第2話


蛇ノ目というのは、両親が付けた名だった。両親は自分を呼ぶ時に蛇ノ目というから、自分は蛇ノ目というものなんだと思っていた。蛇ノ目は異形にも同じようにしたかった。自分にも異形にも似たようなものがあれば嬉しいのだ。


「クルゥ?」


だが蛇ノ目は言葉を知らなかった。蛇ノ目は異形の鳴き声と、蛇ノ目という言葉しか知らなかった。だから自分と異形を指さしながら、何度も繰り返した。


「蛇ノ目……くー、蛇ノ目、くー」


蛇ノ目と言いながら自分を、くーと言いながら異形を指し示した。くーと呼ばれた異形は首を傾げた。しかし、いつしかくーと言われると、自然に反応するようになった。

蛇ノ目はそれが嬉しくて、何度も異形に呼びかけた。異形もくーと呼ばれることを喜んだ。


蛇ノ目もくーもすぐに大きくなっていく。寝床が狭くなれば、また新しい寝床を探した。

何年もそうやって2人で暮らした。獲物を捕り、汚れた水をすする。寒い日には枯れた草を集めた。蛇ノ目はくーがいれば、苦には感じなかった。




2人が過ごすこの荒れた土地は、すっかり静かになってしまった。大きな獲物も小さな獲物もみんな逃げてしまった。種を運ぶ生き物がいなくなれば、僅かな植物もなくなってしまった。

蛇ノ目はくーを引き連れて土地を離れることを決めた。この先に何があるのかは知らないが、なんとなくこっちには餌がある気がした。


「くー」


蛇ノ目は、少し離れたところで無視を追いかけるくーを呼んだ。くーは短い足で蛇ノ目に追いつく。蛇ノ目の背も、170程になり、くーもその腰あたりまで大きくなった。若く好奇心の多い2人は、育った、生まれた土地を去っていった。




世界はどうやら枯れているらしい。2人は枯れた土地を何日も歩いた。喉が渇いて仕方がない。くーはそういう体質なのか、さほど水分は求めなかった。しかし蛇ノ目は違う。本能が水を求めた。嗅覚が、聴覚が、水を捉えようと必死になっていた。ふらふらと歩いていると、数十メートル先に物体を見つけた。岩ではないそれに、蛇ノ目は何かあればと近づいた。


その物体は人であった。薄汚れた甚平を纏った男だ。男の呼吸はすでに止まっている。死んでからだいぶ経っているのだろうか。肉は腐り、匂いがきつい。

蛇ノ目はサイズの合わない自分の半纏を見た。布は切れ、ほとんど服としての役割を果たしていない。蛇ノ目は皮膚が常に風に当たることがあまり好きではなかった。特に下半身には強い不快感があった。蛇ノ目はいい機会だと、死んだ男の甚平を剥ぎ取り、身につけた。臭うが気にせずに着こなす。少し自分の体よりも大きいが、蛇ノ目はとりあえずこの甚平が気に入ったようだ。男から甚平を脱がせる際に、鉄で出来た筒が出てきた。ちゃぷっと音を立てたそれを、蛇ノ目は水だと思った。


筒の蓋は回せば開けられるのだろう。しかし蛇ノ目は初めて見たそれの開け方がわからず、喉が極限まで渇いていることもあわさってイラついていた。飲みたいのにこの筒は全く言うことを聞かない。蛇ノ目はついに、筒の真ん中を握り潰してしまった。ぼたぼたと水が垂れてくる。長めの舌を伸ばして蛇ノ目はそれを口に入れる。鉄臭いが今はどうでもよかった。


蛇ノ目は水をくーにも与える。大きな口を開けて、くーも水で喉を潤す。水はすぐになくなってしまったが、一先ずは満足だ。



水を得た蛇ノ目は、足取りが軽くなり枯れた大地をさくさくと進んで行った。時々、あることに飽きたくーが蛇ノ目に飛びついたり、足元を駆け回ったりして、蛇ノ目もそれに合わせてじゃれ合った。



蛇ノ目とくーは飢えをしのぐために、獲物を探した。途中、牙を持つ四足の獣の群れを見つけた。相手も蛇ノ目たちを獲物と定め、襲いかかる。1匹に腕を噛まれたが、蛇ノ目は動揺することも無く、3匹ほど仕留めた。群れの残りは、蛇ノ目に怯えきゅーきゅー鳴きながら逃げて行った。


獣は肉食で、それら獣の肉はあまり美味くはなかった。ただ、空腹だった蛇ノ目とくーにはご馳走で、骨に着いたわずかな肉も残さず平らげた。蛇ノ目はそれでも足りなかったのか、骨も砕き体内に収める。くーは牙が通らなかったのか、そうそうに諦めていた。


先ほど得た服が、腐臭から鉄臭さへと変化する。蛇ノ目にはそっちの方が心地よかった。鉄臭さには慣れていた。何度も怪我をし、自分でも赤黒いそれを流していたから。




またしばらく2人は歩き続けた。すると、いくつもの形が整った岩が並ぶ場所を見つけた。その岩は家であった。ここは、かつて小さな町があった場所なのだ。枯れた大地が続くばかりで、町の中には人など暮らしていなかった。

ある一人の男を除いて。

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