第13話 口に出さなくても伝わる思い

 それはニュースアプリで『災害級』というレッテルをはられた、猛烈に暑い夏の日のこと。

 

 夏休みに入り、その週から登校日がなくなってしまった。

 なくなってしまったという表現をすることになるとは、学校という名の雑居ビルに収監されにいく気持ちになっていた、ちょうど百日前の僕には想像すらつかなかった。

 今の僕の中での登校日は、家から後ろめたさを抱えながら逃げ出す日ではなく、逢川さんと会える待ち遠しい日に完全に入れ替わっていた。


 最近は暑さがひどかったから、公園でではなく、雑居ビル(僕らの間でこの学校は、いつからかこの呼称になっていた)から公園よりに少し歩いたカフェ「Le cafe de Herisson(ル・カフェ・ド・エリソン)」で過ごすことになっていた。

 名前はフランス語で「ハリネズミの喫茶店」という意味で、内装やショップカードなどにさりげなく、でもいちいちお洒落にハリネズミの置物やイラストがあった。(僕らの間でこの店は、いつからかハリネズミという呼称になっていた) 

 先週、ハリネズミを出たとき、突然逢川さんは

「海に行きませんか」

 と僕を誘ってくれた。

「うん、もちろん」

 来週も会えるという気持ちから、喜々として僕は即答した。

 逢川さんの住む団地のI棟で逢川さんを見送った後、海なんて去年の夏以来だなと、ふと栞のことを思った。


「曇ってほしい」

 そんな僕の強い願いを、やっとのことで梅雨をやりすごしたばかりの空が聞き入れてくれるはずもなく、当日は雲ひとつない快晴であった。

「NHKはどんなに晴れていてもいい天気とはいわない。

 雨が降ったほうがいい仕事や、雨を望む人もいるからね」

 僕はそう父にいわれたことを思い出した。

 今の僕もこの空を、決していい天気とは思わなかった。


 待ち合わせの駅のベンチに座り、逢川さんを待つ。

 僕に向かい、レースのついた小ぶりな日傘をさし、黒を基調としたロリータファッションの人が近づいてくる。

 それが逢川さんだった。

「おはようございます。

 お待たせしちゃいましたね。

 これを着るのに、すごく手間取ってしまいまして」

 驚いた僕を面白がるように、逢川さんはそれらしいポーズをとりながらいった。

「なんでゴスロリなの…?」

「これは、ゴスロリじゃなくて黒ロリなんです。

 ファッションに疎いなぁ、相澤くんは」

 そういった逢川さんは、さっきと違うそれらしいポーズをとった。

「ゴスロリと黒ロリは……。

 何が違うの?」

「主にメイクが違うのです。

 白を基調とした黒ロリのメイクに対し、ゴスロリはアイラインやリップの色を暗い色にしなくちゃなんです。

 だから肌が弱くてメイクがあまりできない私にとっては、黒ロリの方がしやすいのです」

 他にそれらしいポーズのバリエーションはなかったみたいで、目の横にピースをもっていきウインクするギャルっぽいポーズをした。

 そのポーズは去年の栞と全く同じものだった。

「じゃあ……。

 なんで黒ロリなの?」

「この間、テレビを見ていて思ったんです。

 黒ロリは日焼け防止に最強なんじゃないかって。

 だって、日傘でしょ、長袖でしょ、照り返しを防げる膨らんだスカートでしょ。

 色も全て紫外線を通しにくい黒。

 この白い肌の色だって、そういうメイクだと思ってもらえるし。

 ね、完璧でしょ」

「確かに……」

 暑そうだなと思うのと同時に、とてもよく似合っているなと思った。


 電車の中で逢川さんは、座るのに苦戦をしていた。

 広がったスカートのせいで、僕は少し離れて横に座った。

 どのくらいの距離で座っていいかわからなかったから、いいような悪いようなであった。

 周りの人たちは、今年も怪訝そうな顔で僕を見ている。

 僕は生来の汗かきのせいで、逢川さんはロリータファッションのせいで、ふたりして大汗をかきながら海に向かった。


 やっと着いた海水浴場の更衣室から出てきた逢川さんは、肌のあまり出ていないタイプの黒いビキニに、フードの付いた黄色いカーディガンタイプのラッシュガードとパレオ(意外にも黄色は紫外線カット効果が高いそうだ)、つばの広い麦わら帽子とサングラスという格好だった。

「全身ラッシュガードも考えたんですけど、ピタッとし過ぎて恥ずかしいし、何より海女さんみたいだなと思って」

「それはそれで見たかった」

 それはそれで可愛いんだろうなと思った。

 僕が持ってきたシンプルな柄のビーチマットと、海の家で借りたビーチパラソルで今年の陣地を決める。

 やはりというか、あまり人のいないところを選んだ。

「照りつける日差し、焼けるような砂浜、そして暑い潮風。

 これこそ、私の求めていたものです!

 一緒に来てくれて、ありがとうございます。

 実際にはサングラスをかけても日差しは見れないし、弱い肌のせいで砂浜で潮風にあたることもできないけれど、それはそれでしょうがない!」

 そういう逢川さんのアルビノジョークに、僕は自然に笑えるようになっていた。


 本当に二人とも一度も海に入らず、ビーチマットの上でスマホで流行りのプレイリストをかけて、ただただ話しをして過ごす。

 場所が変わっただけで、公園でもハリネズミでもビーチでも、僕らのすることは変わらなかった。

 毎週会っていても話すことはたくさんあったし、無言になってしまってもお互い苦しくない関係になっていた。

 会話の中でわかったことがある。

 逢川さんが海水浴にくるのは、生まれて初めてのことだということ。


 無言ではあるが穏やかな空気感の中で、ふたりともただただ地平線を見つめる。

 どのくらい見ていただろう、気がつくと逢川さんは僕の右横でうとうととしていた。

 はしゃいではいたけど、やはり疲れたんだろうなと思った。

 このままだと今年一番の強い日差しが僕らに覆いかぶさり、逢川さんがダメージを受けてしまう。

 そう思って自分の太ももにタオルを置いて枕にし、逢川さんに頭をのせてもらうことにした。

 上半身だけ起こした僕の体の影で、逢川さんの顔がうまい具合に隠れた。

 フードを被っているとはいえ、服を潜り抜けて紫外線は逢川さんの肌を攻撃してしまうだろうから、これでちょうどいい。

「しかし、よく寝ているなぁ」

 そう思った瞬間に強烈な突風が吹き、ビーチパラソルと逢川さんの帽子はかなり遠くまで飛んでいってしまった。

「あっ!」

 思わず大きな声を出したが、念願の海辺で気持ちよさそうに寝ている逢川さんを起こしてはいけないと思い、アニメキャラクターのように片手で自分の口を押さえる。


 時間がだいぶ経ち、弱まったとはいえ日差しはまだまだ強力で、僕の背中をじりじりと、そして着実に焼き続けた。

 それでも逢川さんを紫外線から守りたくて、今まで逢川さんができなかった海辺での昼寝から起こしたくなくて、その体勢のまま動くことができなかった。

 しばらくすると、痛みがピリピリというものに変わり、それが背中全体に広がってくる。

 その痛みはだんだんと強くなり、思わず体を少しだけ動かしてしまった。

 その振動で逢川さんを起こしてしまう。

「ごめん、起こしちゃったね」

 そういった僕の顔を見て、逢川さんはびっくりした。

「顔、真っ赤ですよ!

 日に当たり過ぎ!

 大丈夫ですか?」

 確かに暑いなと思ったけど、背中の痛みの方が強くて、顔が真っ赤になっているとは気づかなかった。

「うん、パラソルが飛んじゃって。

 でも、起こしたくなくて」

 逢川さんは申し訳ないという表情で立ち上がり、僕の後ろ側に飛んでいった帽子とパラソルを取りにいく。

 帽子についた砂をはたきながら、

「じゃあ、そろそろ帰……」

 といったところで逢川さんの声は悲鳴に変わった。

「背中、ひどいですよ!

 水膨れになっています……」


「よくもまぁ、こんなになるまで我慢したね」

 とあきれ顔で医者にいわれた。

 そして

「傷は一生残るだろう」

 ともいわれた。

 僕の背中は、深達性Ⅱ度と診断された火傷になっていた。

 逢川さんを団地に送った後、僕は鋭く強い痛みを感じながら思った。

「逢川さんはこうなる恐怖をいつも抱えているんだ。

 僕はこの痛みで、その恐怖を身を持って感じることができた」と。

「逢川さんの気持ちは、逢川さん自身にはなれないのだから理解した気になってはいけない」と常々思うようにしていた。

 でも、この痛みで僕ははっきりと逢川さんの気持ちの一部を理解し、共有することができたと思った。


 僕は逢川さんを守りたいと思うようになっていたが、それを口に出せずにいた。

 そんな自信は、今の僕にはなかったから。

 でも、残ってくれるであろう背中の傷跡が、逢川さんを実際に守ったという証になった。

 その傷跡は逢川さんを守りたいという僕の思いを、口に出さなくても伝わるものにしてくれたのだった。

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