第34話

 また会いに来る。

 蛇ノ目さんはそう言い残して、夜深く、月の方へ進んで行った。



 ・

 

 彼が街を襲撃して約1年。驚く程に、彼は街に溶け込んでいた。街の人々はいつの間にか彼に怯える様子を見せなくなった。だからといって、馴れ馴れしくすることも無い。

 蛇ノ目さんは街に近付く荒くれ者を倒し、時には大きな肉を街に運ぶ。彼の元にいることで、我々は安全と恵を得ることが出来た。その生活に、人々は自分の生きる最良を見つけるのだ。


 このままこの街で暮らしていくのだろうかと思い始めた頃、彼はかつて海近くの国で漁師という仕事ををしていた男たちから海の話を聞いたのだ。

 酒を飲み完全に酔っ払った男たちは、蛇ノ目さんが相手とは気づかず、ペラペラと過去を語る。

「ありゃあでっかい絨毯みたいだったな。風かなんかの影響を受けて、いい音を立てて揺れてたな」

 「水が大量にあるからって飲めるわけじゃあねえ。あんなのしょっぱくて飲めねえよ」

「だが、美味いもんが捕れる」

 天災が起きる前に彼らはこの街(かつては国)へ移住してきた。そのため、いまその海がどうなっているかはわからない。ひとりの男が、懐から1枚の絵を取り出した。片手で持てるほどの大きさの紙には、空のように青い、だが空よりも深みのある蒼が広がっていた。

「これが海さ」

 蛇ノ目さんはその絵に釘付けになりしばらく眺めていた。

「一度見て見たらいい。まぁ、今もあるかはわからねえけどよ」

 ガハハと笑う男はおそらく冗談のつもりだったのだろう。天災以前に作られた地図には、海も描かれている。海はここから遠く、何日かかるかもわからない。それに、あるかどうかもわかっていないのだ。


 だとしても見に行く。自分の好奇心を満たす。それが蛇ノ目さんなのだろう。


「海、たぶんくーも見たいだろうから」

「くーさんは蛇ノ目さんといつも一緒ですからね、2人で見られますよ」

「ああ」

 彼はこれからいくつかの街や国を渡る。そこが今でも残っていればの話にはなるが……。

「俺の勝ちだ」

 話しながら進めていたのは弾石。何度もやって、蛇ノ目さんはコツを掴んでいた。それでも久しぶりの負けとなる。

「上手くなりましたね」

 石を集め袋へ戻す。ジャラジャラと音を立ててだんだんと重量を増すそれは、少し古くなってきていた。

「そうだ、せっかくなら賢久という国に行くといいですよ」

「けん、きゅう……?」

 ここから海の方に真っ直ぐ行くと、小さな山がいくつも見えてくる。そのうちのひとつにこれまた小さな国がある。そこには、各専門知識をこれでもかと集めた賢者たちが集っていた。天災以前はその賢者たちに知識を求めに行く人間が多かった。今、賢者たちがどうなっているのかはわからないが、あの人たちならば天災の中でも生きていく知識を持っているだろう。

「賢者なら、蛇ノ目さんの種族もわかるかもしれません」

「種族……。まぁ覚えてたら探す」

「はい。ぜひそうしてください」

 同族を見つけた場合、彼はどうするのだろう。もし、同族たちが蛇ノ目さんと同じ性格をしているのなら、国を滅ぼすほどの戦いになるはずだ。何人もの関係の無い人達が巻き込まれて……。

 そこまで考えが至り、自分はとんでもないことを言ってしまったのではないかと感じた。

 蛇ノ目さんが同族に会うのは、噂が届かないほど遠い地であることを願うばかりだ。

「灯羽、俺はお前が気に入ってるから、また会いに来る」

「はい、お待ちしてます」

 その時は、俺がお前に色々教えてやるよ。そう笑い、蛇ノ目さんは窓から飛び降りた。屋根をつたい、塀を越え、闇に溶けていく。

 月の光も、彼の姿を捉えることは出来なかった。



「灯羽様、蛇ノ目殿は?」

「次の国に行ったようです」

 復興に使われる物資などがまとめられた書類を巳早が持ってきてくれたようだ。それを受け取ると、巳早は窓の向こうへ視線を送る。

「彼は、神だったのか鬼だったのか……。どう思われますか?」

「私はどちらでもないと思うよ」

 どうやら復興も終盤のようだ。もともとあの戦闘で破壊されたのは街の一部分。どちらかと言うと、生き残った兵の治療の方が忙しいだろう。

「私は……」

 巳早はまだ、外に視線を送っていた。

「私は、彼は神だったと思います」

「なぜ?」

「彼のおかげで、また1から街を国を作れる」

 そう言いながら、懐から紙の束を取り出した。それには見覚えがある。

「灯羽様、もうここには領主はおりません。今こそ、灯羽様の計画を進めましょう」

 もう一度、街同士を繋げ、国を取り戻す。それは数年前に考えた計画である。そうすることで、働く人間も確保でき、医療も広がる。国になることで防衛の面も不安が無くなる。失ってしまった国をもう一度取り戻したい。富を得ていいのは私たちの街だけではないはずだ。

「灯羽様私は、あなたの作る国が見たい。あなたが国を作るなら、私は全力で働きます」

 巳早が私の胸元へ紙の束を押し付けた。彼から送られるのは期待と決意の色。それを振り切ることなど、私には出来なかった。

「……蛇ノ目さんが帰ってきたら、きっと驚くでしょうね」

「はい。驚かせやりましょう」

 彼がもたらしたのは、破壊や絶望だけではない。未来への希望がそこには残っているのだろう。

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