第29話
男は普通に歩いた。雲もない快晴だったから、陽射しが直に照りつける。他の地域よりも少し潤った地面を己の足で歩いていた。
巳早と共に塔から男を捉えた灯羽は、どう対処するべきか考えをめぐらせている。大きな骨を被っているため、本来の姿は分からないが、巳早の見立てでは、男は扉ほどの身丈、服の下からちらりと見える体は鍛え抜かれた戦士のよう。
「話し合いが、出来ると思うか……?」
「同じ言葉を使うのであれば」
まだ距離はあった、しかし男の視線が私に向いたように感じた。ひらひらと手を振り、ニタリと笑う。
男は辺りを見渡すと、大きな岩に腰掛けた。そして、私をまっすぐ見つめ、こちらに来いと言うように手の平を空に向け招いている。
何を考えているのか。男は挑発をしているのか?いや、あの行動は会話を求めているのか?
「巳早、宗様たちに連絡を。すぐに戦闘を開始できるよう準備を整えるよう要請してください」
「灯羽様!? まさか、あの男の元に向かわれるのですか!」
驚くのはもちろんだ。しかし、犠牲が私1人で済むのなら、または男と友好関係を結べるのなら。僅かな可能性に、いったんかけてみようではないか。
馬が怯えたため、少し離れたところで止めた。男はブラブラと足を揺らし、私を待っているようだった。少しの食べ物や飲み物を持ってきてみたが、この男は同じものを食べるだろうか。
「よぉ」
「待たせて申し訳ない」
男が立ち上がる。巳早の言っていた通り、男の背は高く厚い。いたるところに傷がある。何度も戦いを行ってきたのだろう。
「それ、食い物か?」
「あ、ああ。僅かではありますが、よければどうぞ」
近寄って袋を渡せば、男からは血の匂いが漂ってくる。それは鮮明ではなく、少し古い感じがした。袋から薄い黄色の果実を取り出し、大口を開けてかぶりつく。滴る汁まで丁寧に舐めとると、今度は水を一気に飲み干した。
「私は、東街の次期宰相、灯羽と言います。あなたの名前聞いても?」
「蛇ノ目」
「じゃのめ、さん。……あなたの目的を」
「なあ」
私の声に被せ、低い声を響かせた。じゃのめは近くにあった木の棒を手に取った。
「とわってどう書く?」
「え?」
ガリガリと地面を削ると、蛇ノ目、とそこに書いた。恐らく、じゃのめと読むのだろう。もしかして、字を教えろと言っているのか?
「えっと、こうです」
木の棒を受け取ると、私は蛇ノ目の横に自身の名前を書いた。蛇ノ目さんはその字を見て、少し口角を上げた。
「なんか、綺麗だな」
「そうでしょうか」
蛇ノ目さんは不思議な雰囲気を纏っている。近づけば殺されると思っていたが、そんなことはないようだ。
「どういう意味?」
「母からは、希望と優しさを抱く人間になるようにと言われました」
「きぼう?」
蛇ノ目さんは、普通に会話をしてはいるが、知らないことも多いようだ。また、言葉に対しての興味が強いように思える。
「えっと、願いとか明るい未来のこととかですかね。あとは、自分の人生を豊かにしてくれる人のことも希望と言うこともありますね」
詩的な使い方になるが、その使い方は嫌いではなかった。
「人生を豊かに……くーのことか」
そう言いながら、彼は大きな骨を脱ぎ、その手で撫でた。
「さいしょーってのは?」
「宰相はこの街の長を支える役目です」
「ふーん」
曇り空の髪、金色にすら見える瞳。顔にもいくつか切り傷が見えた。うっすらと開けられた口からは鋭い歯が見える。明らかにこの地域の容姿はしていなかった。同い年か数歳下のように見えるが、彼の瞳は自分よりも数々の経験をしてきたように思える。
「蛇ノ目さんは、どこで生まれましたか?」
「生まれた……。それはしらない。記憶があるのは、正街よりもずっとずっと遠く。名前もないようなところだ」
生まれを知らないという彼からは、寂しさは感じさせなかった。彼のような容姿を持つ種族は知らない。
「もしかすると、海の向こうかも知れません」
「うみ?」
「見たことありませんか?天災以前には、この世界の7割ぐらいを埋めていたものです」
海も知らないのか。彼はいつ生まれたのか、どこで生まれたか。謎は深まっていく。
「全てが水で出来ているんですよ。いまは、ごく一部の地域にしか見られないようですが」
「そうか」
「蛇ノ目さん、あなたはなぜ東街に来たんですか?」
しばらく会話を続け、そう切り出した。
「ここは、でかい街なんだろ?」
「はい。そうだと思います」
「でかい街は、豊かって言うんだろ?」
「比較的、そうなるかと」
蛇ノ目さんは自分の知っていることを順番に確かめているように見えた。
「でかくて豊かな所には、強い奴がいる」
そう言いながら、蛇ノ目さんはまたニタリと笑って街を見つめた。
その時、彼の目的を悟った。
「ま、待ってください!!私たちに戦う意思はありません!」
「街で暴れれば、嫌でも戦うだろ?」
「そんなっ! どうか、私を殺すだけで満足してはいただけませんか?」
「灯羽を?」
恐らく蛇ノ目さんは、戦うことに快楽を見出している。血に飢え、力を使いたがっているのだ。ならば、満足するまで私を殴り、蹴り飛ばせばいい。街を守れるのなら、命が事切れるまで耐えてみせよう。
「灯羽はダメだ」
「え?」
「灯羽は、恐れも怯えも、殺意だって俺に向けない。そういうのは久しぶりだ」
彼の手にかかれば、私など数秒も持たないかもしれない。なのに、彼を前にして私の体は一切震えていない。彼を殺そうとも思っていない。それは彼も同じだ。
「それに、灯羽と話すのは、六呂と話すみたいで楽しい」
「六呂?」
「怪我したくないなら、ここにいろよ」
すっと立ち上がると、彼は足に力をこめて、一気に走り出した。地面が抉れている。
「蛇ノ目さん!!」
その声は届かなかったらしい。
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