第19話

甘えた声を出し、くーは蛇ノ目にすり寄った。蛇ノ目は大きなくーの頭を抱えるようにして抱きしめる。


「大丈夫だ、すぐに治す」


そう言うのに、焦りと不安が蛇ノ目を襲う。




おかしい。

くーの匂いが、どんどん薄れていく。くーの音が、どんどん小さくなっていく。



くーは頭を蛇ノ目に預けたままか細い呼吸をさらに細く、頼りなくしていく。


「ダメだ、くー!!やめろ、やめてくれ」


蛇ノ目は、瞳を閉じようとするくーを必死で引き止めた。くーも何とか生にしがみつこうと足掻いている。しかし…………




この匂いを知っている。

狩りをした時、六呂がいなくなった時……こんな匂いが俺の鼻に届く。くーが動かない。垂れた舌が冷えていく。もう、大好きな鳴き声を聞かせてくれない。


「くー……なぁ、くー……」


変だ。くーが死ぬわけない。だってくーは俺とずっと一緒にいるはずだから。


なのにどうして動かない?

あいつらか?あの兵士たちがいるからくーが動かないのか?


「くー、ここで待っててくれ。すぐに戻るから」


蛇ノ目はピクリとも動かないくーを撫でてから、暗がりを飛び出した。向かうのは騒がしさを増した兵の群れ。

兵たちはすぐに蛇ノ目の姿を捉えた。剣や槍を構え、弓を射る。飛んでくる矢を払い、避け、蛇ノ目は剣を構えた兵たちに迫った。恐ろしいスピード、そして1発で確実に仕留めるための大きな拳。

皮膚は剣を受け止め、牙はそれを噛み砕く。蛇ノ目を倒せる人も武器も、ここにはなかった。


狼も獅子も、その姿を形容するには物足りなかった。鋭い眼光は毒牙のように鋭く、そして恐ろしい。悲鳴が街中に響き渡る。遠目にその姿を目撃した人々は、竜の化身だと震え上がった。



蛇ノ目は、兵を一人残らず殺してしまった。まだ息のある者はいるが、そのうち動かなくなる。血塗れた体をふらふらとさせながら動かし、蛇ノ目はくーの元へ戻った。



建物の陰、くーは先程と変わらぬ姿で、そこに寝そべっていた。蛇ノ目は倒れるように、くーと向き合いながら横になる。全員倒したのに、やっと静かになったのに、くーは動かない。体がいつもより冷たい。命の匂いも音も、何も感じられない。


「くー……死んだのか?」


もう、死ぬということを知らない子供ではない。血を被り、疲れた体が、ようやくそれを理解した。もうくーは動かない。二度と隣を歩くことは無い。


「六呂、これはなんだ」


胸が痛む。鷲掴みにされたようで気持ちが悪い。目元が熱く、なにかか込み上げてくる。


「あ、あっ…うぁ、ああ」


喉から叫び声とは違う何かがこぼれて止まらない。視界が揺らいでいく。


そうか、これがきっと



悲しいってやつだ。


「ああああああああぁぁぁ!!!」


悲しみにくれた、切なく大きな叫びが、木霊していた。





少し時間を置いて、蛇ノ目はゆっくりと起き上がった。固い鱗に守られたくーの体を撫で、今後どうするか、考えを巡らせる。


生き物を殺すのは、自分を守るためと、食い物を得る時。このくーの体は、誰かに食べられてしまうのだろうか。



いやだ。



くーは俺のものだ。誰にも渡さない。肉も骨も、全て俺のもの。



最初に逃げた時の、くーの口内の温かさを蛇ノ目は思い出した。あのまま食われても、何も不満はなかった。ならきっと、くーも蛇ノ目に食われても、文句は言わないのだろう。蛇ノ目は、大きく口を開き、くーの腹に噛み付いた。



焼くものか、刻むものか。くーの肉は何も手を加えず、ただそのまま貪った。一欠片も残さず、弾力のある肉をくらい続けた。食べるうち、蛇ノ目の体に変化が起きた。

受けた傷が癒え、体の筋肉が増大していくような感覚を覚える。塞がった傷は醜い痕を残し、蛇ノ目の体を彩っていく。より強く、より丈夫に。骨すらも蛇ノ目は食い尽くした。ただ、頭部の角が生えた骨だけは、口をつけない。蛇ノ目は自分よりも大きなその頭蓋骨を、被ってみせた。目のあった空洞から、当たりがみわたせる。


くーの視界と自分の視界が同じになって気がした。周りに充満した血なまぐささすらも、蛇ノ目には愛おしい。被った骨を優しく撫でて、大きく息を吸う。今この体には、くーの肉が、血が回っている。くーと共にいる。そんな気がしていた。



もうふらつくこともなく、蛇ノ目は立ち上がった。頭蓋骨を抱え、まっすぐに見つめる。額を合わせ、そこにあったはずの温もりに、思いを馳せる。


「くー、これからも俺たちは一緒だ」


空に朝日が広がり始めた頃、蛇ノ目は骨を抱えて歩き始めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る