第17話
南街と北街は交易を行うため、少し整備された道が用意されていた。中間地点に、無人の小屋があり、よく商人たちが泊まるそうだ。この日は誰も泊まっていなかったため、蛇ノ目はくーと共にその小屋に入った。
乾いた木の匂い。隙間から吹く風の音。蛇ノ目はふと、これまでのことを思い出した。
泥水をすすり、生き物の皮をはいで、必死に生きるということにしがみついた。くーと出会い、日々が少し色づいていった。
六呂に教えてもらったことは、今でも鮮明に思い出せる。
きっとまだ知らないことはたくさんある。北街に行って、それから東街へ……東街は最も大きな街だと宝泉は言っていた。そこには何があるのか。正街のように、くーと街に居られればいい。
「くー、お前はどこが一番好きだ?」
「グルゥゥルゥ」
「お前はどこでもいいんだろうな」
言葉は分からない。だが何となく考えていることは分かる。くーは俺が好き、そして俺もくーが好き。太くなったくーの首に腕を回すと、心地良さそうに身を擦り寄せて来る。
「くーがいるなら、どこだっていいんだけどさ。どうせなら、楽しいところがいいだろ?」
くーの硬い体が温かい。母の胎動よりも馴染んだそれはとても落ち着く。
遠目からわかるほど、北街の砦は頑強な作りをしていた。そびえ立つ岩の壁と、その上には砲台のようなものも見える。これは南街のようには入れないな。俺からは向こうが見えているが、恐らく街からは俺たちの姿は見えないだろうな。
いつものようにくーは岩場の陰に隠した。夜で尚更姿は隠される。
街に入るには、正門か壁をよじのぼる、あとは柵のついた排気口。どこに通じているかはわからないが、可能性の低い正門と身動きが取りにくくなる壁よりもマシかもしれない。
太い柵を右手で握る。一気に力を入れて自分の方へ引っ張った。ドゴッと鈍い音を立てて柵が外れる。周りの壁にもヒビが入るが、壁が壊れる様子はない。この穴の大きさなら、くーも通ることが出来るな。
排気口は薄暗く、繋がっている部分から様々な匂いがした。鉄、薬草、廃棄物……複雑な匂いに頭が混乱する。鼻ではなく耳を頼りに、抜け出す場所を探した。1番人の気配がなく、静かな場所に降り立った。排気口が通じる網を破り、地面に着地する。
入りやすくはあったが、ここはひどく匂いがきつい。いろんな薬品が棚や机に並べられ、蓋をしていても鼻を刺激してくる。
まずいな、匂いのせいで思考がまとまらなくなる。いつもなら音と匂い、それで気配を感じるが、この匂いのせいで集中も出来ない。
まずは匂いに慣れようと蛇ノ目が呼吸を整えていた時だった。
ここは薬師の家、蛇ノ目が降りたのはその薬師の研究室であった。薬師は客店の整理を終えて、研究室へ戻ってきた。誰もいないはずの部屋にいたのは、大きな体の男。
薬師は叫び声をあげようとした。しかし、蛇ノ目はすぐに薬師の口を塞ぎ、足をかけ地面に倒す。
「騒ぐな。喉をかみ切るぞ」
話す蛇ノ目の口の隙間から、太く鋭い犬歯が見えた。薬師は震え上がり、小さく頷くことしか出来ない。
肩を押さえつけたまま、蛇ノ目の尋問が始まった。
「ここは北街で間違いないな」
「は、はい……そうです」
「お前は?」
「わ、私は、しがない薬師です」
「病には詳しいか?」
「広く知られている、もので、あれば」
薬師は声を震わせながらも蛇ノ目の問いに答えた。薬師の従順さに、少し警戒を緩め、蛇ノ目は拘束する手を離した。薬師は距離を取って壁に背中をつける。
「髪が白くなって、食も細くなる。呼吸も浅くなり、最後は痩せ細り衰弱していった。これはなんの病だ」
「……おそらく、白史、かと」
「はくし?」
白史とは、天災前に流行した病だった。すぐに治療法や薬が出回り、貴族街近くでは風邪のひとつのような扱いだ。白史にかかるのはだいたい30代以上の大人。病の始まりは自覚がないが、2年もすれば、体に変化が現れる。まず、髪の色素が薄くなる。そして体内が菌に犯され、食欲も失せ、ミイラのように痩せこける。死に至るまでに数年かかり、その間に治療をすれば死ぬことは無い。しかし、薬の作り方も、腕のいい医者も皆北街や東街の地区へ集中する。正街より先に住む六呂たちに、そんなものが回ることなどなかったのだ。
「く、薬が欲しいのなら、あげます!お代は頂きませんから!!」
薬師は蛇ノ目が病のことを聞いたせいか、目的が薬だと勘違いした。蛇ノ目の目的はこの地に住む生き物、文化を見ること。六呂の病を聞き出すことだった。
「いらない。もう遅い」
そう、六呂は死んでしまったのだ。今頃、骨も土に還っていることだろう。最初からこの病のことを知っていたら、自分は六呂を救っただろうか。なんとも言えない感情を胸に、蛇ノ目は思考を止めた。
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