第14話 最後(になるはずだった)の告白

 高等部一年の冬休み直前、僕らは栞が告白してくれたカフェにいた。


 カフェの名は「Le cafe du cerf(ル カフェ ドュ サーフ)」、本当は最後の「cerf」は「chef(シェフ)」にする予定だったんじゃないかと、ネットで意味を調べて思った。

 これでは「シェフの喫茶店」ではなく、「鹿の喫茶店」になってしまう。

 誰か指摘してくれなかったのだろうか、誰か途中で気づかなかったのだろうか。

 オーナーが間違えたのか、看板業者が間違えたのか、いずれにせよ間抜けな名前だなと思った。(このお店の呼称は、僕の中だけでシカになっていた)

 センスなく、いろいろなところに、いろいろな動物のぬいぐるみが置いてある。

 そしてその中に、おそらく考えもなしに鹿のものもあった。

 間抜けな僕らにはぴったりだと思った。

 もちろん栞は気づいておらず、僕もいわない。


 栞は持ち前のコミュニケーション能力の高さから、そこの小太りなオーナーと細長いシェフに気に入られ、僕らが一杯ずつ飲み物を頼むと、必ず余ったからとか、試作品だからとか、パフェやケーキをサービスしてくれた。

「太っちゃいますよ〜」

 という栞に大の大人ふたりは(古い例えだが、一番的確にいうと)メロメロだった。

 栞はマンゴーパフェのアイスを長いスプーンで口に持っていき、美味しいからなのか、大人ふたりの様子に満足しているからなのか、綺麗な顔を少し崩して笑った。

(やっぱり綺麗な顔だ……)

 今回は口には出さず、その言葉をこの店自慢の(オーナーはバリスタの資格を持っているらしい)カフェ・オ・レと一緒に流し込む。


 栞はふたつ目の貢ぎ物のケーキに、嬉々として手を伸ばしている。

「ここのスポンジは軽くて美味しいよね。

 軽いからってカロリーが低くなるわけじゃないんだろうけど」

 栞が何も考えずにいったであろう『スポンジ』という言葉を聞いて、ずっとしようとしていた告白をする気持ちを、今はっきりと持つことができた。


 栞は僕のスポンジが腐ってしまったことに気づいてから、明らかに態度が変わった。

 あんなに校内でもくっついてきていたのに、少し距離を取るようになり、今では付き合っていることを隠している感じすらした。

 ただ、弁当だけは毎週作り続けてくれていた。

 高等部に入ってから弁当作りは、母が月曜日から木曜日、栞が金曜日と二人で折り合いをつけてくれていた。

 母は栞を気に入ったらしく、栞がうちに来るようになってから、

「栞ちゃんは、次はいつ来るの?」

「栞ちゃんて本当に綺麗よね。

 ハーフなのかしら、今度聞いてみようっと」

「栞ちゃんが好きそうな焼き菓子をもらったんだけど、賞味期限が近いのよね」

 と栞が来るのを楽しみにし、連れて来いと催促することさえあった。

 そういう栞のコミュニケーション能力は老若男女問わず、ちょくちょく発揮された。

 それはどこでどう培われたかはわからないが、僕にはない(今やもう何もないが)もので、ときに感動すら覚えるほどであった。


 栞がケーキを食べ終えたのを見計らって、僕は告白をはじめる。

「栞、もう別れよう。

 栞もそうしたいと思ってるんだろ」

 僕が栞にそう伝えたとき、栞は右の口元にクリームをつけたまま、きょとんとした表情をした。

「まったく〜。

 唐突に何言っているの~?」

 唐突って、こんなことを告白するのに下話はしないだろうと僕は思った。

「……」

 無言の僕に、真顔で栞は

「なんで……。

 なんで?

 なんで!?」

 と同じ言葉を、三段階でボリュームを上げながらいった。

 その口元にはまだクリームがついている。

 栞に大きな声を出されても落ち着いていられたのは、そのクリームが目に入っていたからだろう。

「僕はもう学校での立場は強くないし、栞が僕と付き合っている意味はないだろ……」

 僕の話が終わるのを待たず、怒りの表情に変わりながら栞がいう。

「そういうふうに思っていたの?

 ずっとずっと、そうだったの!?」

「うん、そう思っていた」

 迷いなく即答する僕を見て、栞の表情が怒りから哀しみに変わっていく。

「いやだ。

 別れたくない……。

 いやだ……」

 栞は涙ぐんだ。

 その表情が何を表しているのか、僕には判断がつきづらかった。

 僕を『できる僕』に戻せなかったという思いからなのか、学校にいやすい立場でなくなるからなのか、あるいは相当可能性は低いが……。

 なんにせよ『できる僕』ではなくなり、スクールカーストの位置が下がりつつあった僕にはどうすることもできないことのような気がした。

 栞はクリームをつけたまま、たくさんの涙で頬を濡らし、声を絞り出す。

「わかった……。

 別れよう……。

 そんな気持ちで……。

 つきあっていてほしくない!」

 勢いよく立ち上がり、オーナーが僕らの特等席にしてくれていた一番奥のソファ席から、後ろを振り向くことなく栞がシカの外へ出ていく。

 栞が出ていって急に居心地が悪くなった。

 それはそうだ。

 この特等席は栞のためのものであって、僕のためのものではないのだから。

 僕は僕がするべきことをした気がした。

 そしてそれは、僕なりにつらいことだと感じた。

 もしかしたら、栞からいい出せない告白を僕からすることによって、栞の気持ちが楽になるのかなと思ったけど、そうはならなかったようだ。

「嬉」々としてケーキを食べ、僕の告白に「怒」り、そして「哀」しみ、これで気持ちが「楽」になってくれれば「喜怒哀楽」が完成したのに。

 そんなことを、本気で考えていた。


 栞が飛び出していった姿を、僕は必要以上に冷静に見送った。

 レジ前と厨房から駆け寄ってきた、小太りなオーナーと細長いシェフに

「どうしたの!?

 栞ちゃん、出て行っちゃったよ!」

「彼氏さん、追っかけなくていいの?」

 といわれる。

 栞の名前は憶えていて、僕の名前は「彼氏さん」なんだな。

「いいんです。

 ……いや、追っかけます」

 このままひとりでシカにはいづらいという考えが浮かび、外に出ることにした。

「じゃあ、お代はいいよ!」

 小太りなオーナーは素早く机の上に置いてあった伝票をとり、自分の名前と携帯の番号と思しき数字を書いて、僕に差し出した。

「それからこれ、お店と俺のスマホの番号。

 栞ちゃん、大丈夫だったら連絡して。

 心配だから」

 そこには090から始まる番号と、鹿野という名前が書かれていた。


 お店の名前も、栞の思いも、僕は勝手に勘違いしていたのかもしれない。

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