第5話

日暮れ、蛇ノ目は家には戻らなかった。生き物の匂いがしなくなったからだ。

くーを連れて、1年と半分すごした町を出た。六呂から渡された、新しい半纏を身にまとい、腰に水の入った水筒を下げた。


六呂は蛇ノ目にこの周辺の地図を教えた。太陽が昇る方角、東へ向かうと大きな都市がある。まだ都市として成り立っているのかはわからないが、興味があるのなら行ってみるといい。

蛇ノ目は六呂が死ぬ時まで、都市には興味がわかなかった。六呂の生み出す入れ墨の方がずっと面白かった。だが、六呂がいなくなった今、退屈な町に留まる理由などなかったのだ。


「くー、とし、いく」


くーの足音はいつしか、のしのしとしたものに変わり、体も大きくなった。しかし、それに合わせてか蛇ノ目の体も強く大きくなった。くーは相変わらず、従順な瞳で蛇ノ目を見つめ、黙って着いてくる。道は驚くほど平坦。何度作りかえても、草履はボロボロになった。しかし、足の皮膚も石のように固くなった蛇ノ目の足は傷つけられることもなかった。


水筒の水がきれた頃、蛇ノ目は水の音を聞いた。足を動かし音の方へ。そこには細く小さな川が流れていた。水はある場所で流れを止めていた。小さな川は小さな沼を作っている。水は泥を含んでいたが、迷わず口に含む。くーも横で下を動かしている。


ある程度水を飲んでから、蛇ノ目は六呂の話を思い出した。水の流れには始まりがある。

この小さな水の塊は、おそらくその流れの終わり。終わりを遡れば、始まりを見つけられるだろうか。


蛇ノ目は川の流れに逆らい、歩みを進めた。

荒れていた大地がだんだんと舗装された道へと変化した。舗装と言っても、邪魔な石や岩が避けられる程度であったが。そこには人が何度も通った痕跡があった。川も少し広がり、周りは水と栄養を得た植物が茂っていた。


「くー、こい」


蛇ノ目は一番近くにあった木のそばによった。目の前の枝に触れる。どうやら腐ってはいないようだ。足をかけ、飛び乗るように木にあがった。木には小さかったが実がなっていた。それをもぎ取り、くーに投げる。

くーは口を大きく開け、その実を食らった。大きな口から実の汁が滴る。その様子を見ながら、蛇ノ目も実を口に運んだ。味はあまりしなかったが、肉ばかりの食事が続いていた中、その実はご馳走に思えた。


「クギャア」

「いまやる」


くーはおかわりを強請り、鳴き声を上げた。蛇ノ目は抱えられるだけ実を採り、木から降りてくーに渡した。



日が落ち、気温も下がってきた。

蛇ノ目は、木の実を食べてからはあまり場所を変えず、寝床を探した。今夜過ごすと決めた場所は、岩が重なり合い、洞窟のようになった場所だった。木々から葉をとり、少しでも寝やすいように整えた。くーは横になった蛇ノ目の隣で丸くなる。


静かな夜だった。

あまりの静けさに、空気が重たくなるようだった。そんな中、蛇ノ目とくーは、小さく寝息を立てながら眠りについている。

カサリと音がした。そして、何かが這うような音がかすかに聞こえる。音は蛇ノ目に近づいて、止んだ。しかし、数秒後、飛びつくような音を立て、それは蛇ノ目の腕へと噛み付いた。


突如はしった痛みに、蛇ノ目は目を覚ました。蛇ノ目の右腕に、大きな蛇が噛み付いて、胴を巻き付けている。蛇ノ目は蛇を掴むと、めり込んだ牙の跡を残しながら、引き離した。蛇はもう一度襲いかかろうとするが、喉元を大きな足で踏み潰された。


「クルゥアア」


ばくり。

くーは蛇の頭に噛みつき、一瞬で息の根を止めた。蛇ノ目はその様子を見ると、その場に崩れ落ちた。


体が痺れる。呼吸が荒くなる。目が回り、あまりの気持ち悪さに吐いた。


蛇ノ目にとって、毒は初めてだった。

蛇ノ目を噛んだ蛇は、大きさに比例した強い毒を持っていた。普通の人間から、噛まれて10分ともたずに死に絶える。



蛇ノ目は次の日の朝を迎えても、まだ生きていた。熱に浮かされ、ヒューヒューと呼吸をしていたが、まだ確かに生きていた。くーは、自分の兄とも親とも成りうる蛇ノ目の様子を見て、寝床を飛び出した。蛇ノ目が与えてくれる木の実をみつけ、得意ではない木登りをし、それらを集めた。

寝床に戻り、蛇ノ目のそばに木の実を置いたが、蛇ノ目はいっこうにそれに手をつけなかった。否、つけられなかった。


体が全く言うことを聞かない。

しかし、体は燃えるように熱く、喉も乾いていた。くーはそんな蛇ノ目を見て、採ってきた木の実を短い手で掴み、蛇ノ目の口に押し付けた。木の実が潰れ、蛇ノ目の口元を汚す。

蛇ノ目は何とか舌を伸ばし、それを舐めとった。

くーは、蛇ノ目の腰元にあった水筒を持ち、再び寝床を出た。チロチロと流れる川の水を時間をかけて水筒に入れ、蛇ノ目の元に戻る。蛇ノ目の口にそれを運んだ。水が出過ぎて蛇ノ目の顔を濡らしたが、蛇ノ目は流れてくる水をどんどん受け入れた。



熱は三日三晩続いた。

その間、くーは自分で肉をとることも無く、蛇ノ目に木の実や水を運んだ。そして、次の日の朝、蛇ノ目はようやく腕を動かせるようになった。


ウトウトしているくーの背中を撫でる。くーは久しぶりの感触にばっと目を覚まし、蛇ノ目を見つけた。


「くー……あり、がと」


声はかすれていたが、確かにそう言った。

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