第4話

蛇ノ目と、くーと呼ばれた異形との生活は、おかしなものだった。蛇ノ目は入れ墨のお礼なのか、良く肉を持ってくる。初め、生で肉を貪る彼を見てかなり驚いたが、火で焼いたもの食べさせてみると、子供らしく目を輝かせてかぶりついた。それから肉を取ってくるたびに、焼け焼けと要求してくるのだ。


この子には人間らしさというものが感じられなかった。小さい頃から、まるで野生の狼のように生活していたのだろうか。彼がどう過ごしてきたのか想像しても、きっと真実はそれを超えていくのだろう。



私はそんな蛇ノ目に言葉を教えることにした。彼の目に入ったもの一つ一つを教えてあげた。時々、私の真似をして流暢に話そうとする。それがたどたどしく、可愛らしさを感じさせた。異形は凶暴そうな見た目をしているのだが、私を襲うことも無く、蛇ノ目に従順だった。いつもは兄弟のように、時には主従のようにかかわり合う彼らは、未だに異質なものに見えた。

あの異形の見た目は、いつか見た本の中で描かれていた気がするが、忘れてしまった。異形は決して私の傍には寄らなかった。蛇ノ目に墨を入れている間は、一人でどこかに行って、名前を呼ばれると帰って来る。私が嫌われているのか、他人に懐くことの無い生き物なのか。


「ろく、ろ…あれ」

「ん?あぁ、あれは雨雲だ。久しぶりの雨だな、桶に水を貯めよう」

「あま、ぐも」

「そう、雨雲だよ」


蛇ノ目の声はその歳にしては低かった。しかし、まだ子供らしさも残っている。声変わりをすれば、響くような低音になるだろうか。


「蛇ノ目、桶はわかるかい?」

「おけ、おけこれ」

「そう、よく出来たね」


桶を持ってきた蛇ノ目を褒める。いつしか私は、蛇ノ目を息子のように扱っていた。わずか10歳でこの世を去った最愛の息子。長年かかった、夫婦念願の子供だった。蛇ノ目とは似ても似つかない臆病な子だった。私に似たのだろう。蛇ノ目は何事も恐れることなく、好奇心を向ける。夜現れた狼の群れを追い払った時は、彼は人ならざるものであると感じた。

しかし、蛇ノ目は学ぶことにも貪欲で、私に教えを乞う。そんな彼を無下には出来なかった。


「ろくろ、いれずみ、ここ」

「今度は首に入れるのかい?」


蛇ノ目は1つ入れ墨が出来上がると、新たな場所に入れたがった。両腕、腰、胸元、背中、今度は首筋。彼と出会い、一年ほど経過したが、体は入れ墨ばかりだった。彼が入れ墨を好んでくれたこと自体は嬉しかったため、私も彼が望むまま、入れ墨を続けた。


「蛇ノ目、その服も随分汚れたね。少し大きいが、私の服をあげよう」


若い頃の服が、まだ押し入れの奥に眠っていたはずだ。あまり虫に喰われていないといいが。ついでに、着方をちゃんと教えてやらないとな。




人間の寿命とはどれほどなのか。

町の人間と比較すると、私は長生きな方ではないだろうか。白髪まじりの髪は町には少なかったはずだ。しかし、やはり老いとは突然体に支障をきたす。

ここ数日、体の調子がおかしい。何をしていても体が重い。呼吸すらも億劫であった。先日、蛇ノ目の首に墨を入れ終え、新たな入れ墨を求められたが、どうやら出来そうにない。

そうか、そろそろこの世ともおさらばするのか。妻と息子に会えることを楽しみにしていたというのに、今では蛇ノ目と別れるのが少し寂しい。楽しい時間はあっという間だ、というのは本当のようだ。


1人で過ごしていた時間はあれほどまでに長く、恐ろしかったのに、時が止まればいいと、思ってしまう。


「ろくろ、いれずみ、いれる、ない」

「ああ、すまないな。もう針を握るのも辛いんだ」


蛇ノ目は普通に育ったならばきっといい子になった。私が入れ墨を断っても、彼は怒らない。だが少しだけ、寂しそうな顔をする。


蛇ノ目は入れ墨を彫らなくなった私に、まだ食べ物を差し出した。肉を食わないとわかれば、次は木の実を取ってきた。固いものが食えないとわかると、その身を砕き、すり潰した。水を大きな葉に注ぎ、私の口元まで運んだ。

息子のように扱っていたと言っても、心のどこかでは、彼と私は等価交換をしているのだと思っていた。私は入れ墨と知識を、彼は食料を。私がこうして動けなくなった時、彼はさっさとここから消えてしまうと思っていたのだ。


未だに、蛇ノ目の瞳はきらきらと光るばかり。そこに心配の色はなかった。恐らく、私がどんな状態なのか、分かっていないんだろう。


「蛇ノ目、おいで。最後に1つ、大事なことを教えよう」


名前を呼んで、手招きをすると蛇ノ目はすぐによってくる。


「蛇ノ目、これは私が教えられる最後のひとつだ。よく、聞きなさい」


私がそう言うと、蛇ノ目は珍しく、私の横に腰を下ろして真剣な表情を浮かべていた。


「人に限らず、生き物はみな死ぬ。たとえ、お前が力を見せつけなくても、勝手に死ぬんだ。呼吸が止まり、体が硬くなる。蛇ノ目、よく覚えておきなさい。お前もやがて死ぬ。だから、我慢せず、好きなように生きなさい。私に出会う前と同じでも、それとは違ってもいい」


蛇ノ目はたくさんの知識を得た。何も知らなかった野生の頃とは、きっと少し違うはずだ。


「こんな世界だ。我慢をしたって、後悔するだけだよ。蛇ノ目が知りたいこと、見たいこと、全てに貪欲でいなさい」


ただ目の前の肉に飛びつく姿を、私は美しいとすら思ったのかもしれない。人という枠組みを超越し、いや、最初からその中にはいなかったのかもしれないな。ただ、欲望をさらけ出す彼が、羨ましいと思う。それと同時に、恐ろしい。

最初で最後だ、腕を噛みちぎられても構わないと、私は蛇ノ目の髪を撫でた。


驚いたことに、蛇ノ目は嫌がらずに私の手を受けいれた。長くなると、煩わしいのかガラスで器用に切られていたそれは、想像していたよりもずっと柔らかかった。


「ありがとう蛇ノ目。人生最後の瞬間が、こんなにも幸せだとは思わなかった。長くなったね。食料でも取ってきなさい」


そばから温もりが消えていく。足音も遠くなる。それを聞きながら、私は、深いふかい闇に溶け込むのだった。

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