狂人スパイラル

どん

第1話

強くあれ


その一言が、蛇ノじゃのめと両親との最後の思い出だった。


気がつけば一人だった。

荒れた土地に一人。蛇ノ目は生きる術さえも知らなかった。腹がすく。体が冷える。

蛇ノ目は生き方もわからぬまま、死ぬことを嫌った。蛇ノ目にとって、必要だと感じるのは、快楽。その名前は知らずとも、蛇ノ目はそれを求めていた。つまらないまま終わりたくない。もっと遊びたい。


蛇ノ目は目の前を横切った兎の尾を掴んだ。短い悲鳴、固まる体。邪魔な毛をむしり取り、蛇ノ目は歯を突き立てた。

臭い。喉が渇いた。

蛇ノ目は口元の血をそのままに、水を求め、小さく細い川に顔を突っ込んだ。砂が入ったが気にせず飲んだ。

数時間後、蛇ノ目は腹を下した。痛くて苦しかったが、いつの間にか慣れてしまった。


蛇ノ目は丈夫だった。

木の実を取るため木に登り、足を滑らせ落ちても数秒後にはムクリと起き上がった。


辺りが暗くなると、不思議と自分の意識も薄らいでいった。木に寄りかかって目を瞑る。気がつけば朝になり、辺りは明るさを取り戻す。そして、しばらく目を閉じていると、疲れも取れている。蛇ノ目は、自身を回復する方法を知ったようだ。



蛇ノ目は生きるすべを見つけた。

肉を狩る。木の実をかじる。水を体に流し込む。排泄をする。疲れて眠る。これを繰り返せば、自分は生きていける。


だが、退屈だった。

皮膚が痛くなるほど日に当たるのも、今では鈍いと感じる動きを見せる生き物を狩ることも、全部ぜんぶ、飽きてしまった。時間の経過、歳月なんて知らないが、きっとずいぶん同じ生活を続けているはずだ。

蛇ノ目はある日、荒れた土地に佇む大きな山に登った。草木は枯れ、ゴツゴツとした岩ばかりが顔を見せるそれは、蛇ノ目の肌を何度も裂いた。だが蛇ノ目は気にせず山を登った。

岩に登る前から蛇ノ目は痛みというものに鈍くなっていた。いや、どうでもよかったのかもしれない。


蛇ノ目は何時間もかけて、山の頂上にたどり着いた。

頭上にある青がいつもより近い気がした。

蛇ノ目は眩しい空に手をかざし、一度肺いっぱいに空気を吸い込んだ。そこで蛇ノ目はある匂いに気がついた。


蛇ノ目は野生と変わらぬ生活の中で、五感が進化していた。鋭い嗅覚、僅かな振動も捕える触覚、何度も傷ついている皮膚は硬くなった。夜目もずいぶん効く。そしてついに、蛇ノ目は匂いの正体を突き止めた。

丸く大きな卵だった。

しかし、蛇ノ目はそれが何かわからなかった。口を開け、尖った犬歯を突き立ててみた。だが、岩のように硬いそれに、傷のひとつもつけることが出来ない。


蛇ノ目は卵の中に何かがいることに気がついた。小さく揺れている。出てきたら食べられる。蛇ノ目は卵を抱き、ゴツゴツとした岩場に座り込んだ。


久しぶりに気持ちが高揚していた。何が出てくるのか。どんな姿でどんな味なのか。

蛇ノ目の気持ちは浮ついていた。




卵はすぐにその硬い殻を破った。ピシピシと音を立てるそれを蛇ノ目はじっと見つめている。昨日は何も食べていない。自分がいない間に、誰かに食われてしまうことを嫌がり、蛇ノ目は一日卵を抱えていた。


腹が減った。早く出てこい。

蛇ノ目の願いを聞きいれたかのように、卵は完全に割れ、中から生き物が姿を表した。

赤黒い目を持ち、小さな角を生やした生き物だった。人はそれを見て異形、化け物と呼ぶであろう。


蛇ノ目はその異形に向かって手を伸ばした。頭を潰せばすぐに動かなくなり食べやすくなる。いつものように蛇ノ目は、生まれたばかりの異形を食べようとした。

しかし、異形は伸ばされた手をぐっと掴み、自身の体を蛇ノ目の手に擦り付けた。異形は頭が大きく体型的には2頭身。生まれたばかりだと言うのに、その体は蛇ノ目が両手でなんとか抱えられる程であった。


「クルゥア」


蛇ノ目を捕えると、異形は嬉しそうに鳴いた。蛇ノ目は聞いたことも無い声、感じたことのない温もりに戸惑った。


「クルゥ、クルゥアァ」

「く、ぅ?くあー?」


楽しそうな異形の声を真似して、蛇ノ目も声を発した。驚いた。自分からも音が出ている。蛇ノ目は初めて声を出した。喋り方、話すことができることも、蛇ノ目は知らなかった。少年のように高く、だが少しかすれた音である。


「クルゥ?クックルゥ、クルゥ」

「くる〜くる〜」


異形と自分の発する音が面白く、蛇ノ目は体を揺らした。空腹なことなど忘れてしまっていた。異形を食べようと思っていた事なんて、すっかり頭から消え去ってしまった。

蛇ノ目は異形を連れ帰ることにした。山を降りる時、異形は蛇ノ目の半纏を握りしめ背中に引っ付いていた。


異形は木の実を好んだ。牙が生え揃っておらず、まだ固いものは食べられないようだ。木の実をやると異形が鳴くのが面白くて、蛇ノ目はたくさんの木の実を異形に用意した。


「クキュルゥ〜」


満腹になると異形はそうやって鳴いた。蛇ノ目は異形の横で、狩ってきた肉を貪った。何日も食事を共にしていると、異形は蛇ノ目の真似をして、肉を食らった。赤黒い目がぎらりと光り、骨まで食い尽くした。夜は、共に眠り、いつしか狩りも共にするようになった。


蛇ノ目は異形といるのが嬉しかった。これは食い物じゃない。遊び道具でもない。じゃあなんだ?これはなんだ?

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