第3話
昔は、小さいけれど活気のある町だった。手先の器用な人間が多いこの町では、ガラス細工、木彫や刺繍などの工芸品が有名で、それらを求めてやって来る観光客や商人もたくさんいた。私もこの町で、入れ墨の彫り師として、それなりに有名だったのだ。
しかし、今から十数年前の天災。神の怒りにでも触れたのか…この世界は荒廃の一途を辿ることになった。日照りが続き、大地が乾き、何度も火が燃え上がった。吹き飛ばされるような強風に体を何度も押された。少しでも住みやすい地を求めて、人々は故郷を捨てた。当然だ。生まれ育った地より、自分の命が大切と思うのはおかしなことでは無い。
だが、なぜ私はここに残るのか。この地には妻と息子が埋まっている。妻は流行病で息子は天災に巻き込まれて…ろくな葬儀もしてやれなかった2人の魂は、恐らくここにある。だから、2人を置いてはいけなかった。
さっさと死んで、2人のもとに行こうかと考えることが何度もあった。しかし、私は臆病だった。死ぬ事が果てしなく怖かったのだ。腹が空けば食べ物を求めた、死ぬための刃物は自分には向けられなかった。土を深く掘り、わずかな雨水をためて生きるのに必要な水分を蓄えた。罠を仕掛ければ時々肉が手に入る。
ただの瓦礫と化した町を歩き、今日も自宅に帰る。寿命が来てくれれば、きっと安らかに眠れるだろう。肉も骨も腐り、土に還る。そうすれば愛しい2人に会いに行ける。
今日もいつもと同じように過ごす。太陽が、頭の真上から、西側に傾いてきた頃だ。久しく見ていない人間がこの町に訪れたのだ。一匹の異形を連れて。
その人間は男であった。まだ若いようだ。男は、私と目が合うと、目にも止まらぬ速さで私に飛びついてきた。あれだけの距離をほんの数秒で。
逃げる暇もなかった。男は的確に私の首を捕え、力を込めた。
ああ、ここが私の寿命なのだろうか。そう思うと、抵抗する気も失せて、体の力が勝手に抜けていった。
男が突然、私の首筋に顔を近づけた。噛まれると思ったが、男は何かを必死に見つめているようだ。そして、首筋の匂いを嗅いだ。そこで気がついた。自分の首筋には、苦労して入れた入れ墨があったことを。彫り師として未熟な頃から練習も兼ねて、私は自身の体に刺青を入れていた。それは首から足の先にまで渡る。私は自分のこの芸術に誇りを持っていた。愛していた。だから、こうして熱い視線を受けることがこの状況でも嬉しかった。
首を掴む手は力が弱まっており、なんとか話すことが出来た。
「入れ墨が、気に、なるの、かい?」
男はちらりと私に視線をよこすだけだった。きつい体勢だったが、左腕の袖をまくり、そこにある入れ墨も見せた。男はそれを見ると、即座に私から体を避けた。私が座り直すと、男も真似をして私の前に座った。そして左腕の入れ墨を指し示した。どうやら、これについて教えて欲しいようだ。
「これは入れ墨と言うんだ」
すると、男は首を傾げた。どうやら言葉が通じていないようだ。
「い、れ、ず、み」
「ぃ、え、み?」
「い、れ、ず、み、だよ」
私の口の動きと音を真似ているのだろうか。何度も声に出していた。ついに言えるようになると、楽しげに笑い、大声で「くー」と叫んだ。すると、先ほど見た異形がとてとてと現れ、男をじっと見つめていた。私の腕を乱暴に掴み、異形に見せつけた。噛みちぎられるかと思ったが、男は私の腕を見せながら入れ墨、入れ墨と繰り返した。
その表情はまだあどけなさが残っている。遠目から見た姿と、あの動きで気が付かなかったが、この子はまだ十代前半ほどの見た目だ。体つきは、そうは見えないが、顔は年相応のようだ。
私は、少年に手招きして家へ招いた。そして、彫り道具を取りだした。消毒代わりの薬草、針と三色ほどの墨。私は左足を右の太ももに乗せて、左足の裏に針をさした。歩く時に支障が出るため、足裏には今まで彫りを入れることは無かったが、この仕事を見せるための場所がもうここしか残っていない。少年は彫る様子をじっと見つめていた。
「こうして彫れたら墨を入れる。慣れればそんなに痛くはないよ」
伝わっていないだろうが、私は丁寧に仕事の工程を説明した。簡単に花弁を二枚。完成すると、少年は私の足首をつかみ、持ち上げた。少し痛かったが、我慢する。少年は、満足して私の足を下ろすと、左腕を差し出してきた。
「もしかして、入れ墨がほしいのかい?」
少年は肯定するようにもう一度、腕を突き出す。筋肉質な腕を専用の台座に乗せて、薬草を塗った。そして、針を入れる。男の大人でも初めての針は顔を歪める。しかし、少年は針の動きを見つめたまま表情を変えない。袖をまくった時にいくつもの傷跡があった。何かに噛まれたまだ新しい痕も。少年は痛みに鈍感なのかもしれない。
鋭い牙と瞳孔が細い瞳に、蛇を連想した。蛇の尾のような渦の中に、鱗を描く。少年にはこの柄が似合うと思ったのだ。
数時間で入れ墨の一部が出来上がった。このまま集中し続けるのは、私も少年も限界だった。
「続きはまた明日にしよう。君が私を殺さないでいてくれるのならね」
少年はじっと私を見つめている。そこに出会い頭に感じた殺意はない。
「君の名前を教えてくれるかな?私は、六呂と言うんだ。ろ、く、ろ」
自分を指差しながら、名前を告げた。理解してくれたのだろうか、少年は自分を指さして、
「蛇ノ目」
そう名乗ったのだ。
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