第13話
「蛇ノ目さーん!来たよ!」
兵舎の近く。太く高い木の下に建てられた家に、沙耶はやって来ていた。1ヶ月ほど前、蛇ノ目はここに住処を得た。首領命令で、蛇ノ目は保護を約束され、監視の意味を含めて、ここに家を与えられた。1ヶ月前の騒動が嘘のように、蛇ノ目は穏やかに暮らした。狩りがある日は、くーを連れて共に森に入った。そして、自分の分と街の分を合わせて肉をとる。野生生活が長いせいか、獲物を狩りすぎることは無いし、繁殖期などを街のものよりも把握していた。
沙耶は蛇ノ目に指名され、文字や言葉を教えに来ている。蛇ノ目はくーを見ていてくれた沙耶のことを気に入ったのか、沙耶に対しての警戒心は全くない。相変わらず、くーが懐くことはないのだが。
「沙耶は、何?」
「何って、どういうこと?」
紙に炭で文字を書きながら、蛇ノ目は尋ねる。蛇ノ目はこの1ヶ月で前よりもなめらかに話せるようになっていた。
「ほーせん、は、首領。沙久はおかーさん」
沙久は沙耶の母親だ。蛇ノ目に定期的に食事や水を運ぶ仕事を任されていた。これも宝泉が蛇ノ目を恐れているからこその対策だった。蛇ノ目の手助けをした罪人として沙耶たちを責め立てれば、蛇ノ目からどんな報復があるかも分からない。宝泉は踏まなくていい虎の尾は踏みたくはない。
蛇ノ目は沙耶の母親だからか、沙久に対しても特に敵意を向けることはない。沙久や沙耶に全く敵意がないのもその要因だろう。
「えー、そうだな。それなら私は子ども、かな」
「こども?」
「そう!お母さんやお父さんに大きくなるまで育てられる人よ。私みたいにちっちゃくて弱っちいの。蛇ノ目さんにも、お母さんとお父さんいるでしょ?」
蛇ノ目はよく分からなかった。自分がいつ、どのようにどこで生まれたのかも、お母さん、お父さんというのも。もし、名前をつけた者が親ならば、あれが、強くあれと言ったあの二人がそうなのかもしれない。顔なんて最初から覚えていない。あの靄がかかったような姿の者たち。
「知らない、俺、ろくろしか知らない」
「ろくろ、さん?」
寝食を共にした、言葉を教えてくれた。静かに死んでいった六呂。そういえば、六呂はどんな字を書くのだろう。
「多分だけど、こうね」
紙に書かれた字。それを真似た。
「これ、六呂」
もしかすると、六呂のことが大好きだったのかもしれない。くーといる時のように、楽しいと過去思い出すと、そう感じる。
六呂はあの場所が好きだと言った。蛇ノ目もここを好きになれるだろうか。
森に叫び声が響いた。しかし、それは正街の者たちではない。蛇ノ目は走っていた最後の1人を気絶させると、後ろから追ってきた正街第二部隊の男たちと合流した。
「蛇ノ目さん!これで全員ですか?」
「たぶん。あとはお前らの仕事だ」
服装はこの国の者が着ているのとは少し違う。上半身と下半身で別のものを着ている。それに帯もない。
「おそらく東街の人間だな。なぜこんなところに」
「なぁに、吐かせれば全てわかる事さ」
「どうせ追放者かなんかだろ」
仕事に取り掛かる男たちの声を聞きながら、蛇ノ目は先に街へ戻った。
この街を巣に決めて1年。蛇ノ目はこの街に必要不可欠な戦力となっていた。賊が来れば蛇ノ目が先頭に立ち戦う。凶悪な犯罪者などお手の物。この街の人間はすっかり蛇ノ目を受け入れていた。しかし、蛇ノ目は街の人間を自分の群れとは思っていなかった。
相利共生である。蛇ノ目は森よりも遥かに良い暮らしが出来、正街の人間は安全に暮らせる。互いに殺し合う必要はないのだった。
「沙耶」
「あ、蛇ノ目さんおかえりなさい。お昼ご飯持っていくね」
沙耶たちは蛇ノ目の世話をすることで首領から報酬を受け取っていた。沙耶はその事を知らないが、両親は報酬のために蛇ノ目に食事を作り続ける。
イノシシの肉を煮込んだ、定番の料理。沙耶はそれを蛇ノ目の家に運んだ。蛇ノ目は今朝取ってきた肉を大きな窓に放り投げる。すると、肉はバクっとくわえられ、次に骨を砕きながら食す音が聞こえた。
「くーちゃんだいぶ大きくなったね。蛇ノ目さんも大きいけど、くーちゃんも同じくらいになったもの」
この1年、蛇ノ目の背が伸びる速度よりら遥かに早く、くーの体は成長した。程よい筋肉がつき、牙も目も角も鋭くなっていった。鳴き声も高かったものから地鳴りのような声へ。声の高さの変化は蛇ノ目も同じだった。蛇ノ目の声は少年から青年へ移っている。
「お母さんが着物縫い直してくれたよ、ここに置いておくね」
気に入った衣服は体が大きくなると縫い直すように頼んでいた。六呂から譲り受けた藍色の着物を、蛇ノ目はずっと直しながら使っている。
蛇ノ目は煮込み料理を体に流し込むと、それを盆に載せて立ち上がる。
「どこかにおでかけ?」
「ん」
蛇ノ目は家を出ると、真っ直ぐ塔に向かった。なんの検問もされることなく、蛇ノ目はすぐに塔に入り、首領の部屋を訪れる。
突然の訪問にも慣れたのか、首領は落ち着いた様子で蛇ノ目を迎えた。
「おお、蛇ノ目殿、本日はどのような要件で?」
「ほかの街について聞きたい」
「他の街?なぜ急に」
「ここを出る」
この街は気に入っていた。ほかの場所を見たら戻ってくるつもりだ。同じ時間を過ごし続けるには、蛇ノ目はまだ若い。それに、くーと共に旅をし、ある目的を果たしたかった。
「1番近いのはどこだ?」
「1番近いのは農民の街と言われる西街ですな、しかし賊に襲われてどこまで復興したか……」
宝泉は簡単な地図を取りだした。正街を中心に置いた大体の位置が書かれたものだ。正街は平民、西街は農民、南街は商人、北街は学者、東街には貴族とそれを守る兵士たち。それが暗黙の了解とされた住み分けであった。その名前から正街は国の真ん中にあったと思われがちだが、今の位置が5つの街の真ん中にあるだけで、平民は国の端に住んでいた。集まったのが、たまたまここだったというだけだ。
「1番栄えているのは東街ですが、ここからはかなりの距離が……本当に出て行くのかい?」
「ああ」
もともと自分がいなくともこの街は食料も防衛も問題なかった。自分が出した被害の見返りも行ったつもりだった。
「地図の写しをくれ、明日には出る」
宝泉は肩を落としながら了承の意を見せた。
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