜ん……。

 ……。

 気に入った!

『みゆ』、採用!」

「ありがとうごさいます」

 僕はわざとらしく、丁寧に頭を下げた。

 でも、その行為は心からのものだった。

「では、『てつと』と『みゆ』で。

 でもちゃんづけは嫌だから、呼び捨てでお願いします」

 呼び捨てはと思ったが、とても距離が近い感じがして嬉しかった。

「じゃあ、僕のことも呼び捨てで。

 あと、前からいいたかったんだけど、敬語はやめてくれないかな?

 同い年なんだし。

 それに、名前は呼び捨てなのに、他がですます調だとおかしいと思う」

「私もそう思っていました。

 でも、やめどきがわからなくて……。

 じゃあ、今から『てつと』と『みゆ』。

 そして、敬語はなしで」

 その言葉の終わりとともに逢川さんは、いや、みゆは赤い手袋のままパフパフと拍手をした。

 僕も真似して、パチパチと手を叩いた。

「それではてつと、これからもよろしく頼むな」

 そういってポンポンと僕の肩を叩いた。

「あっ。

 それから」

 おもむろに、鞄から自分のと同じデザインの白いマフラーを出して、

「これと、新しい名前の『てつと』が、私からのクリスマスプレゼント」

 みゆは少し背伸びをし、僕にマフラーを巻いた。

「私の白い髪の毛が編み込んであるから、悪いことをしたら呪われるよ」

 トンボを捕まえるように、僕の目の前で指をくるくると回す。

 アルビノジョークなのかはわからなかったが、呪われてもいいと思った。

「てつとは、誕生日プレゼントを用意していないだろうから、誕生日プレゼントは新しい名前の『みゆ』でいいです。

 じゃあ。

 あと。

 はい」

 みゆは合わせた両掌を上に広げ、ちょうだいのポーズをした。

「てつとから、みゆへの、クリスマスプレゼント。

 くださいな」

 僕のクリスマスプレゼントはスノードームだった。

 あげるタイミングを測り損ねていたから、ちょうどいいといえばいいのだが、なんだか少し間抜けな気がした。


 プレゼントしたスノードームには、二体の雪だるまが入っていた。

 その雪だるまたちは、今日の僕らの格好にとてもよく似ていた。

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